11 彼女はほくそ笑み、呪いの言葉を吐く



 ウルマン男爵家の治めるヴィヨン地方は、もともと養蚕を行っている土地柄だった。もっとも、絹の産地は他に有名なところがいくつもあり、ヴィヨン地方の糸は決して知名度の高いものではなかった。

 しかし、そこに大きな転機が訪れることになる。

 旧夜琅国の難民たちの来訪だ。彼らは自身の財産として、ヴィヨン地方にヤママユを連れて来たのだった。

 

 ヤママユは別名を天蚕と呼び、自然の山野に生息する絹糸虫だ。その糸で織った絹の手触りは軽く柔らかく、さらにはもともと光輝くような美しい緑の光沢をもっている。

 通常絹糸を取るために飼育される家蚕とは違い、天蚕は桑ではなく橡や楢などの木を食して育つ。また繊細で病気にも弱い種の為、木の枝についている繭を集めるしか紡ぐ方法がなく、産地である旧夜琅国内でも非常に希少価値の高い幻の糸だった。


 しかし旧夜琅国の少数民族出身の難民たちは、そんな天蚕を飼育する術を持っていた。

 もちろんそれは門外不出の秘伝であり、彼らの重要な財産だ。ウルマン男爵領で保護されてからも、なかなかその存在を明かそうとはしなかっただろう。

 けれど、彼らと領民は時間をかけて信頼関係を結んでいった。

 そして彼らや領主であるウルマン男爵、領民達の努力は実を結び、領内の新たな産業として量産できる体制が整うまでとなったのだ。



 ウルマン男爵は、新たに完成した品を世に出す為、王都にて商談を重ねていた。

 難民たちから預かった大切な技術だ。下手な人間を商売相手に選んで、技術だけを盗まれでもしたら目も当てられない。

 その為、取引相手を選出すらも慎重に慎重を重ねていくことになった。可能であれば、信頼でき、かつ力のある貴族の保護を得ることができれば言う事なしだ。


 一方、ここに一軒の仕立て屋がある。

 王室御用達の一つで腕も良かったのだが、城下で最も大きな布問屋に伝手を持つノイマン侯爵家の勘気に触れ、質の良い布を得られなくなったせいでだいぶ評判を落としていた。

 さらにはこの国の王妃は、ひと月ほど前に王城で舞踏会を開催した際、 とある男爵令嬢・・・・・・・が落とした絹のハンカチを偶然見かける機会を得ている。領地の新しい産業の、試作品の布で作ったハンカチだ。

 それによって、王妃はかつて東方諸国を外遊した際、某国で王族がまとっていた美しい緑のドレスのことを思い出し、同じようなものを欲していた。


 これらの出会いがどんな結果を引き起こすかは、きっと誰にとっても想像に難くないだろう。



 すべては、偶然。ただの巡り合わせに過ぎない。

 私がしたことと言えば、ほんの少しだけ両者の糸を手繰り寄せただけだ。

 ひっそりと、私は唇に笑みを乗せる。


 今後その仕立て屋は王妃贔屓の店として、これまで以上に繁盛し、勢力を伸ばすことになるだろう。

 しかし、もっとも苦労していた時期に贔屓にしてくれていた客を、ないがしろにすることはないはずだ。むしろ多少の無理を言っても聞いてくれるに違いない。


 また、幻の絹糸をこの国で復活させた領主は、今後国内で力を増すはずだ。娘が王都の学院に復学するということは、自身も活動の拠点を王都に据えるつもりなのかも知れない。

 もちろん彼もまた、娘の友人であり仕立て屋と好を結ぶ機会を与えてくれた相手には、多少融通を利かせるくらいには好感を抱いている筈だ。


 そうした伝手を、万が一の際の有益な手札として隠し持っておくことは、悪くない。


 すべては偶然。

 だけど、いつその偶然が起きても良いように、日頃から糸を張り巡らせておく事こそが重要なのだ。

 私は思いがけず転がり込んで来た状況が、自分の都合の良いように上手く仕上がったことに満足し、目を細めて笑う。


「随分と、楽しそうだね」


 ひくりと、笑みが引き攣りかける。私は表情筋を総動員して、自然な笑みを浮かべたまま振り返った。


「エミール様」


 お前が来なければ、楽しい気持ちのままだったのだけれどね。

 私は恨み言をぶちまけたい気持ちを抑え込み、御機嫌ようと挨拶をする。


「何か良いことでもあったのかい?」


 自然に隣に来ようとするエミールから、こちらもごく自然の距離を取り、私は頬に手を当てて微笑む。


「ええ、そうですわね」


 運良く糸に掛かった獲物は、最良の成果をもたらした。

 一方仕組んだ策は望んだ通りの形に仕上がり、それによって新しく得た手駒は思っていた以上に優秀で使い勝手がいい。

 私は大変上機嫌だった。少しだけだったらこいつの無駄話に付き合ってやろうと、そんなことを考えてしまうくらいに。

 しかしそれを後悔するには、そう時間はかからなかった。


「モニカ嬢は随分と元気になったようだね」

「そうですわね。悪い噂もすっかり落ち着いたようですし」


 私はアイリスと一緒に、テーブルに並べられた食べ物を楽しげに選んでいる少女を眺めながら答える。

 『呪いの令嬢』の噂は、今ではだいぶ下火になっている。元よりかなり現実味の薄い噂だったからだが、それが一気に広まってしまった原因について、私は大凡の見当を付けていた。


