白馬に乗った女騎士〈前編〉

 濃い緑色のブレザーを着た少女たちが、樹液に群がる無数の昆虫たちのように蠢いていた。

 少なくとも手綱の視界には、男子生徒の姿が1人も見当たらない。


 郊外にある、自宅の最寄りの駅から電車を乗り継いで約1時間、スクールバスが出ると知らされていた駅の改札を出ると、未曾有の女子高生地獄というような光景が広がっていた。


「うわぁ、すごい匂い……」


 恐怖で全身を震わせている手綱の隣を歩いている純も、思わず鼻をつまんでいた。

 石鹸やら、消臭スプレーやら、化粧品や香水やらの入り交じった不快感を催す匂いが、鼻腔にまとわり付いたのだろう。


 大群をなす女子たちの中には、彼女たちの保護者や家族のような人たちも混じっていた。

 都心の外れにあるその小さな駅は、今までに経験したことのない混雑に見舞われていたのかもしれない。改札口から下りたところの歩道では、駅員と警察官らが声を荒げ、必死な形相で交通整理をしている。


「手を離さないでね」

「うん」


 純に左手を引かれながら、手綱は待機列の最後尾へと並んだ。

 駅前のロータリーから、続々と専用のバスが発車していく。


 我が子を見送りに来た親たちの中には、涙を流して別れを惜しむ姿もあった。入学式に保護者が参加できない高校は珍しい。


 15分ほど待っていると、2人は4列シートのバスに乗りこめた。席は後ろから2列目、進行方向の右側、もちろん純の隣だ。


「何これ?」


 バスが発車すると、手綱は持っていた手さげのビニール袋を、純に取られた。


「え? あっ、あぁ、駅前で配ってて」

「ふーん」


 透明の袋の中に入っていたのは、アルバイト情報の載ったフリーペーパー。その表紙には、ショートカットに黒メガネをかけたスーツ姿の美女が全面に写っていた。

 [世界が、君を待っている]というキャッチコピーを添えて。


「これ、入学するって噂の、校長の娘じゃん。[花麒麟緋色:15歳でバーハード大学を卒業。在学中に起業し、〈スカーレット・クロス〉のCEOに就任。ブォーフズ誌にて『世界を導く10人のティーンエイジャー』に選ばれる。]だって」


 花麒麟緋色の名前と顔は、有名人に詳しくない手綱でさえも知っていた。

 街頭広告のポスターで、ニュース番組の特集で、ネット動画のCMで、彼女の顔を見ない日は、ほとんどなかったからだ。

 花麒麟緋色は、あり得ない若さで世界トップの大学に入学・卒業し、さらにあり得ない若さで企業・事業を成功させた超天才少女として、世間に知られていた。

 まさか彼女と、同じ学校の同級生になるだなんて思ってもみなかった。


「なーんで、こんな天才お嬢様が専業主婦なんかになりたがってるんだろうねー? 一人で生きていけるっしょ」

「……さぁ?」


 手綱は彼女の顔、特にその特徴的なショートカットを見かける度に、とあるアメコミの主人公を思い出した。

 〈ミスター・スカーレット〉に登場する女性ヒーロー、〈ミリー・ユーフォルビア〉の姿を。


 緋色とミリーは、その切れ味鋭いショートカットをはじめ、眼鏡やスーツの着こなし方に至るまで何もかもがそっくりだった。

 それもそのはず。彼女は『ミスター・スカーレット』のファンとして有名で、マニアにしかわからないようなコアな話を、インタビュアーに対して延々と熱く語っている動画が再生数を伸ばしていた。


 入院していたときにコミック全巻を読破して以降、手綱も作品のファンだ。実家の部屋にはフィギュアが置いてあり、壁にはポスターも貼ってある。それでも花麒麟緋色ほどの熱狂的ファンとまでは言えなかった。


