天上人来訪制度〈前編〉

 入学式から早3ヶ月が過ぎようとしていた6月下旬。花麒麟花君専門高等学校は、多数の転校・退学措置を行なってもなお、2500名以上の花君候補生を擁していた。


 選択肢は多ければ多いほど良いと考える人もいるが、天上人たちにとって彼女たちの数はあまりに多すぎる。

 いったい天上人たちは、どのような手段を用いて、玉石混交の中から一粒の宝石を見つけるのか?

 その手段の1つに、〈天上人来訪制度〉というものがある。

 いわゆる普通科高校で言うところの授業参観に相当するイベントだ。


 午前10時50分すぎ、午前中の最後の授業である四時限目までの準備時間。

 教科棟の廊下で立ち話をしていた候補生たちは、まるで大名行列に遭遇した平民のような態度で、廊下の壁際まで引き下がっていった。


「いらっしゃいませ、旦那様」「いらっしゃいませ、旦那様」「いらっしゃいませ、旦那様」


 次々と最敬礼で頭を下げていく候補生たちの前を、杖をついた初老の紳士が、帽子を取ってお辞儀を返す。

 候補生らは、挨拶以外の言葉を発することや、天上人たちに対する接触を許されていなかった。

 その男性は候補生の前で律儀に立ち止まり、一人一人に会釈をしながら、亀のようにゆっくりと歩いていった。


「ヤッバ! 旦那様に会っちゃったよ!!」

「あー! 名前札、付け忘れてるしぃ!」

「どーしよー! わたし、目が会っちゃったぁ!」


 黄色い声で盛り上がっていた候補生たちは、さらに大きな、悲鳴にも似た絶叫を聞きつけ、その方向へと一斉に振り返った。

 1人の候補生が、プロレスラーのように立派な体躯の、野球のユニフォーム姿の男性の前で両膝をついていたのだ。

 彼女は左手に目元を拭うハンカチを握り、右手には真っ赤な薔薇の花を1本、胸で抱くようにして握りしめていた。


「それじゃあ、また会おう」


 男性の声に無言で頷いた少女は、悲喜こもごもの喧騒の中、内から湧き出すような止まらない震えに、しばし身を委ねていた。


「虫唾の走る光景だな」


 花麒麟ヒイロは少し離れた場所から、狂ったように喜んでいる候補生たちを眺め、溜め息をついた。

 彼女は腕を組みながら、軽蔑と憎悪の入り混じった、身も凍るような視線を彼女らへと向けていた。

 芍薬タヅナはヒイロの背中を追い、教養科の教室へと入っていく。

 この日の4時限目は料理科で、Aクラスの授業はヒイロとジュン、マリアと同じ教室だった。


 珍しいことに、今日はヒイロも学校の制服を着ていた。

 黒いスーツ姿のヒイロを見慣れているせいか、まるで学生のコスプレをしているように見えてしまう。


「身の程知らずの恋に浮かれるのもいいが、男に捨てられたら終わりだと、若いうちは気付けないんだろうな」


「もうさぁ、そんなにこの学校が嫌なら、やめちゃえばいいのにー」


 ジュンがウンザリした顔で教室中央の席につく。

 この日の料理科実習室では1つの調理台ユニットに2つの椅子が並んでおり、黒板を前に左からマリアとヒイロ、通路を挟んでジュン、タヅナという並びで座っていた。


「私は抑止力なんだ。この学校で非人道的な教育が行われていないか、内部から監視する責任がある。もっとも私は、この学校の存在意義を認めていないがな」


「でも、昔から玉の輿はあったでしょ」

「存在することと、存在させることは違う。私は社会学的観点から――」


 起立、礼、着席の号令がかかっても2人は議論をやめようとはせず、陳料理科教科長は咳払いをした。


「えー、本日の授業では、今月末に行われる剪定試験の内容を発表します。今回君たちに作ってもらうのは『15分朝食』です。旦那様から急遽お食事を作るように依頼された状況を想定し、試験会場に設置された冷蔵庫・食品棚の中にあるもので、一汁三菜のメニューを作っていただきます。片付けも含めて制限時間は30分」


 教科長が試験内容を説明している中、開いていたドアから続々と大人の男性たちが続々と入ってきた。ユニフォーム姿のスポーツ選手もいれば、スーツを着た男性もいる。

 そして、その観覧者の最後尾にいた女性こそ、桔梗月夜だった。今日の月夜は水色の艶めいたワンピースドレスを着用し、外国の映画祭にでも出席するような装いをしていた。

 タヅナは背すじをピーンと伸ばし、小さく手を振ってくれた月夜に対して、小さく会釈した。


「パンではなくご飯を選択する場合はこの、HANAKIRIN社製〈早炊き職人〉と、〈早炊き職人専用無洗米〉を使用してください。たった10分で美味しいご飯が炊けてしまう優れものですよ」


