入学式ジャック事件〈前編〉

 3000名の候補生たちが着席すると、儀礼館の正面舞台の上に設置された、横30メートル・縦10メートルはあろうかという超大型ディスプレイが発光した。

 その画面には学校のロゴマークが表示されていたが、しばらくすると学校外観の空撮映像へと切り替わった。


『ご入学おめでとうございます。ようこそ、花麒麟花君専門高等学校へ』


 ニュース番組のイントロのようなBGMに乗せて、女性ナレーターによる滑舌の良い声が館内のスピーカーから流れた。


『花麒麟花君専門高等学校は、世界最高水準の花嫁・花婿を育成するために作られた、究極の花君学校です。皆さんには3年間で、料理、育児、美容、茶華道、恋愛心理学など、超一流の花君になるための専門的な知識や技能を身に付けてもらいます』


 入学案内のパンフレットにも授業科目のことは書いてある。

 清掃科・料理科・治療科・育児科・養護科・作法科・風貌科・教養科の全8科目。

 どれも一般的な普通科高校ではあり得ない科目で、特に家庭科に当たる授業が豊富に組まれているようだ。


『〈候補生証〉に記されている花の名前は、この学校での皆さんの苗字となります。書類や点呼などで正式に用いるものとなりますので、忘れずに覚えておきましょう』


 “タヅナ”は、自分の手元にある候補生証に目をやった。それは写真付きのIDカードにもなっており、願書で提出した証明写真がそのまま使われていた。

 [芍薬しゃくやく]というのが、この学校での自分の苗字となるらしい。


 それから講師陣や施設など約10分ほどの紹介VTRが流され、学校のロゴマークを映す静止画面で映像は終わった。


『続いて、校長式辞。全員、起立!』


 3000名の花君候補生たちが教官の声に従って一斉に立ち上がり、礼をし、着席をした。


 壇上を歩いてきたのは、身長2メートルはあろうかという巨漢の男性。

 皺の深さから見て、年齢は50代か60代だろうか。猛々しい口髭と眉毛を生やしているが、頭は眩いばかりのスキンヘッドだ。睨みを利かせる両の眼は、仁王像にも劣らぬような威圧感を放っていた。


『花君候補生諸君、まずは入学おめでとう。私がこの学校の校長、花麒麟厳吾はなきりんげんごである!!』


 その声は、まるで腹を空かせた熊が呻っているかのようだった。

 スピーカーはその声量に耐えきれず音割れを起こし、花君候補生たちはそのハウリング音に思わず両耳を塞いだ。


『君たちは全国から選ばれた優秀な人材だ。我々は君たち一人一人に適性が有ると判断した結果、本校への入学を許可した。厳しい学校生活の中で、死にもの狂いになりながら卒業を目指して努力してほしい』


 校長の話を聞いていたタヅナは腕をつつかれ、右隣にいた候補生の方を向いた。

 2つ折りにされた淡いピンク色の紙と、双眼鏡が差し出されている。どうやら自分宛てに回ってきた手紙だという。

 それを受け取り、封を開くと、蜜を滴らせた花のような香りがフワッと広がった。


『この中に、「たかが専業主婦になるために、なぜ死に物狂いになる必要があるのか」と、疑問に思った者はいるだろうか。最初に忠告しておこう。そんな甘い考えでは、専業主婦に成ることなど、到底不可能であると』


 手紙には達筆な文字で、


 [上の窓が開いたら、

  中央の姉妹をご覧になって。

  タヅナさんだけに向けた、

  とっておきのプレゼントが御座います。

              朝陽&月夜]


 とだけ書かれていた。


『それは何故か。この弱肉強食の社会では、外で働くことのないお姫様を喜んで養ってくれるような王子様など、ほんの一握りしか存在しないからだ。その一握りの王子様を奪い合う、婚活バトルロイアルが起こっている。ならば勝たねば、強くならねばならない。この学校はそのために在る』


 校長は高く右腕を挙げてパチンと指を鳴らし、その合図とともに先ほどのディスプレイが全面的に透過した。


 タヅナはその先に目を凝らした。ディスプレイを境にした向こう側に、何十人もの人々が立っている。


 その群衆は、横並びになっている約30名ほどの大人たちだった。

 スーツやドレス、それからスポーツのユニフォームや派手な衣装を着ている大人たちが、ワイングラスなどを片手に、こちらに満面の笑顔を向けて立っていた。


 勘の良い候補生たちが次々に甲高い声を上げ、それらは『静粛に!』と窘める教官の声によって打ち消されていった。


『幸いにも私には、大富豪、高所得者、芸能人、スポーツ選手、アーティストなど超一流独身セレブたちとの、数多くのコネクションがある。この学校の運営費は彼らからの寄付金によって賄われており、入学金、授業料、入寮費が全額無料なのはそのためだ』


 タヅナは先ほど渡された双眼鏡を目に当て、中央にいるという姉妹を探した。


「……いた」


 セレブたちが総立ちしている儀礼館の二階席VIPエリアの中央に、それぞれ青と赤の豪奢なドレスに身を包んだ2人組の女性が並んで立っている。そして彼女たちもタヅナと同じように双眼鏡を手に取りながら、こちらを見返していた。


