白馬に乗った女騎士〈後編〉

 手綱は上目遣いで花麒麟緋色の表情を窺った。

 彼女は訝しげな表情をしており、苛立っているようにも見えた。

 街中の巨大看板で、駅構内の動画広告で、無料アプリの広告バナーで見慣れていたはずのその顔には、やけにリアリティを感じない。知っているのに、知らないような不思議な感じがする。


「えっと……えっと……」


 このとき手綱は、気が動転していた。

 スマホを取り上げられてしまっていたから今の時間はわからないが、とにかくもうすぐ入学式が始まってしまうだろう。

 儀礼館の場所がわからない以上、彼女たちに助けてもらうしかない。


 でも、どうしよう。これまでのこと、なんて話そう――


「おい、大丈夫か?」

「あのっ……えっと、儀礼館のトイレがいっぱいで、他のところを探して見つけたんですが、そしたら帰り道がわからなくなってしまいまして――」


「つまり、迷子になったのか?」

「……はい、その通りです」


 認めたくなかった事実を突きつけられ、手綱は肩を落とした。

 恥ずかしがらずに、最初からそう言えば良かった。


「では会場まで車で送ってあげよう。私たちもこれから向かうところだったんだ。マリア、手配してあるな?」

「はい、エントランス前に出してあります」

「あっ、ありがとうございますっ!」


 3人でオフィスビルから出てきたところ、玄関先のロータリーに、白くて縦に長いリムジン型の乗用車が停まっていた。


「すごい……」


  〈ヴィンセンティア〉だ。

 その全長9メートル超にも及ぶ白亜の車両の名前を、手綱は知っていた。『ミスター・スカーレット』に登場する、主人公の愛車だったからだ。

 主人公ミリーのピンチに駆けつける、自動運転の頼れる相棒。その流線的で優雅な白いボディは、日光に反射してテラテラに輝いていた。

 まるで実写映画版でも登場していたスーパーカーが、スクリーン上から飛び出してきたような迫力すら感じる。


 でも、なんでこんなものが、こんなところにあるんだろう? 自作したのかな? それにしても精巧なレプリカだなぁ。

 手綱が物珍しそうに車体の隅々を観察していると、その車の中央部にあるドアが、反時計回りに回転しながら、上にスライドして開いた。


「さぁ、乗りたまえ」

「……失礼します」


 手綱は言われるがまま車内に足を踏み入れてみて、さらに驚いた。なにせ、映画で見たものと全く同じ内装だったからだ。

 6人掛けの白いシートに、色とりどりのグラスとシャンパンが並ぶ棚。窓には黒いスモークがかかっており、外からは中の様子を見ることが出来ないようになっている。


 緋色による指先での遠隔操作ジェスチャーでドアが閉まると、全く加速の揺れを感じない緩やかな動きで発車した。

 もしかして運転席にはドライバーがいなかったりして。いや、まさかそこまでは再現されてないよね。


「それで……君も専業主夫になるために入学してきた生徒というわけか」


 対面に座っていた緋色は足を組み替えて腕を組み、万引きして捕まった少年を見るかのように冷たい視線を向けてきた。


「はい、そうです――」

「情けない」


 それは、手綱の答えを予見していたかのような、清々しい言い切りっぷりだった。


「専業主夫になっても未来が無いだろう。何のキャリアも積まぬまま結婚しても、女に捨てられたら人生終わりだぞ?」

「……はい、すみません」


 手綱は、取調室で尋問を続ける刑事に対し、己の罪を認めるような気持ちで答えた。


 ――「女に捨てられたら人生終わりだぞ?」


 本当にその通りだと思う。僕には専業主夫だって勤まらないかもしれない。そもそも、僕なんかと結婚したいと思ってくれるようなお金持ちの女性なんているのかな?

 わからない。あらためて考えてみると、いないような気がする。入学は出来たけど、卒業は出来ないかもしれない。

 そしたら僕は中卒のニートだ。あ、でも、おじいちゃんの食堂で雇ってもらえれば、一応フリーターにはなれるはず。


 手綱は緋色の正論に何も言い返せないまま視線を落とし、その場に固まっていた。

 緋色の瞳はまだ手綱を捉えて離さなかったが、手綱にはもう一度彼女と目を合わせるほどの勇気も、的確な反論も湧いてこなかった。

 緋色の隣に座っていたブロンドヘアーの秘書は、膝に乗せていたノートパソコンを無言でパチパチとたたいていた。


『目的地に到着しました』

 原作通り無機質なアナウンス音声が流れると車が停止し、左側のドアが緋色のジェスチャーによって上部に開いた。


「降りたまえ」


 その声に手綱が顔を上げると、緋色は目線すら向けようとせずに、空間に指で何かの文字を書くような仕草をしていた。手綱の目には、彼女の全身から完全なる拒絶のオーラが放たれているかのように見えた。