「えー! それでも15分で5品も作るなんて無理ですよぉ」

「いいえ、料理の基本が出来ていれば、難しい課題ではありません。それではお手本を見せてもらいましょうか。芍薬タヅナさん、前にいらっしゃい」

「……はい」


 実はタヅナの花フォンには、前日に教科長からのメッセージが送られていた。

 なんでも事前の教官会議にて、桔梗月夜が料理科の授業参観に参加するという通達が回ってきており、在校生唯一の男子候補生であるタヅナが良いところを見せられるよう、調理のデモンストレーションをさせるということになったらしい。


「これからタヅナさんにお手本を披露していただきます。よろしいですね?」

「承知いたしました、お義父様」


 ご飯は早く炊けるからいいとして、15分間で汁物1品と、おかず3品を用意しなければならない。

 平均的な候補生よりは手早く調理をこなせるタヅナでさえ、この課題はそれなりに難しく思えた。

 でもそれと同時に、ずっとタヅナの方へと視線を送ってきていた桔梗月夜に、なんとかして格好いい姿を見せたいという想いもある。


「桔梗様、何かお食べになりたいものはございますか?」


 メニューに迷っていたタヅナに対して気を利かせたのか、陳教科長が月夜にリクエストを送ってくれた。


「そうですね……では、『卵焼き』を」


 ――卵焼き。

 その注文を聞いて、タヅナは初めて桔梗姉妹と出会ったときのことを思い出した。

 テレビのグルメ番組のロケで、彼女たちはタヅナの祖父である厩の作る味噌汁を飲みに来たことがあったのだ。


「そうそうこの味よぉ! 懐かしいわぁ」

「お姉様ったら、帝王ホテルの朝食で何杯もお頼みになって」

「おやめなさい、月夜さん」


 厩の作る味噌汁は、最高級食材から贅沢に出汁をとった至極の一品だ。

 利尻産の昆布、焼津産の鰹節、国産松茸を使用したその味噌汁は、お椀一杯当たり1000円という破格の原材料費がかかっており、普段は一部の常連客にしか提供しない、店の隠しメニューとなっていた。

 厩の後ろに隠れていた手綱が、普段とは違う店の様子にそわそわしながら立っていると、月夜が気を利かせて声をかけてくれた。


「ぼく、いくつ?」

「じゅっさい……」


「おじいさまのお手伝いをしているの?」

「そう……」

「あらぁ、えらいわねぇ」


「修行中なんだよな? ほら、得意料理は?」

「たまごやき」


 煌びやかな衣装を着た大人のお姉さん2人を前に緊張しながら、手綱は必死になって卵焼きを完成させて食べてもらった。その映像は、実家のレコーダーに残っている。

 店の玄関口には、桔梗姉妹と厩おじいちゃんと手綱が映った写真が、今も飾られていた。


 そして再び、桔梗月夜と会うことになった入学面接のときにも、


 ――「手綱さんはお料理がお得意なんですね。得意料理は何ですか?」

 ――「えっと……卵焼きです」

 ――「そうですか。いつか食べてみたいですね」


 月夜の言葉を聞いてから1ヶ月後の合格通知が届く日まで、タヅナは食欲が半減するほど落ち込んでしまった。月夜さんは、僕と最初に出会ったときのことを覚えていないんだ……。

 そりゃあ、そうだ。月夜さんは有名人で、僕は彼女が話しかけてきた何百人もの素人出演者の中の1人なんだから。覚えてなくて当然だよね。


「それでは始めっ!」


 タヅナは調理台から離れ、緊張で震えている手で冷蔵庫を開けると、予想以上に様々な食材が揃っていた。

 頭の中でメニュー構成を組み立てる。何しろ調理時間は15分しかない。手早く作れて、品数が少ない分、見映えの良いメニューにしないと。でも朝食だから、油っこいものは避けるべきだし。

 豆腐と油揚げ、乾燥わかめの入った袋と卵二個を取り出して腕に抱えると、教官用調理台の前まで歩いてゆき、それらを並べた。


「よし」

 それでも、いざ調理台の前に立つと気が引き締まる。


 炊飯ジャーに計量カップで1合分のお米と水を入れてスイッチオン。

 鍋に水出しの昆布出汁を入れて火を入れる。煮立ったら火を止め、鰹節の入った出汁パックを入れる。本来ならもっと手間暇をかけて出汁を丁寧に取るところだけど、仕方ない。粉末の旨味調味料を使わないだけマシだと思うことにする。