 彼女は、映画版の撮影で使用された様々な小道具や、〈ヴィンセンティア〉と呼ばれるヒーローの愛車まで持っているらしい。

 さすが億万長者。もし見られるものなら、一度でいいから本物を見てみたい。でもまぁ、僕が学校で話しかけることはないんだろうなぁ。


 手綱がそんなことを考えながらバスに揺られていると、東京湾が見えてきた。

 花麒麟家の私有地として埋め立てられた広大なエリア――東京ドーム約五個分の広さ――が、丸ごと学校の敷地になっているというから驚きだ。

 海上に敷設された一直線の専用道路橋を、何台ものバスが縦に連なり渡っていく。


 埋め立て地の周りにはそれを取り囲むようにして、ミサイルを撃ち込まれても壊れなさそうな巨壁が聳え立っていた。まるで絶対に脱出不可能な監獄の中へと、囚人たちを移送していくような光景だ。

 高さ10メートルはあろうかという巨大な門の間をバスが通過していく。門の両脇には、警棒を構えた警備員が立っていた。


 バスを降りると、艶やかな着物を着て黒髪を結った中年女性たちが、困惑の表情を浮かべている少女たちの群れを誘導していた。


「縦2列に並びなさい。列を乱してはなりません」


 その口調は淡々として丁寧なものだったが、有無を言わさぬような迫力があった。

 手綱たちは前の生徒についていくようにして、〈儀礼館〉と名付けられた、黒塗りの体育館のような施設の中へと入っていった。


 入口を入ってすぐ左側に事務員の並ぶ長机が設置されており、事前に配布されていた整理券と引き換えに、学生証や入学書類などが入った袋が手渡されている。

 手綱はその袋を受け取ると、学生証に印字されている苗字が自分のものではないことに気が付いた。名前の欄には[芍薬タヅナ]と記載されている。


「あのっ……これ、苗字が違うんですけど」

「大丈夫です。あとで説明があります」


 書類の名前欄の上をよく見てみると、たしかに本名も小さく記載されていた。いったい、これはどういうことなんだろう。


「アタシのは[蓬莱羊歯ジュン]だってー、芸名みたーい」

 純は遠足前日の小学生のようにウキウキとした表情を浮かべていた。


「そうだ! タヅナ、トイレは大丈夫?」

「んー、ちょっと行きたいかも」

「式が始まる前に済ませておこうね」

「うん」


 手綱は純に手を引かれながら、入場しようとする少女の波に逆らって、かき分けていった。ところが――


「ウソ……でしょ?」


 そこには100名は入れるのではと思えるほどの広大なスペースを有した女子トイレと、おまけのように併設されたバリアフリートイレ1つしか無かった。

 女子トイレの列は比較的スムーズに流れており、むしろ少数の男子や警備員たちが、たった1つのバリアフリートイレの前に行列をなしている。


「すぐには使えなさそうだね。僕は他のところに行ってみるよ」

「1人で大丈夫?」

「また子ども扱いして!」

「道に迷ったら電話するか、近くにいる人に聞きなよー!」

「学校の中で迷子になるわけないじゃん!」


 勇み足で駆けだした3分後、手綱は学校内で迷子になっていた。

 気が付けば見知らぬ建物の中で、見知らぬ外国人たちに囲まれ、英語のシャワーを浴びていた。


「ここ、どこぉ?」


 幼い頃から手綱は迷子の天才だった。

 デパートで、最寄りの駅で、近所の公園で、その才能は遺憾なく発揮されてきた。

 1日のうちに3回も迷子になった遊園地では、アナウンスのお姉さんに「ボク、また来たの?」などと笑われ、プチトマト1個分ほどの小さな自尊心が傷付いた。

 小学生になっても、中学生になっても、高校生になった今でさえ、その才能は少しも衰えていなかったのだ。


「ここまでどうやって来たんだっけ?」


 記憶力が異常に悪いわけではない。ただ、迷ってしまった焦りから当てずっぽうで歩き回ってしまうので、いつもどんどんゴールから遠ざかってしまうのだ。


 手綱は胸に手を当てて深呼吸をし、これまでの道のりを思い返してみた。

 噴水が連なった水路の脇を曲がり、鮮やかな花々が植えられている花壇が両脇を彩る通路を渡って、誰もいない新築の校舎内へと入り、やっと見つけた男子用トイレで用を足して校舎を出てきたところまでは覚えている。

