報われない努力〈前編〉

 アスラとのペア解消申し立て事件から5日が経ち、大会まで残り10日となった木曜日の練習が終わったあと。

 クラブハウスから出て、小雨の降りだしたグラウンドの方を眺めると、まだ練習し足りなさそうな少女が1人、残っていた。


 彼女は目に見えぬ竜と向き合い、大剣を振り下ろしては横に転がる動きを繰り返している。

 きっと今日もアスラは、他のメンバーやコーチから、自主練に付き合うのを断られたんだろう。召喚盤は大人が見ているところでしか使えないから、仕方なくイメトレに励んでいるらしい。


 アスラは少年団の練習がある日はおろか、練習のない日もグラウンドに顔を出しては、自主練に打ち込んでいた。


「何やってんだか……」

 遠くからその姿を見ていると、シャワーを浴びて濡れた茶色い髪に白いタオルを巻いたエイルがやってきた。


「オウガは残ってかないの?」

「あいつの面倒はエイルに任せるよ」

「アタシも今日はパス。これから雨強くなるってゆうし」


 武器を振り回すという競技特性上、竜狩は体育教師やコーチ、もしくは保護者などの大人が見ていないところでのプレーを禁じられていた。

 そのため、竜狩の自主練をするとなると、必然的にシャドーボクシングならぬ、シャドーハンティングになってしまう。その様子は、かつて俺が習った竜剣のようだ。


 竜の動きをイメージし、竜からの攻撃を回避して、竜に攻撃を当てるつもりで素振りをする。

 アスラのフォームは他の生徒たちと比べ、群を抜いて綺麗だった。もし彼女が竜狩ではなく、竜剣の道に進んでいたとしたら、周りから高く評価されたのかもしれない。


 でも、その自己完結的なプレースタイルこそアスラの弱点だと、俺は考えていた。

 竜狩は、プレイヤーが竜の動きに対応する競技だ。自分がやりたい動きをするだけでは通用しない。竜の動きや竜との間合いを読んで、自分の動きを適切に選択していく必要がある。


 アスラの目には、竜の姿が見えてない。

 自分の理想的な戦闘イメージばかりが先行してしまって、竜の動きを全く予測しようとしていない。だから無駄に攻撃をくらってHPを減らしては、スコアが減点されている。


 何が問題で、何を解決したらいいかを考えることもない。ただやみくもに、自分が努力した分だけ、事態が好転するものだと本気で信じている。

 そんなこと、絶対にありえないのに。

 まるで雨の降る公園で1人、闇雲なドリブル練習に励んでいた“どっかの誰かさん”みたいだな。


 そんなことを考えながら俺は、電子音に囲まれ、発光する画面を見つめていた。

 以前、エイルに連れてきてもらった商店街のゲームセンターだ。

 こんなところに来ても、ついアスラのことを考えてしまうとは。もしかしてオウガって、アスラのこと好きなんじゃねぇの?


 ゲームオーバーになってしまったドラゴンシューティングゲームの筐体から腰を上げ、店内の掛け時計を見ると、時刻は夜の7時半を回ったところ。

 ゲーセンから出ると、先ほどまでの小雨が、地面を叩きつけるような本降りへと変わっていた。エイルの言った通りの天気になったな。

 傘をさして商店街を自宅の方へと歩いていたところ、思わず足が止まった。


「まさかあいつ、まだ残ってるってことないよな?」


 嫌な予感というのは、よく当たるものだ。

 俺は家までの帰り道を大きく迂回して、クラブハウスの見えるグラウンドまで早歩きで戻る。

 ネットの外側から緑のフィールドを眺めてみると、やはり見覚えのある青いポニーテールが雨粒を切り裂いていた。


「マジかよ……」


 夜間のグラウンドは一般客用に貸し出されていて、少年用では見かけないような大きさの竜が暴れ回っていることが多い。

 ただ、雨が強めに降っている日は予約をキャンセルする客がほとんどのため、そこには誰もいないはずだった。


 グラウンドが使えないんだから、アスラが残ってるはずがない。帰ってきても、時間が無駄になるはず、なのに――


「何してんだよ……」


 傘をさしながら俺は、いつの間にかフィールドサークルのすぐ外側まで歩いていた。

 しらじらしくも、俺の姿になど微塵も気付いていないかのように、その女子小学生は練習を続けていた。


 もはや練習のときのような綺麗なフォームは見る影もなく、大剣に体を振り回されているかのような、崩れたフォームで。それでもアスラは、唸り声をあげ、歯を食いしばりながら、大剣に振り回され続けている。

 練習が終わってから少なくとも2時間は経っているはずだ。土砂降りの雨の中、正気とは思えない。


「お前……馬鹿じゃねぇの?」


 振り下ろされた大剣が、そのままアスラの手から抜け落ち、グラウンドの上に倒れた。


「無駄なんだよ! お前のやってることは! こんなもん、いくらやったってスコアが伸びるわけねぇだろ!!」


「そんなこと言わないでよっ!!」


 肩を上下させ、膝に手をついて下を向く彼女の輪郭から、身に付けた防具から、水分を含んで固まったポニーテールから、無数の水玉が滴り落ちていった。


「わたしはね……あんたみたいな天才じゃないの!! 練習もロクにしないでハイスコアを出しちゃうような天才に勝つには、その何倍も何倍も努力しなきゃいけないの!! わたしだって……わたしには……これしか……」


