白い犬と黒い犬

 テオは目の前の黒犬の顔に向き直る。さっきまでの獰猛そうな様子は鳴りを潜め、テオに噛み付いたことになんだかショックを受け固まっているように見えた。テオは、ふっと笑い目を細める。

「あっそ、じゃあいいや。――よろしくな」

 動物なので、たとえ霊でも人間と喋ったりは出来ないが、テオと既に血の繋がりが出来ているのか、傍目からは二人が会話しているようにみえる。地面に座って黒犬の頭を撫でているテオに黒犬は、まるで長年の友達のように自然に寄り添っていた。


「テオ! 大丈夫、手、血出てるし!」

「お前も鼻血出てるけどな。普通、顔面からいくか? 転ぶ時は、先に手付けよ」

 駆け寄ってテオの前に両膝をついて座ったユーリは、テオに鼻の頭をつままれた。

「い、痛い、テオ、でも、守護霊に黒犬は」

「別に、問題ねーだろ。こいつもそれでいいってさ。俺の手噛んだこと気にしてるんだよ。馬鹿だよなぁ、俺が勝手に口に手突っ込んだだけなのに」


 テオは、にやりと笑う。

「噛み付くなんて、きっとヘルハウンドだよ。不吉で凶暴だって言われているし、もしテオの身に何かあったら!」

 ユーリが畳み掛けるように言うと、テオはユーリの額をこつんと叩く。

「あのなぁ、ちゃんと見ろよ。こいつは教会の犬。チャーチグリムだ。噛んだのだって、ユーリに突然呼び出されて、周りを警戒しただけ。こいつの本能で別に悪気はない」

 教会犬チャーチグリムは、墓地を守る黒い犬の霊で、墓地を墓荒らしから守る以外に人に悪さをしたりはしない。基本的に優しく温和で、道に迷った子供を助けてくれたりもする。

 歴とした由緒正しい精霊だ。

 そんな優しい子を、悪者みたいに言ってしまったことに気づきユーリは慌てて謝った。


「ご、ごめんなさい、僕のせいで、びっくりしたよね」

 ユーリは黒犬に抱きついて何度も頭を撫でた。

「ほんとにな」

「その黒犬くんは、ユーリくんの強い力に引き寄せられちゃったんだね。守護霊の呼び出し自体は失敗していないよ。強い力を持つ人間は、精霊たちにとっていつだって魅力的なのです」

「また先生は、ユーリをそうやって甘やかす。失敗は、失敗だろ」

「テオくんはユーリくんに手厳しいですねぇ」

 テオは祭壇の向こうで震えている白犬に視線を向けた。


「で、そこの白犬が、ユーリの守護霊? 見た目だけは神々しいのに、お前そっくりだな。黒犬に怯えてるし」

「君もごめんね、大丈夫だから、この黒犬くんは良い子だから、ほら、こっちおいで」

 ユーリは立ち上がって両手を伸ばし白犬を呼ぶ。すると、ゆっくりとした足取りでユーリのところまでやってきた。そしてぺったりとユーリにくっついて離れない


「そいつ、ちゃんとお前のこと守ってくれるのか? この臆病者め」

 テオはユーリの足元にいる白犬の顔をまじまじと覗き込む。そのテオの顔が怖かったのか、白犬は後ろ足の間に尻尾を挟んで再びユーリの陰に隠れてしまった。


「テオ怖がらせないの! ねぇ、白犬くん、僕と一緒にいてくれる、かな? 怖がりだけど、僕も頑張って、君のこと守るから、ね?」

 ユーリは、そう言って自分の元へやってきてくれた大きな白犬の体をぎゅっと抱きしめた。

 もちろん霊なので生きている犬のような温かさも重さも感じられない。けれど確かに触れている感覚があった。

 ふわふわの白い毛並みに、三角の垂れ耳。顔を覗き込めば黒のくりっとした丸い目がユーリを見つめ返す。


「来てくれて本当にありがとう。仲良くしようね」

 ユーリが優しく呼びかけると、白犬は小さく返事をした。

「はい! じゃあ無事に守護霊との契約も終わったってことで、うちに帰ろうか。二人とも卒業おめでとう。あぁそうだ――テオくん」

 エルベルトは、テオの顔を真剣な目でまっすぐに見た。


「少し込み入った話があるので、明日の朝一人で、私の書斎まで来てください」

「それ今じゃ駄目なんですか?」

「駄目、ですねぇ」

「降霊会の翌日は、いつも勉強昼からなのに。また、ユーリだけ甘やかす」

「――理由は、君も分かってると思うけど」


 エルベルトは有無を言わさない笑顔を見せた。

 呼び出される時は、いつも二人一緒だった。突然テオだけが呼び出されたことにユーリは少しの違和感を覚える。けれど深夜の降霊会の疲れと、やっと恐ろしい森から出られることへの安堵も相まって、すぐにそんなことは忘れていた。なにより、そばにいてくれる白犬の友達が来てくれたことが嬉しくて、ユーリは頭の中で、どんな名前を付けようとか、一緒に外で遊んでくれるだろうかといった楽しいことばかり考えていた。

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