 出汁を取っている間も、タヅナの手は止まらなかった。鮭の切り身1枚に軽く塩を振ってグリルに乗せて着火、ほうれん草を切って下茹でしたのち、すりごまに合わせて混ぜておく。

 卵焼き用フライパンを熱し、卵2個をボウルに割り入れると、いつもは用意してあるはずのものを取り置き忘れていたことに気が付いた。


「いけない、忘れてた!」


 冷蔵庫の前まで小走りで戻ると、先ほど見つけていた小さい紙パックの生クリームを取り出した。

 再び調理台の前に立つと、卵と冷ました出汁の入った片方のボウルに生クリーム大さじ2と塩少々を入れ、泡立て器を右手で回してかき混ぜていく。もう1つのボウルには、鍋の蓋の上で温めていた大さじ1のハチミツと醤油数滴を回し入れる。

 これで2つのボウルに2種類の卵液が用意できた。それらの中身を、卵焼き用の四角いフライパンへと交互に流し入れていく。


 5年間に及ぶ試行錯誤の末に、この〈手綱特製卵焼き〉は完成した。焦がした醤油とハチミツの香る甘い卵焼きと、生クリームを入れたふんわり食感の出汁巻き卵の二重ミルフィーユ構造というのが最大のポイント。

 そのまま入れるとダマになってしまうハチミツを湯煎してから混ぜ入れたり、生クリームを軽くホイップ状にしたり、2つの卵液を用意して交互に焼くなど、なかなか手間のかかる逸品だった。

 厩に試食してもらったところ、甘いものが苦手な舌には合わなかったようで、「おかずじゃねぇな、おやつだな」などと言われてしまったこともある。


 味噌汁が煮立ち、卵焼きの最後の一巻きをしたところで、まるで計ったかのように炊飯器のアラームが鳴った。

 ご飯を茶碗によそい、卵焼きを一口大に切り揃えて、トレーの上に置いていた皿の上に乗せた瞬間、タヅナは右手を挙げた。


「出来ました」


 白ご飯、お味噌汁、焼き鮭、ほうれん草の胡麻和え、そして手綱特製卵焼きが、トレーの上に並んだ。

 陳教科長がストップウォッチのボタンをピッと押して、ニヤリと笑う。


「14分47秒……やりますねぇ。それでは桔梗様はこちらの席へ。タヅナさんはお食事を持ってきてください」

「はい」


 誰かが運んできたであろう横長のテーブルが、タヅナの調理台の真横に置かれていた。タヅナは料理の乗ったおぼんを運び、試食台にしては豪奢なクロスのかかったそのテーブルの上に料理を並べていった。


「あらぁ、素敵なお食事ですこと。それではいただきますね」


 器用かつ繊細な箸の動きが、タヅナの目に止まった。育ちの良さが、箸の使い方に表れている。

 月夜は一通りの料理に口を付けると、唇をハンカチで軽く拭って微笑んだ。


「んー。どのお料理も大変美味しいです。特に卵焼きはふんわりと仕上がっていて、まるでシフォンケーキを口にしているようでした」

「ありがとうございます」


「さすがタヅナさん、お料理はお得意ですね」

「いえいえ、そんな……」


「限られた時間の中で、よくこれだけのものを仕上げてくれました。見事な調理を見せてくれたタヅナくんに拍手!」


 料理科の授業が終わるまで、月夜はタヅナのことをずっと見守り続けてくれていた。タヅナは調理中よりもさらに緊張した面もちで授業を受けると、チャイムが鳴ってからまた月夜の元へと挨拶に行った。


「本日はお忙しいところお越しいただき、ありがとうございました」


 最敬礼の45度角でお辞儀をすると、月夜もまた同じ角度で頭を下げてくれた。

 手を伸ばせば触れてしまうような距離に近付くと、タヅナは天国にあるお花畑のような心安らぐ香りに包まれているように感じた。


「いえいえ、こちらこそ美味しいお食事をありがとうございました。またタヅナさんとお会いできる日を心待ちにしておりますね。それまでご機嫌よう」


 タヅナが立ち去る月夜を見送っていると、ヒイロが不満そうな顔を向けがら詰め寄ってきた。


「タヅナ、明日あの朝食メニューを私にも作ってくれ。1万ポイント出す」

「あっ……はい、承知しました」

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