あの子のはなし

あの子は思い出し、勇気を貰う




 随分と久しぶりに袖を通した制服を、名残惜しい気持ちで脱いでいきます。

 もう少しだけ身に付けていたかったけど、明日からは毎日でも着れるのだと思い、えいやっと部屋着に着替えました。

 この度わたし、モニカ・ウルマンは、王都にある『学院』への編入が決まりました。

 お父様の仕事が本格的に王都で行われるようになり、それに伴ってわたしも『学院』の中等部に通うことになったのです。


 『学院』は、年齢によって大きく三つに区切られます。

 九歳から十二歳までを初等部。十三歳から十五歳までを中等部。そして、十六歳から十八歳までの三年間は高等部に通うことになっています。

 わたしは今、十五歳なので、一年中等部に通った後、高等部へと進む予定です。

 この国の貴族位にある家の子女は、この十年間、あるいはいずれかの時期を『学院』で過ごす慣例があります。


 わたしも初等部の頃には『学院』に通っておりました。

 ウルマン家の領地があるヴィヨン地方は、国の中でも東の端。山がちで大した特産品も無い、貧しい領地でした。その為、初等部の間だけ『学院』に通い、わたしは領地に戻ったのです。

 初等部の頃のわたしは引っ込み思案で、あまり友達も作れませんでした。田舎の弱小貴族と同級生にからかわれたことに、萎縮してしまっていたのもあったでしょう。

 しかし、今回の編入では、そんな事を言ってはいられません。

 なにしろ、領の特産品とすべく移民の方々と研究を重ねて、ついに量産がかなった山繭の糸を売り出す為、使えるものは全て使うとウルマン家の当主たるお父様が決めたのです。

 わたしの編入もそのひとつ。絹を見てもらうのにもっとも適した宣伝方法は、美しいドレスを仕立て、ひと目に触れること。

 これからわたしは同級生とよしみを結び、かつ茶会に夜会にと、どんどん参加しなければなりません。引っ込み思案などと、言ってはいられないのです。


 ……でも、本当は、沢山の人の前に出るのは、まだ怖いです。


 グラシーザ家のヨアヒム様がなさったことで、わたしは人々の視線や噂話がどれだけ恐ろしいものか、理解しました。

 わたしを呪いの令嬢と呼び、陰で指差した人たちと仲良くできる自信はまだありません。

 もともとが内向的な性格であることもあり、できれば家に引き篭もっていたい。刺繍をしたり、布小物を作ったりなんかして、ずっと暮らしていたい。自分の部屋から一歩も出ないで生活したい、と常々思います。

 しかし、わたしはお父様とお母様、そして領地の皆んながどれだけの努力を重ねてきたのか、知っています。なので、今度はわたしが頑張る番なのです。


 幸いなことに、初等部で寮生活をしていた時と違い、今のわたしはひとりではありません。

 わたしは、アイリス・ミラルディア様の顔を思い出し、両の手を胸の前で組みます。こうすると、少しだけ勇気を分けて貰えるような気がするのです。


 わたしのお友達、そして恩人であるアイリス様。出逢いは、王城で開催された舞踏会でした。

 あの頃はまだ、呪いの令嬢の噂は広まっていませんでしたが、人見知りのわたしは親しい友人もおらず、しかもお父様から持ち出しを禁止されていた山繭の絹のハンカチーフを落としてしまい、とても焦っていました。

 泣きそうになりながらハンカチを探すわたしに、アイリス様は声を掛けてくださいました。

 

『こんばんは! ねえ、何してるの? 面白いものでも見つかるの?』


 時代遅れのドレスを着たわたしとは違い、これまで見たこともない斬新かつ最先端の衣装を身に纏い、親しげに話しかけてくださったアイリス様。

 わたしがハンカチを落としたことを聞くや、舞踏会などそっちのけで一緒に探してくださいました。

 アイリス様は本当に気さくで、探す道すがら教えてくださった王城の話は、どれも本当に面白いものばかりだったのを覚えています。

 西の薔薇園の奥には黒すぐりの木があり、とても美味しいだとか、厨房の何某さんは怒りっぽいけど、娘さんを褒めるとおやつをくれるだとか。北の塔には月夜の晩に幽霊が出る、という話なんかもありました。

 なんでそんなことまでご存知なのだろうと、ちょっと不思議に思ったほどです。


 なので、ハンカチは結局見つからなかったものの、後日お礼でもという思いから名前を伺い、彼女がミラルディア侯爵家のご令嬢だと知って、わたしは腰を抜かしそうになりました。

 でも、アイリス様は田舎者のわたしを笑ったりせず、今後も仲良くしようと仰ってくださりました。

 その言葉は嘘でも誇張でもなく、後日、招かれたひと月後の夜会での再会を約束してくださいました。それから色々な事がありましたが、なんと最後にはわたしを悩ませていた、呪いの令嬢の噂を解決してくださったのです!

