寂しい気持ち

 卒業試験が無事に終わり、長い修行期間を思い出して感慨に耽る間もなくユーリは王宮で働き始めた。

 ユーリは元々高い身分ではない。国王から望まれる形で王宮内にある降霊術課で働くことが決まったのは、王家からの信頼も厚いハーウェル家の推薦もあったから。けれど一番の理由はユーリが霊に愛され、無意識に彼らを引き寄せてしまう体質のせいだ。

 ロスーン国では建国より精霊との繋がりを大切にしていたし、友人である彼らと会話が出来る人間は、国の行く末を占う相談役として大変重宝されていた。


「最近、物騒な話も耳にしますからね、ユーリくんの力が必要なんですよ」

 王宮内の長い廊下。ユーリは赤い絨毯の上をエルベルトの後ろについて歩いていた。

「……でも僕に出来ることなんて、霊とお話するくらいじゃないですか」

「卑屈ですね。もっと自信を持ってもいいのですよ」

「自信なんて、持てないです」


 王都にあるハーウェル家の広大なお屋敷で、テオと共に住み込みで過ごした約九年間。隣国の『リサーヌ』と一時は緊張状態もあったが平和な時代が続いていた。だから、ユーリたちも戦争に駆り出されることなく、日々勉学に励んでいるだけでよかった。

 エルベルトが言うには国の治安が安定しているときの術師の仕事は、祭事くらいしかすることがないらしい。だから王宮で働いていたエルベルトも暇を持て余し、自分たちのような弟子を持つ気になったのだろう。

 けれど平和な世の中もずっと続く保証はない。最近、きな臭い噂話が街で聞こえ始めた。降霊術課の人員も、エルベルト一人ではなく複数人いた方が良い。

 それが王家の考えだった。

 有事の際の降霊術課の仕事は、国にとって脅威となるような情報収集を積極的に行い、大事が起こる前に争いの火種を消し、国の治安を維持することだった。

 国を守るための高い城壁や多くの兵を持ちながらも、その圧倒的な力を使う事なくロスーン国は長年平和だった。その平和が続く理由は、国が霊と繋がりを持ち、王宮降霊術課が、事前に危険を察知しているからだと国民は信じている。ただ、ユーリは信仰心を大切にし、王家も含めて極端に争いごとを嫌う穏やかな国民性が理由だと思っていた。


「ユーリくんは、やっぱり、降霊術課で働くのは、気が進みませんか? 国王様に力を認められるなんて光栄なことですよ?」

「先生には、とても感謝してます。術師として王宮で働く覚悟だって、先生に弟子入りした時にしていました」

「じゃあテオくんがいないからかな」


 術師になることに迷いがなかったのは、近くにいつもテオがいたからだ。そんなユーリの心のうちをエルベルトは簡単に言い当てる。

 ユーリが覚悟出来ていなかったのは、テオと離れて一人になることだった。


 ――今、テオは、ハーウェルのお屋敷を出て、この王宮内の近衛兵として働いている。

 いつも隣にいたテオは、ずっとエルベルトの下で一緒に学んでいたのに、卒業したら、掌を返すようにユーリと別の道を選んでしまった。

 もちろんユーリと違いハーウェル家と念書を交わして弟子入りしたわけじゃないので、テオが卒業後どんな道を選んだとしても、それは自由だった。

 むしろテオが一緒ならハーウェル家の養子になってもいいと条件を出したのはユーリだった。


「何もそんなに、しょんぼりしなくても、テオくんと永遠のお別れをしたわけじゃないでしょう?」

「別に、しょんぼりなんか」

「してるよねぇ?」


 突然足を止めてエルベルトは振り返る。ハーウェルの屋敷にいる時は、地味なローブを身にまとっていたが、エルベルトもユーリも、今は支給された制服に身を包んで、王家で働くにふさわしい格好をしている。深い青色のケープ付きブラウスに丈の長い導師服には、ところどころ銀糸で美しい刺繍が施されていた。