 もしかすると、出てきた通用口がさっきと違ったのかもしれない。


 不安に駆られて歩きだしてみるも、やはり行きとは違う方向に進んでしまったらしい。走れども走れども見覚えのある建物は見つからず、住宅展示場のように一軒家が建ち並んでいる場所や、立派な豪邸に隣接した大庭園の中にまで入り込んでしまった。


 とにかく学校の敷地が広すぎる。東京ドーム五個分の面積という広さを、手綱はその足で思い知ることとなった。

 不安な気持ちで胸がいっぱいになり、恐怖が、焦燥感が足を走らせる。

 息は切れ、心臓はバクバク、頭の中は真っ白。


「どこぉ……? ここどこぉ……?」


 純に電話で助けを求めようとスマホを取り出してみるも、まるで故障してしまったかのように、どこへ行っても圏外のまま。

 半泣きの状態で手綱が辿りついた結論は、誰かに道を聞いて、あわよくば会場まで案内してもらうことだった。


 ところが、周りは人っ子一人いないテーマパーク状態。様々なデザインの様々な建物が建ち並んでいるが、どこも人がおらず、扉が閉まっているところも多かった。

 それもそのはず。今日は入学式の日で、今はまさに式が行われようとしている時間帯。校内をうろつくような者は誰もおらず、警備員たちは先ほどの体育館のような建物に集中して配備されているようだった。


「誰かぁ……? 誰かいませんかぁ……?」


 10分ほど歩き続けて街路樹の並木道を抜けると、幸いなことにガラス張りの大きな建物があった。綺麗に磨かれた窓からは、何人もの人影が透けて見える。

 中へ入ると、ロビーで談笑する何人もの外国人たちがいた。

 英語の先生かもと思い、手綱は彼らに話しかけてみることにした。


「あのぉ、すみませぇぇん」

「(どうした子猫ちゃん。ママでも探しているのかい?)」


 話しかけてくれたのは、ムキムキマッチョな褐色肌をした大人の男性。

 が、しかし、Tシャツを胸筋でパツンパツンにしていた彼から放たれたのは、淀みのないネイティブイングリッシュだ。

 英語文法も英会話も赤点スレスレで乗りきってきた手綱に聞き取れた英単語は、何一つ無かった。


「えっと……学校! スクール!!」


 何事かと集まってきた外国人たちの中に、一人でも日本語を話せる人がいたらと期待したが、残念ながらどの人も片言レベルだった。


「(おっと、日本語の分かるやつが来たじゃないか。ヒイロ! マリア!)」


 ムキムキの男性が指笛を鳴らし、廊下を並び歩いていたスーツ姿の女性2人組に手招きをした。

 その女性たちの1人は黒いスーツ、もう1人は青いスーツを着て、2人ともハイヒールを履いていた。


「(何の用だ、ペドロ? 仕様の件はさっき打ち合わせしただろ)」

「(この子猫ちゃんが君に用があるらしい。)ニ・ホ・ン・ゴ!」


「君は……」

 黒メガネから手綱の方へと鋭利な視線が向けられ、背すじに稲妻が落ちていくような衝撃を感じた。


 黒い細身のネクタイに、白いカッターシャツ。

 ミリーによく似た切れ味鋭い前髪が特徴的な、ショートカットの長身女性。しかも、ついさっき写真で見たような顔。

 間違いない。彼女こそ、花麒麟緋色さんだ。


 たしかに、ものすごく仕事の出来そうな人のようなオーラが放たれている。

 彼女の隣には、同じくらい背の高いスーツ姿の女性が立っていた。白い肌、綺麗なブロンドのロングヘアーは青い上着の腰元まで靡いており、得も言われぬ妖艶な香りを漂わせていた。


「その制服は、あの学校のものですね」

 ブランドヘアーの女性の口から放たれたのは、淀みない発音の日本語だった。

 秘書の人なのかな? 手綱がそんな推理をしていると、再び黒メガネの女性がキッとこちらを睨みつけてきた。


「どうしてこんなところにいる? この建物は、私の会社のオフィスビルだぞ?」

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