 桔梗姉妹――数多くのメディアで活躍している、超有名オペラ歌手ユニットだ。本場イタリアで鍛えた歌唱力で、ありとあらゆるジャンルの曲を歌ってのける実力派アーティストとして知られており、TVバラエティ番組への出演や、自身のチャンネルでのネット配信など、幅広いタレント活動も行なっている。


 見た目のインパクトも凄まじく、トレードマークはその圧倒的な悩殺スタイル。ドレスから零れんばかりに実っていた両の乳房は、さながらお尻のようだった。タヅナは幼い頃から姉の巨乳を見慣れていたが、それを遥かに上回るサイズと重量感だ。


 タヅナはしばらく漫画のような2組の超巨大美乳に見惚れたあと、少し目線を上げた。するとなんと、桔梗姉妹の2人が自分の方に向けて、ひらひらと手を振ってくれているではないか。


 特に、青いドレスを着ていた妹の桔梗月夜の方に、タヅナは見覚えがあった。

 この学校の入学試験の面接で、校長の左隣に座っていたのが桔梗月夜だったからだ。


 ――「まぁ、お可愛らしい男の子がいらっしゃいましたね」


 試験会場に入室してすぐさま、彼女の纏っていた高貴なるオーラと可憐な微笑みに、タヅナは打ちのめされてしまった。面接で自分が何を喋ったのか、そもそもちゃんと話せていたのかさえ、ほとんど覚えていなかった。


 何度も噛んでしまった気がする。態度も挙動不審だった気がする。

 それでも、僕はこの学校に合格した。月夜さんが僕を合格させてくれたのかもしれない。


 タヅナも2人の挨拶に応じて、小さく手を振り返した。

 すると彼女たちは、2人揃ってプルプルに濡れ輝いていた唇に指先を当て、投げキッスを送ってきてくれたではないか。


 その歓待のジェスチャーを受けて、思わずタヅナは双眼鏡を落としてしまった。心臓が早鐘を打ち、全身を流れる血が沸くように、ポカポカと温かくなった。

 隣でジュンが小声で何かを話しかけてきたが、それらは一切タヅナの耳に入ってこなかった。女神たちからのサプライズプレゼントは、タヅナの脳裏にジュワッと焼き付いた。


『3年間の死の行軍デスマーチを生き延びろ。そうすれば必ず、卒業までに彼らと婚約させてやる。以上だ』


 一斉に礼、着席をする候補生たちの姿には、すでに軍隊などに見られるような組織的規律性が感じられた。

 動きの統一感は、回数を重ねるごとに改善している。花君候補生たちへの教化は、すでに始まっていたのだ。


『続いて、新入生代表式辞。新入生代表、牡丹ミヤ――』


 教官が話している途中で、マイクの音声がブツッと切れた。

 そのまま会場内は、何十秒間もの静寂に包まれた。


「ん?」「なになに?」「どうしたの?」


 沈黙に耐えられなくなった少数の候補生たちが、チラチラと目線だけを動かしている。

 誰も立ち上がろうとしなかったが、小声で隣の者と話しだす者が増えてきた。そのさざ波は、次第に大きな波へと変わっていった。


 どうしたんだろう? 何かトラブルでも起きたのかな?

 タヅナが座ったまま背すじを伸ばすと、何人かの教官たちが慌てた様子で会場後方へと駆けていくのが見えた。

 彼女たちがホールから出て行くと、その扉は内部に残っていた警備員によって閉じられ、ガチャコンと鍵を閉められた。


 しばらくすると、天井の照明がガコンガコンと音を立てながら奥から手前へと落ちていき、数秒後には会場は真っ暗になってしまった。

 候補生たちは一斉にどよめきの声を漏らしたが、すぐにそれらはスピーカーから流れる大音量の音楽によって掻き消された。


 無数のスポットライトの光線が闇をなぞり、候補生たちの不安や困惑の表情を次々に照らしていく。

 その軽快かつ勇壮なメロディーは、某アメコミの映像作品内で〈ミリーのテーマ〉として知られている曲だった。


 会場中央に敷かれた通路にスポットライトが集中し、それらは後方の扉の前に立っている、赤い衣装を纏った女性へと向けられた。


「まさか……」


 ライトを一身に浴びながらそこに立っていたのは、不敵な笑みを浮かべた花麒麟ヒイロだった。

 上半身には赤いロングジャケットを羽織り、その中には同じく赤いワンピースを着ている。


 トレードマークの黒メガネはそのままに、ヒイロは最中央の通路を颯爽と歩いてゆく。まるで自分一人のために開かれたファッションショーでも開催しているかのような振る舞いだ。


 先ほどタヅナと出くわしたときには履いていなかった赤いハイヒールによって、硬い床の上をカツカツと叩いて渡る音が会場内に響き渡り、勇壮なBGMに合いの手を入れていく。


 『ミスター・スカーレット』の原作にも同様のシーンがあった。きっと彼女は、ミリーがヒーロースーツで隠してきた自分の正体を、大衆の前で初めて明かすことになる場面を再現しようとしているのかもしれない。


 ヒイロは前方の舞台中央前に置かれた階段を上がり、教壇の後ろへと回って設置されていたマイクを下げると、まるでイタズラを成功させた子供のように微笑んだ。


『新入生代表、花麒麟ヒイロだ。驚いてくれたかな?』

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