第3話 「次こそは潰さずに、優しくして見せましょう」


   *


 異様に揺れるサイドカーの狭い車内で、私は覚ますべきでは無かった意識を覚醒させた。


「イヤアアホオオオオオ!! 退け退けゴミ共!」

「轢き殺すぞジジイ!」

「やっちまえ!」


 私を囲んだ聞くに堪えない男達の罵詈雑言は、いつしか何百とまで群がった暴走族の群れから発せられていた。朽ちた砂丘に形成された廃墟同然の集落。そこに住まう力無き民を蹴散らし、痛ぶり、引きずり回し、食料を奪いながら轟音は蛇行する。

 痩せ細った民の上げるか細い悲鳴と慟哭。阿鼻叫喚の地獄の中を、高笑いする悪魔の群れが、わだちを残して彼方へ直進し続ける。


「リッテンハイドは世界最強じゃあ!!」

「殺すも奪うも弄ぶもぉ! 全部俺達の勝手何だよカス共がぁ、イィイヤッハァ!!」


 轢き殺される老人。髪を引きずられたままバイクに連れ去られる女。枯れた大地にバイクの轟音が何時迄も響く。

 助けなんて無い。ヒーローなんていない。それが分かっているから、ボロきれの民達も、ただジッとうずくまっているだけだった。暴力が過ぎ去るのを待つ事しか出来ないでいた。友を、家族を助ける余裕なんて無い。そんな事をした奴から順に、痛ぶられてオモチャにされる。民はただの人形と相違なかった。頭の悪い子供に乱暴に引っ張られ、壁に叩きつけられて踏み潰される。子供の癇癪かんしゃくが終わるのをジッと待っている事しか出来ない。僅かにでも動き出せば、微かにでも感情を匂わせたら、彼らの嗜虐心に火を付けるだけだと分かっているから。


「目覚めたのですね。我が運命の花嫁」

「……っ……!」


 夢に出て来そうな恐ろしい声で、アメリカンバイクにまたがる巨漢は私に微笑み掛けた。黒い布に包んだをバイクに括り付けて引きずっている。すると曇天の隙間から射した陽光が、闇を被っていたかのような彼の表情を照らした。


「きっと私は貴女を探していたのでしょう。数百に及ぶ達では足り得なかった。あぁ、貴女こそきっとそうだ、違いない。高潔たるハイド家の子孫を繁栄させるに足る、宿命のパートナー」


 彼は笑っていた。三白眼のギラつく獣のような毛むくじゃらの顔の中心を、巨大な傷が斜めに横切っている。傷の入った右目はもう見えてはいないのだろう、白く濁って焦点が合わない。代わりに左目は、赤く炎の様に燃えていた。するとそこで、アリエルは自らのバイクの後輪を指で示し、黄ばんだ歯を見せながら、子供をあやすような口振りで話し始めた。


「もうすぐ……ほうら、面白いよ」


 次の瞬間、硬い地面に引きずられていた黒い布が弾け、肉の潰れる音と共に千切れた赤髪の首が宙に舞い上がった。


「ほうら飛んだ。面白いでしょう。アハ。アハハ」

「――……っっ!!」


 思わず私が顔をしかめると、アリエルの形相は瞬時に冷め渡り、片方の眉を下げた。その豹変ぶりに私は恐ろしくなって口元に手をやった。


「なあんだ、驚いてしまったのかい」


 再びほくそ笑んだ獣の男は、ニンマリ笑って死骸を切り離した。大地を跳ねて沈む人の肉塊……

 するとそこで私は、ジークから受け継いだ赤い石のタリスマンが無くなっている事に気が付く。彼との繋がりを認識する事ができる最後の欠片さえ失ってしまったのかと、酷く狼狽ろうばいしていると、突然私の前に飛び出して来た紫髪の鼻ピアス男が、意地の悪い笑みを浮かべて振り返った。器用に背後に振り返りながら、片手でバイクを運転する痩せぎすの男は、裸の上に羽織った革ジャンの懐から、ジークのタリスマンをチラリと見せて舌を突き出した。


「……ぁ…………ぅ!」

「はい〜? 何か私にようで御座いますかお嬢様〜?」

「ん…………! ……っ」


 私が言葉を喋られないのを知って、この男は私の宝物を猫ババして楽しんでいるらしい。コソコソしている彼の様子から、アリエルにも内密にしてスリルを楽しんでいると見える。なんて低劣で危険な男なのだろうか。もし仮にこれが獣の大男に無断で行われている愚行なのだとすれば、それがバレた瞬間に、彼はさっきの赤髪のように八つ裂きにされると言うのに。下品な笑い方をする、このどいつもこいつもが、頭のネジを緩めているらしい。

 悔しいけれど、私には手も足も出なかった。黙り込んだ私は、砂漠を横断していく黄色い砂煙に振り返る。


 ――私はこれから、一体どうなると言うのだろう。なぜ私はアリエル・フォン・ハイドに誘拐されていくのか……

 私の疑問に対する解答は、髪を掻き混ぜた彼自身の口から語られる事となった。


「我が姫君よ。もうすぐ私達の楽園に辿り着く。私達はそこで、永遠の愛を育むのです。我が血族の、繁栄の為に」


 ――リッテンハイドの頭目のこの男が、完全に狂った狂気の男が、幼い少女を掻き集めては溺愛し、

 ……終いには、怒り狂って、肉毎叩き潰すという噂は本当だったらしい。


「次こそは――に優しくして見せましょう」


 私はこれより蹂躙じゅうりんされるのだ。

 ――『潰滅かいめつのアリエル』と呼ばれる、この地を暴力で支配した、血の通っていない恐ろしき獣人に。

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