 天才? 俺が? まさか。

 そんなわけない。俺程度のプレーをする小学生なんて、この世界に何万人単位で、いや、もっといるはずだろ。


「わたしには、オウガみたいな才能が無いから……がんばるしかないんだよ……」


 『才能が無い』

 『がんばるしかない』

 その言葉を聞いて、俺の脳裏に小学生時代の記憶が蘇った。


 ――「ぼくは、お父さんみたいな才能が無いから、がんばるしかないんだ」


 己の無知ゆえの純粋さから、『努力をすれば必ず報われる』と信じて疑わなかった少年は、途方もないほどの無駄な努力を積み重ね続けた結果、いくつものジュニアユースチームのセレクションで、ことごとく落とされた。


 ――「竜鬼くんは独りよがりなプレーが多いので、個人競技をなさったらいかがですか?」

 ――「ドリブルが巧いったって、それが通用するのは小学生までですからね」

 ――「サッカーはチームプレーが出来ないと評価されませんよ。まず相手の動きを見て、それから味方も見ないと」


 それまで俺に、コバンザメのように張り付いていた記者やスカウトたちは、俺の成長が止まったと見るや、一切姿を見せなくなってしまった。

 俺に付きっきりでスパルタ訓練をさせていた親父もとうとう、まるで成長しない俺を見限って、より見込みのあった妹の方を指導するようになった。

 サッカーの才能のあった妹は、父親の指導を受けてから半年もしないうちに、ジュニアチームでトップカテゴリーに上がった。


 それでも俺は1人で練習を続けた。

 夜の公園でボールを蹴って走り、地面に置いたマーカーの間を、細かいタッチですり抜けて、最後は公衆トイレの壁に向かってシュートする。

 俺は、地図も方位磁石も渡されないまま、冒険の旅に出た勇者のようだった。何が正解かもわからず、ただただ前に現れる敵を倒しては、悦に浸っていた。


 それが、『報われない努力』だとは知らずに。


 俺が無駄な努力をし続けている間、ジュニアチーム時代の同期は順調に成長し、ジュニアユースから名門高校や有名クラブユースへと進み、海外の育成チームに拾われていった奴もいた。

 そいつらは俺が散々見下していたような奴らだった。一人じゃ何も出来ない。ドリブルが下手クソで見てらんない。すぐパスに逃げるようなヘタレプレーヤーたち。

 でもそいつらは大人たちの言うことをよく聞いて、大人たちによって敷かれたレールの上を、大人たちの期待通りに順調に走っていった。


 ――「リューキはもっとコーチのアドバイスを聞いた方がいいよ。文句ばっか言ってないでさ」


 時間だけが残酷に過ぎていき、「天才だ」「神童だ」と持て囃された俺は、いつしか凡人並の選手に成り下がっていた。

 ドリブルを仕掛けても抜けない。1人抜いても、カバーリングでやってきた2人目にボールを奪われる。ロストしても即時奪回しなかったから、顧問に怒鳴られる。

 結果的に、弱小中学の弱小サッカー部の3年生最後の大会で、俺は試合時間中、たったの1秒すらピッチの上に立てなかった。


 『サッカーの天才児』大隈竜鬼は、その日死んだ。


 それでも俺は、あの暗黒期の経験が全て無駄だったとは思ってない。

 自分の生身を大剣で抉られて、真っ赤な血飛沫を盛大に噴き上げ、あまりの痛みから地を這いずり回り、土を舐めたことで、人生で何よりも大切なことを学んだからだ。


「お前は才能が無いから失敗してるんじゃねぇよ!! お前は、頑張り方を間違えてるから、失敗し続けてんだよ!!」


 一番大切なことは、努力することじゃない。

 一番大切なことは、成功することだ。


 そのために必要なことは、何が問題となっているかを複雑な事象から切り分け、そのそれぞれに対して解決の糸口を探しながら、合理的にトライアンドエラーを繰り返すことだ。


 大切なことは、一心不乱に努力する自分の姿に酔いしれて、不安な自分を押し殺すことじゃない。


 そんなの、時間の無駄でしかない。


「もっと上手く竜を倒せるようになりたいんだろ? 俺が簡単な方法を教えてやるよ。お前は遠回りしすぎてるんだ」


「ふぇっくしゅ!」

 漫画みたいなくしゃみをして、長い鼻水を垂らしながら、アスラは小刻みに震えだした。蒸し暑い真夏の日暮れとはいえ、全身がズブ濡れになったらさぞかし寒いだろう。


「だから今日はもう帰ろうぜ。風邪ひくぞ?」


 俺が差し伸ばした右手を掴んで、アスラは立ち上がった。


「……うん」


 彼女は頷いて俺の瞳を見つめ、俺も彼女の赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

 でも、不思議と恥ずかしいという気持ちは湧き起こってこなかった。どうやらそれは、彼女も同じだったらしい。


 いつの間にか傘を放り投げていたせいで、俺の顎先からも生温い雫が滴り落ちていた。


 俺が、お前の問題を解決してやる。

 俺なら、お前をもっと強くしてやれる。


 だから、俺と同じ間違いをすんじゃねぇ。

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