入学式ジャック事件〈後編〉

 ヒイロはその手にマイクを持っていなかった。どこかに身に付けたピンマイクが音を拾っているのだろうか。館内のスピーカーから、その凛と響く声が放たれていた。


 そんな異様な雰囲気に包まれた会場で、タヅナは頭を抱えてしまった。

 きっと、ほとんど全員の候補生や教官たちは、ヒイロがオマージュした元ネタを知らないはず。そりゃあ、みんなポカンとしちゃうよ。

 あれはたしか、『Mr.スカーレット3 地獄の結婚生活』で、主人公のミリーが自分の正体を明かすため、赤いスーツ姿で記者会見会場に現れるシーンを真似したんだろう。


『私は経営者として働いているが、君たちが戦略的に専業主婦を目指すことについては賛成している。なんなら私も、家のことを一手に担ってくれる専業主夫の男性をパートナーに選びたいと思っているくらいだ』


 いまだに警戒心を解こうとせず、獰猛な肉食獣を前に硬直するような候補生たちの様子を見て、ヒイロは咳払いをした。

 そして体が固まったままの聴衆たちを壇上から眺めながら、こう言い放った。


『だが現実は甘くない。この学校は、君たちのことを騙している』


 候補生たちのざわめきが広がった。

 そして同時に候補生たちは、彼女の独演を止めようとする教官たちがいないことに気が付いた。


『この学校に入学したのは、女子が2970名、男子が30名。しかし私はそこで、不可解なことに気が付いた。すでに配布されている〈天上人てんじょうびと名鑑〉には、男女合わせて30名のセレブしか記載されていないんだ。候補生の数に比べて、セレブの数が圧倒的に少ないことになる』


 ヒイロが再び画面を切り替えると、今度は書類の拡大画像が表示された。その表題は[第七回 花麒麟花嫁専門高等学校 設立会議議事録]。


『そして私が入手した内部資料には興味深いことが記されていた。[最終的な卒業生の数は30名を想定。残りの候補生は、然るべき手段によって除籍する]。つまり、この3000名の内から婚約できる生徒は、たった1%。残りの99%、[2970名は、転校ないし退学処分となる]。そもそもこの学校は、君たち全員を結婚させようなどとは思ってはいないんだ』


 不安と動揺の入り交じった声の大津波が、候補生たちを呑み込んだ――その時である。

 儀礼館最後方の扉が開く音が聞こえてタヅナが振り返ると、何人もの教官たちと警備員たちが続々と入ってきていた。

 彼らは険しい顔つきで舞台上を睨みながら、先ほどヒイロが通ってきた中央の通路を早歩きで進んでいった。


『だが、君たちには希望が残されている。人材派遣業を営む我が社〈スカーレット・ウイング〉で家政士登録をすれば、時給1500円の給与にボーナスや各種手当が付く。この学校の教育マニュアルも、我が社から流用したものだ。学ぶスキルが同じなら、給与の出る方が得だろう?』


「花麒麟ヒイロ!! 話すのを止めろ!!」


 教官たちが舞台上のヒイロに叫んだが、ヒイロは何食わぬ顔で教壇の前に立ち続けていた。


『3年間のアルバイトを続けられた者には、正社員雇用を約束しよう。さらに入社した暁には、グループ関連会社内での婚活支援サービスも提供する。どうだ? 願ったり叶ったりだろう? この学校を退学する際には是非、検討していただきたい! 以上だっ!!』


 そう言うとヒイロは、背中に隠し持っていた赤い弓矢を前に構え、非常扉に向かってそれを放った。

 ドゥゥゥゥンという爆音と共に白煙が立ちのぼり、儀礼館の骨組みが軋んで揺れる。

 何百名もの候補生たちが悲鳴をあげながら席から立ち上がると、我先にと反対側の壁の方まで走って逃げていく。

 緋色は壇上から飛び降りると、そのまま駆けていき、白い煙の中へと姿を消した。


 その後しばらく経ってから、本来予定していた入学生代表式辞が行われ、入学式は閉会した。

 儀礼館から出てくるとジュンは、苛立った様子で溜め息をつき、タヅナに話しかけた。


「やっぱ校長の娘、頭おかしいわ。入学式を乗っ取るとかどうかしてるよ。タヅナはあんな女に関わらないようにね?」

「う、うん……」


 そう空返事をしてみたはいいものの、タヅナの着ていたジャケットの右ポケットには、先ほど花麒麟緋色から差し出された名刺が入っていた。



  * * *



 入学式が終わったあと、花麒麟ヒイロは秘書のマリアと二人きりで、教科棟の地下一階に設置した臨時オフィスの一室にいた。

 まだ部屋の中には引っ越し用ダンボールが積まれており、新品の什器特有の人工的な匂いが充満していた。


 ヒイロがワークチェアに座りながら、まっさらなデスク上に投影したARキーボードで文字を打ち込んでいると、ビデオ通話の着信を知らせるポップアップアイコンが視界の端に見えた。