 導師服は堅苦しいし正直自分には似合わないなぁと思っている。そして、そう思いながらも毎日この服を着て王宮へ上がるようになって、かれこれ一週間が過ぎた。

 それは同時に家族のように毎日一緒にいた幼馴染のテオと離れた期間でもあった。

 以前はテオとともにハーウェルの屋敷の同じ部屋に住んでいたが、ユーリは、いま王宮内に広い私室を与えられ、そこに一人で住んでいる。

 寂しいな、と折に触れて感じていた。


「テオにとっての、九年ってなんだったんだろう」

 降霊術師になるのが、嫌になったのなら、嫌になった時点で、もっと早く言ってくれれば良かったのにとユーリは思う。

 ユーリはテオのことを、なんでも話せる親友だと思っていた。卒業したから自分は用済みみたいに、さよならされるなんて考えたこともなかった。

 テオの未来を縛っていたのは間違いなくユーリだった。幼馴染として兄弟子として、そんなにも頼りなかったのかとショックから立ち直れない。

 去年、テオと一緒がいいから、王宮で働くのは一年待って欲しいとユーリはエルベルトに懇願した。そんな子供じみたわがままをエルベルトは、叱りもせず笑って許してくれたが、それは無意味なことだった。


「テオくんの話を聞いた時、私も最初は驚きました。でも自分の仕事は、自分で選ぶべきですし、なにより降霊術師には、向き不向きがありますからね」

「僕なんかよりテオの方が、降霊術師に向いてますよ」

 ユーリは暗いのも苦手だし、霊は怖い。

 テオより一つ年上のお兄ちゃんなのに、弟子入りする前も、弟子入りしたあとも、いつだってテオにくっついていた。

 もちろん、これでもエルベルトの下で修行するようになってから、怖がりも多少はマシになった。でも怖いものは怖いし、この世界に怖いものなんてないと言い張るテオの方がよっぽど降霊術師向きだと思っている。


「うーん。その見解は私と異なるね。私は、テオくんより、ユーリくんの方が降霊術師に向いていると思っていますよ」

「怖がりでも?」

「そうですね……例えば、そう。――悪霊を消す場合」


 エルベルトの紫の瞳が、少し陰った気がした。ユーリも「消す」という言葉に暗い気持ちになる。


「国が霊を使役し、自由に扱うことの出来る。他国のようなネクロマンサーとしての力を欲しがっているのなら、テオくんは重宝されるかもしれません」

「そんな、テオは、絶対そんなこと出来ません。霊を消すなんて。彼ら霊は住む世界が違いますが、私たちの友人です。もちろん悪い霊がいることはわかってます。だからどうしようもない時、教会は悪魔祓いをする。でも自分たちは……」


 ユーリには、どんなに目の前に怖い霊が現れても、それが人間と変わらない存在に見えている。この国の術師は、その手で彼らを消すことは出来ない。

 それは術師の家系であるハーウェル家がずっと教えていることでもあった。ユーリもそれは同じ気持ちだった。

 異形の存在が怖いばかりだったユーリが、学問としての降霊術を学び、彼らを自分と変わらない存在と信じられるようになったのは、エルベルトの下で学んだからだ。


「もちろん、これは例え話だよ。この国では、悪霊だとしても、使い魔として従えることは禁忌だから。私たちは、彼らの力を借りることはしても、その存在や心までは操ってはいけないから。これは何度も君たちに教えてきたことだ」

 エルベルトはユーリに微笑んでから窓の外へ視線を向けた。


「はい」

「私が言いたいのはね、テオくんは君より負の面に惹かれやすい性質が昔からあった。喧嘩っ早いところや、粗暴な立ち居振る舞いがね。ユーリくんは、今まで喧嘩なんてしたことないし、暴力なんてもってのほかでしょう?」

「それは、痛いのも怖いのも嫌いですけど、でも」

「ま、例えだから、細かいところは聞き流して。今、ロスーン国が欲しがっているのは、あくまで、自国を守るための情報収集に長けた能力。誰かを害したりする力ではない。そういう意味でユーリくんは、この王家に仕えるにふさわしい優しい心を持ってるんじゃないかな?」

「先生、僕」


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