第4話 夜に私と、愛を育むのです


   *


 一面が朽ち果てた砂漠の荒野を行き、下劣な雄叫びを聞きながら、岩山に囲まれた集落に私は連れ込まれた。

 訳が分からぬくらいに改造されたオフロード車やバイクの数々。私を連れ去った群れもまたそこで停車した。見渡す限りに日差しを照り返す銀がひしめいている。この全てがアリエルの率いるリッテンハイドのメンバーの物だと言うなら、どれ程の人員が居ると言うのだろう。まるで想像も付かないけれど、ただ一つ分かるのは、私にとって、何処にも逃げ場の無い最悪がここにあるという事だけ。

 増築に増築を繰り返したのであろう雑多な廃材の集合体。鉄やトタンや木材、貴重な資材のごちゃ混ぜになった奇妙な城へと、私はアリエルに手を引かれて誘われていった。


「バァアアアアアア!!!!」

「ひ――――っ!!」


 突然フェンスに飛び付いてきた肥満の男が、涎を撒き散らして私を驚かせた。ダブつく体を揺らしながら、太い指先がフェンスの隙間から私の髪を掴もうとする。


「汚い手で私の花嫁に触れるな」

「いぎゃああああぁああ、指がぁあああ! オラの指がぁああ!」


 何の躊躇いもなくアリエルはその指先を捕え、逆向きにひん曲げた。折れた指先に眉根の一つも動かさずに彼が一瞥すると、肥満の男は泣きながら引き下がっていった。

 繰り返される狂態に、私は戦慄したまま手を引いていかれる。

 奇声を上げる男達に恐々としながら、迷路のように入り組んだ魔窟を進む。むせ返るような悪臭に鼻を覆っていると、アリエルの通り過ぎた後に、男達は百面相をして私を驚かせた。恐ろしくて、堪らない。私はこの地獄の何処まで深くに連れていかれるのだろう。どうせ殺すなら、一思いにやって欲しい。だけどそんな自由さえ、今の私には無いのだろう。


「来たぜ来たぜぇ、まぁたアリエルさんの被害者だ! 可哀想によぉ」

「顔が潰れて誰だか分からなくなっちまう前に、よく拝んでおこう、ギャハハハ」


 この狂乱の中に、私には逃げ場も希望もないのだ。


 やがて開けた場所に出た私は、天井から無数のコードが垂れた、荒れた巨大テーブルの前に座らされた。アリエルはそこに並んだ酒瓶や食べ物のゴミを眺めると、巨腕の一薙ぎで豪快に机の上を掃除する。周囲に取り巻く男達がニタリと笑っている。巨大な男に頭上から見下ろされた私は、まるで生きた心地もしなくなって呼吸の仕方も分からなくなっていた。


「お腹が空いているでしょう? ほら貴女、えぇと」

「アリアって言うらしいですぜ」

「アリア……! なんと美しい名なのでしょう。その名に運命的な何かを感じます。やはり私達は結ばれる運命だった。貴女もそう思うでしょう、アリア」

「…………っ」

「アリエルさん、このガキは喋れないんですぜ」


 アリエルはしゃがみ込んで、私の顔を至近距離から舐めるように見渡していく。私の小さくて痩せ細った体なんて、この男の三分の一にも満たない気がする。それ程にこの男の図体はデカく、人間離れしている。


「お食べ、美味しいですよ」


 アリエルは足元に落ちた黒ずんだ肉を摘み上げると、私の口に近付けてきた。得体の知れない肉を見詰めて、私は口を固く結ぶ。


「これは犬の肉だったかな? それともネズミ?」

「んん……っ! んー!!」

「おや、これは嫌い? 困りましたね。これから二人で暮らしていくのですから、食の趣味は擦り合わせて頂かないと」


 私が反射的に顔を背けると、彼の指先が頭に当たって得体の知れない肉は瓦礫の中に落ちていった。するとそこで、うるさい位に賑わっていた喧騒がピタリと止んだ事に気付く。震え上がる程に冷たい空気が、私の側にしゃがみ込んだ男の、俯いたハットの向こうから漂い始めていた。