 一時期、上流階級の女性の間で人気となっていた物語。

 私も侍女に本を借りて一通り読んでみたが、ナーディアントと文化や様式が似た異国を舞台にした、恋愛物語だった。内容は一人の貴族令嬢と勇敢な騎士が、苦難を乗り越えて結ばれるというどこにでもありそうな話だが、一か所だけ目に引いた箇所があった。

 それは、騎士に横恋慕した東方の魔女が、【金蚕蠱きんさんこ】の呪いを使って主人公を苦しめたところ。

 作中には、この蠱毒についての詳しいやり方などもおどろおどろしく書かれており、東方諸国の呪いに縁もゆかりもないナーディアントのご令嬢が、揃ってこの呪いに詳しくなったのもむべなるかなである。


 ただ一つ気になったのは、本当にそれだけを背景にして、あそこまで噂が一気に広がるのかという事だ。

 根拠も何もないただの勘でしかないのだが、他にも何か大きな要因が隠されているような気がしてならない。

 もっとも、それは一夕一朝で判明することではないだろう。私にできることは、余裕があるときに少しずつ糸を辿っていくことぐらいだ。それはおいおいやっていくことにしよう。


「シャーリンは、呪いの話を聞いても平然としていたようだけれど、怖くなかったのかい?」

「はい?」


 思考に深く沈んでいたため、反応が遅れた。

 思いもかけないことを言われ、反射的に間の抜けた声を発してしまい私は慌てて口元を抑える。軽く咳をして気持ちを落ち着けてから、口を開いた。


「ええ、怖くはありませんでした。だって、非現実的ですもの」


 私はにっこり笑って答える。

 呪いなんて、実在するかも定かではないあやふやな物なんて、恐るるに足りない。本当に怖いのはむしろ人間の方だと、相場が決まっている。

 そう、呪いだとかお化けだとか、そんなもの私はちっとも怖くないのだ。


「ああ、なるほど。怖いから、存在を信じたくないのか」

「あらあら、ご冗談を」


 なんだそのとんでも解釈は。私はひくりと頬を引きつらせそうになる。

 無いものを無いと言って、いったい何がおかしいんだ。


「ムキになると言うことは、図星を突かれたということかな」


 見透かしたようなしたり顔をしているが、断固として違うんだからね。

 むしろ実際に声に出して反論したくなったけれど、躍起になって否定してはそれこそ相手を調子づかせるだけなので、ここはぐっと堪えるしかない。お前、いつか覚えてろよ。


「良かったら、一曲踊るかい?」


 流れてくる音楽が、軽やかな円舞曲になる。ムカムカする気持ちを全力で宥めながら、会場の中心でくるくると踊る男女を何とはなしに眺めていると、ふいにエミールが手を差し出してきた。

 私は可能な限り礼儀正しく、断る。


「遠慮しておきますわ」


 何が嬉しくて、貴様なんぞと踊らねばならないのだ。

 考えつく限りの見返りと引き換えにして、ようやく一顧だにする程だぞ。もちろんその後、速やかに断るが。


「そうだね、その足では踊るのは少し無理だね」


 手を引っ込めながらあっさりと言われた言葉に、私は唖然としてエミールの顔を見上げてしまう。

 エミールはしてやったりと言わんばかりに、腹立たしげな笑みをその顔に浮かべていた。私は慌てて取り繕うが、素の感情を表に出してしまったことに気付き、忸怩たる思いを抱く。


「茶会の帰りに襲われた時に、挫いていたんだろう? あれ以来、いつもより少しばかり歩き方が慎重になっていた」


 それさえなければ、ウルマン邸でも僕に助けられずに済んだのにね。

 そう言われ、気を付ければ歩くことは問題ないものの、いまだ走れずにいる私は今度こそ正しく図星を突かれる。にんまりと微笑むエミールを前にして、笑みを張り付けたまま動けなくなってしまった。


「そうだな。ダンスが無理なら、リボンの一つでも贈らせて欲しいかな。それで借りを一つ返したことにしてくれていいよ」


 君にはヤママユの緑よりも、他の色の方が似合うと思うんだ。

 エミールはわざとらしくも残念そうに、髪に編み込まれたリボンに指を触れさせてそう嘯く。

 まさか私の企ては、始めからこの男に見透かされていたのか。

 ぞくりと怖気が走るのを感じながらも、私はなんとか顔を引きつらせずに済ませる。


「そんなことを、エミール様にして頂く理由がありませんわ」

「そうかい?」


 エミールは目を細めると、そのまま指を滑らせ私の髪の一房を掬い上げる。そして小さな音を立てて、そこに口付た。


「君は危なっかしいからね。僕のリボンでも付ければ、猫の鈴代わりになるんじゃないかい?」

「け、結構です!」


 私は顔を真っ赤にすると、エミールを振り切るように身を翻し、アイリスたちの元へ向かう。

 思っていたよりも大きな声が出てしまった気がするが、きっと錯覚だ。

 どっちの相手も死ぬほどむかつくが、今は比べればまだアイリスの方が少しはましだった。


 もしも呪いなんてものが存在するなら、奴こそ呪われてしまえばいいのに。いや、そんな他力本願でなく、私自らくびり殺してやりたい!


 背後に実に楽しげなエミールの笑い声を聞きながら、私は心の中でひたすらに呪いの言葉を喚き散らすのだった。





(蟲のはなし・終)

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