「はい……」


 手綱は座席から腰を上げながら、胸の奥底から立ち昇ってきた、むず痒い想いに気が付いた。

 1つだけ、彼女に言い残したことがあったのだ。


「そういえばこの車、ヴィンセンティアにそっくりですね。実は僕も、『ミスター・スカーレット』のファンなんです。それじゃ――」


 手綱が車から降りようとすると、目の前のドアがバタンと閉まった。


「『そっくり』じゃない。この車こそ、ヴィンセンティアだ」


 緋色は空間を指でなぞる仕草を続けながら、独り言でも漏らすかのようにそう言った。


「ええっ!? ってことは、この車、本物ですか?」

「『本物』の定義にもよるが、実際に撮影で使用したものを私が買い取ったんだよ」

「すっごーい!!」

「だからシートの下には、これも入っている」


 緋色はそう言いながら立ち上がると、座っていたシートの座面を持ち上げて、収納場所から赤い弓を取り出した。


「うわぁ! 〈スカーレット・ボウ〉だ! それも本物なんですか!?」

「ああ。製作プロデューサーに知り合いがいてな。譲ってもらったんだ」


 彼女は手綱に向けて弓を構え、弦を引く真似をした。

 その弓は正義を執行する赤き天使、その手に握られているトレードマークのメインウェポンだった。そこから放たれた〈高周波電磁矢〉には、貫かれた者の信念を浄化する効能がある。


「かっこいー!!」


 これ以上ないほど的確なタイミングで出される手綱の相槌に、緋色は思わず頬を紅く染めた。

 次に彼女は再びシートに座り、そのカンガルー革を繋ぎ合わせた表面を指先で愛おしそうに撫でた。


「このソファも原作通りの最高級仕様だ。映画では感触まで伝わらないのが残念だな。ミリーがラクティの膝の上に頭を乗せたシーンも、この車内で撮影されたんだ」

「座り心地良いですもんね!」

「わかるか! それとまだこだわった部分があるんだ!!」


 一分後も緋色のマシンガントークは止まらなかった。彼女の頬は次第に緩み始め、眉はハの字に垂れ下がっていた。


「カーチェイスシーンの自動運転システムは我が社が提供したものだ。あのシーンは原作通りAIが操作している!」

「なるほどー!」


 そのまた1分後には、うっすらと汗ばませながら語り倒し――


「エンドクレジットには私の名前も載っているぞ! 主役のイエサ・ライアンとも明後日ニューヨークで食事をする予定だ!!」

「すっごーい!」


 そのさらに1分後には、鼻先から落ちかけていた黒メガネのレンズを、熱い吐息で曇らせていた。


「なんなら私のコレクション部屋にはもっとすごいものが――」

「社長!」


 およそ3分間にも及ぶ自慢話の独壇場が、秘書の一声によって遮られた。肩で息をしていた緋色は、ようやく秘書の方に顔を向けた。


「只今、入学式開始時刻1分前となりました。そろそろ彼を開放して差し上げてはいかがでしょう? それに、私たちにも打ち合わせが――」

「おっと、もうそんな時間か……」


 緋色は名残惜しそうに溜め息をつくと、胸元から銀色のケースを取り出し、1枚の名刺を指で挟んで差し出した。


「これも何かの縁だ。後日、私に連絡したまえ。君に適当な進学先か就職先を紹介してあげよう」

「……どうも」


 僕のことを心配してくれているのかな。そう思いつつ、手綱は名刺を受け取った。


「まだ君には話すことがある。必ず連絡するように」

「はい」


 手綱が車を降りるとドアが自動で閉まり、ヴィンセンティアは発車した。


「あれっ? 降りないんだ……」


 花麒麟さんもこの学校の生徒のはずなのに、入学式には出ないのかな?

 やっぱり、仕事で忙しいんだね。わぁ、すごい! この名刺、動画が流れてる!

 そんな矢先、儀礼館の方から女の子の叫び声が聞こえてきた。


「タヅナァァ!! そんなところで何してるのぉぉ!?」

 その聞き慣れた甲高い声に振り向くと、事務員らしき女性によって閉じられようとしていたドアに、純が手足を挟んで抵抗していた。


「早く来てぇぇ! あの子なんで、まだ開けといてください!!」

 名刺をジャケットの胸ポケットに入れると、手綱は小走りで純の元へと駆けていった。


「ごめぇぇん。やっぱり迷っちゃったぁ」

「いいから早く早く!」


 純に手を引かれながらホールへ入っていくと、会場が途轍もない緊張感に包まれているのを肌で察した。

 約3000名の候補生たちが、整然と並べられたパイプ椅子に無言で座っている。

 そんな会場内に2人の足音だけが反響したため、手綱は息を詰まらせた。壁際に立っている教官たちの無数の視線が、全身へと突き刺さる。


「そこ、そこ。すみませぇん……」


 着席している生徒たちの前を謝りながら席に座ると、金属同士が擦れ合うようなマイクのハウリング音が響き渡った。


『それではこれより、花麒麟花君専門高等学校、入学式を執り行う。全員、起立――』

 3000名の立ち上がる地響きが、儀礼館を揺らした。

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