「…………」


 黙したまま、アリエルは何も言わなかった。ただ、その背に担いだ馬鹿でかい斧がカタカタと揺れを大きくしていくだけ。


「……うん。そうですか、仕方がありませんね、食の好みはそれぞれですから」


 そう巨体の背中が囁いた時、周囲の男達が息を吐いていた。ふざけきっていた彼らが瞬時に凍り付き、極限まで緊迫していた理由が、私にはまだ分からない。


「た、助かった……」


 けれどそこで冷や汗を垂らす男の一人が、解けた緊張に肩を落としてそう呟いた。張り詰めた糸が緩んだのを見て、思わず口をついて出てしまったといった具合に。


「助かった?」


 次の瞬間、赤い目を剥いた恐ろしい形相のアリエルが、縮れた髪を逆巻かせながらその男に振り返った。ハッとした男は急激に青褪めながら、ブンブンと顔を振りながら青筋の立った顔を見詰める。


「私の兄は助からなかった。自警団を名乗る下劣の数々に追い立てられ、角材で殴殺されて皮を剥がれた……なのに、そうだと言うのに、貴方は私に皮肉を言った」

「ち、違いますアリエルさん! 俺はただっ、そんなつもり全然ッ」

「酷い。なんて残酷な事を私に言うんだ。兄は死んだのに、ムゴイ殺され方をして死んだとイウノニ! アア、アナタハ――!!」

「ひげぇえ、ええあああチガチガチガイ――!」

「ワタシノ家族を嘲笑って!! 血の通っていないバケモノ! バケモノバケモノ!!!!」


 目にも止まらぬ速さで振り抜かれた巨大斧が、風圧に家具も人も薙ぎ飛ばしていた。彼の逆鱗に触れた男と、その周囲に居た三人が、胴体を真っ二つに切り裂かれて地に転がる。


「うわぁああ!! やめで、やめでぐれ、俺は何にも言ってない、何も何も、死にたぐねぇえ!」


 突然の事に、悲鳴を上げた一人の男がうずくまる。すると吐息を荒ぶる獣の眼光が差し向いた。


「やめて? 死にたくない? 私の妹はそう命乞いをしてコロされた! コロサレタノダ!! その高尚な心を折って、首を垂れて許しを乞うてモッ!! アナタのような下郎のグズに!! 我がハイド家の恥辱をオモイダサセル! アナタは、アナタッッ! 我が一族に対する侮辱するヲ!!!」

「ぅぅびうぅいいいいい――!!!」


 太い足で大地を踏み出し、床板を跳ね上げながら飛び上がったアリエル。彼を呆然と見上げた男の脳天が、斧の刃面に滑り込まれて人体が縦に割れた。さらにと彼は、正気では無い目で肉を打ち付け、ミンチにしていく。彼の異名の通り、今まさしく“潰滅”が執行されている。


「悪魔! 悪魔!! 悪魔アクマアクマ!!!!」

「ヒィイいいい!」

「やめろ、何も喋るんじゃねえ! アリエルさんに何を言ってもダメだ、死にたくなければ口を閉じてろ!」


 血に濡れていく凄惨なる狂気の連続に、椅子から転げ落ちた私は過呼吸を引き起こす。


「フゥウ! フゥウウ! 悪魔めぇええ……!」


 血を被ったかのような全身に、血走る眼光だけをギラギラとして、アリエルは丸めた背中を上下させていた。握った斧にはグチャグチャの肉と桃色の血のあぶく。油と臓物の混じる悪臭に満たされ室内に、枷を解かれた獣だけが自由にうろつく。


「ああーー。あぁーーー、ぁぁ〜……」


 息を整え、丸めた背中をゴキゴキと直立させていったアリエルは、徐々にと人間の様相を取り戻していった。残されたのは、死に絶えた無数の残骸のみ。

 するとそこで、アリエルの視線がジロリと私を捕らえた。息を荒げた私に詰め寄り、尻餅をついた私の頭にそっと手を置いた。


「大変だ。疲れているのですね。無理もない……けれど安心して良いのですよ。私達の繁栄を阻む虫ケラは、今押し潰しましたからネ」

「……ッ、――!」

「休みなさい、我が花嫁、アリアよ。二人だけの楽園で、ずっと幸せに暮らしましょう」

「――っ…………」

「家族になるのです。こんなに酷い世の中ですが、私達の楽園を作るのです」


 私の眼球はそこで上転し、意識を失った。最後に微かに聞いたのは、


「寝室で待っていて下さい。夜に私と、愛を育むのです。家族を増やす為に」


 震え上がるくらいに恐ろしい、悪魔の声。

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