 ヒイロは3秒ほど視線を宙に泳がせたあと、スマートグラスのフレームを指で横になぞり、応答した。


「なんだ?」


 目の前のARスクリーン上に、ふてぶてしい顔をした、スキンヘッドの男が浮かぶ。


『至急、校長室まで来い』

「要件は?」

『来たら伝える――』


 通話ウィンドウが閉じられた。親子の会話はいつもこうだ。唐突に始まり、唐突に終わる。交わされる情報は必要最小限度。


「お父様ですか?」

 隣で様子を察したマリアが声をかけてきた。


「ああ、ちょっと行ってくる」


 臨時オフィスを出て10秒ほど廊下を歩けば、そこはもう校長室の前。

 これから何度も会社と校舎の間を往復するのが非効率的だと考えた末、応接用に予定していた客間を横取りした。仕事の合間を縫って父親との口喧嘩に対応できるという点も、大きなメリットだ。


 ヒイロは校長室のドアの取っ手を引こうとしたが、そもそも取っ手が無いことに気が付いた。


「来たぞ」

『ノックをしろ』


 ドアの目線の高さにディスプレイが展開し、ふてぶてしい顔が映しだされた。

 固めた右拳で二回ほどその顔を殴ると、ロックが外れる音とともに、ドアが左にスライドして開いた。


 部屋には何一つ物が置かれていない横長の机と、男の座る椅子があるだけで、他には何も無かった。


「要件を教えろ」

「心当たりは無いか?」

「いや?」

「そうか、では教えてやろう」


 新たに校長という肩書きを得たその男は、机の上に書類の束を放り投げていった。


「これが[儀礼館非常扉の修理代]、これが[会場設備使用料]、そしてこれが[内部機密条項違反の罰則金]」


 一つ一つ請求書が指差され、激情を押し潰すような声で伝えられた。

 ヒイロは公共料金の支払いが滞ってしまったというような顔でその書類に目を通すと、まとめて脇に抱えた。


「劇的な演出だっただろう? 費用は少々高くついたようだが」


「怪我人が出ていたら警察沙汰だったな」

「『出ていたら』だろ? 私を候補生代表として扱わなかったからこうなったんだ」


「もう充分に話した。この学校を私が設立した真意も、情報を隠した我々の真意も。それをお前は理解しようとしていない」


「私は父から『人の考えなんて気にするな』と教わったんだ」

「文脈があるだろう、文脈が」


 ふとした瞬間に、誰よりも自分のことを理解してくれようとした、あの頃の父の笑顔が蘇る。


 ――「これからの社会には、女性のリーダーが必要だ」

 ――「誰かのヒロインじゃない、みんなのヒーローになるんだ」

 ――「緋色ならできる。父さんは応援しているぞ」


 私に英才教育を施し、海外留学を経験させ、絶えず励まし、背中を押して自信を持たせてくれた父。

 [家庭の家事負担をゼロにする]という企業理念を掲げ、世界有数の家電メイカー〈HANAKIRIN〉を育て上げた創業者。

 当時としては珍しく、女性社員を積極的に管理職で雇用し、日本中から注目を集めた革新者。

 そんな父のことを恨むどころか、心の底から尊敬さえしていた。

 それなのに――


「前にも言ったが、職業訓練校と聞いたから教育ノウハウを提供したんだ。若い女と結婚したがるおっさんたちの都合で創られた、トライアウトだとは聞いていない」

「契約書をよく読まなかったお前が悪い」


「なっ……ともかく! 彼女たちがこんなところで回り道をするメリットなんてない! 私はこの学校の不誠実な部分をカバーするために、セカンドプランを提案しただけだ!」


「お前の方こそ仕事で忙しいのなら、“こんな学校”に籍を置かなくとも良かろう。今の仕事量のまま学業との両立なんて――」


「私には、私の目的があるの!!」


 そう吐き捨てると、背中を向けて扉まで大股で歩いていき、自動で開いた扉から出ていった。

 臨時オフィスに戻り、ワークチェアに腰を打ち付けるようにして座ると、マリアがキーボードをたたく手を止めた。


「また親子喧嘩ですか?」

「喧嘩じゃない。双方の見解の相違点を再確認しただけだ」


 ヒイロはピルケースに入れていた夕食分のサプリの山を手に盛ると、冷えきったブラックコーヒーで胃の中へと流し込んだ。


 なぜ父と話すと、いつも喧嘩別れのようになってしまうのだろう?

 なぜ苦しいときに父に相談することを躊躇ってしまうのだろう?

 なぜ私は、父の言動に対して過剰に反応してしまうのだろう?

 ありとあらゆる問題解決をしてきても、これらの問題だけは一向に解決できる気がしなかった。

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