 わたしが今こうして王都の『学院』に通えるのも、アイリス様が私と仲良くしてくださったお陰と言えるでしょう。

 アイリス様にはいくら感謝してもしきれません。


 そしてもう一人、恩人と言える方がいます。アイリス様のお友達の、シャーリン様です。

 最初にお目に掛かった時のことは、申し訳ないのですが、あまり記憶にありません。

 夜会でアイリス様とご一緒だったはずですが、随分と控えめでつつましやかな方のようで、挨拶をする機会を逃してしまいました。

 きちんとご挨拶できたのは、心痛で倒れてしまったわたしをアイリス様と見舞いに来てくださった時でした。

 シャーリン様は小柄で、真っ直ぐな銀髪に桃色の瞳の、まるでお人形のような外見の方です。お淑やかで奥ゆかしく、もしかするとわたしと同じように、少しだけ人見知りの気があるのかもしれません。

 しかし、ふと目があった時に浮かぶ、はにかんだような笑みがとても可愛らしく、わたしより年上の方のはずなのに思わず胸がきゅんとなってしまいました。きっとこれが庇護欲というものなのでしょう。わたしの部屋に、白うさぎの意匠の布小物がかなり増えてしまったのは、ないしょの話です。

 とにかく、シャーリン様はアイリス様と一緒に気落ちしたわたしを何度も励ましてくださいました。それだけでも大変有難いのに、シャーリン様は我が家と我が領にとって何より貴重な縁を繋いでくださったのです。


 おそらく、シャーリン様自身にはその意図はなかったのでしょう。ただ懇意にしている仕立屋の窮状を知り、もともと絹の産地であった私たちの領が何らかの助けになることを期待しただけ。

 しかし、我が領がもっとも必要としていたのも、そのツテでした。おかげでわたしたちは、王妃様というこの国でもっとも高貴な女性に、我が領の新しい特産品を献上し、贔屓になっていただくことができたのです。

 領地の新しい商売は軌道に乗り始めました。お父様は、シャーリン様にはいずれ何らかの形でお礼をしなければならないね、と仰っていました。わたしもそう思います。


 アイリス様、シャーリン様。

 あのお二人が、わたしにしてくださったことを思います。明るく親しみやすい、あるいは奥ゆかしくも愛らしい、正反対のようにも見える彼女たちと過ごす学院生活を想像して、胸に期待が湧き上がるのを自覚します。本来出不精で引っ込み思案なわたしが、そう感じるのです。

 不安もありますし、怖気付いてしまいそうになる心もあります。

 でも、お二人を思い出せばきっと色んなことを頑張る事ができるだろうと思います。


 それに、わたしには一つの目標ができました。

 初等部・中等部では基礎科目しか学びませんが、高等部に上がれば専門科目を選んで、より学びを深めることが可能になります。

 わたしはその時、商いの勉強をしようと思うのです。

 普通、貴族の家の娘は礼儀作法の科目を選びます。先進的な女性だったとしても領地経営や法学を学ぶことがほとんどです。私のように商売を勉強しようとすることは、はしたないとされます。

 ですが、私はウルマン男爵家の娘として、少しでもできる事を増やしたい。領民の皆さんが豊かに暮らすための手伝いがしたいのです。

 それに商売上手になれば、いつかは部屋から一歩もでないままで、どんどんお金が入ってくるような仕組みを作れるかも知れません。

 きっとアイリス様もシャーリン様も、わたしの夢を聞いたら応援してくださることでしょう。 

 だからわたしは、王都で頑張ろうと、そう思うのです。



 そんな風に考えておりましたわたしですが、幸運のお守りとしてうちの領地で流行っていた白うさぎの意匠が、いつの間にか王都でも流行していたことには大変驚きました。

 もう少し早く気が付けば、一枚噛んで大儲けできたかも知れません。本当に商売は難しく、勉強が必要なんだなぁとそんなことを思いました。






 

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