試験のはなし

1 彼女は思い出し、忸怩たる思いを抱く





 忙しなく心臓が早鐘を打つ。

 手のひらに滲んだ汗が、からからに乾いた口腔が、どれだけ自分が緊張しているかを、訴えかけている。

 こんな、運を天に任せるようなやり方は、自分の本意ではない。


 緻密に計算を重ね、あらゆる可能性を前提に含め、想定外イレギュラーが発生しないよう抜かりなく手を回す。

 それが本来の自分のやり方だ。


 もちろん、今回だってできる限りのことは行った。

 探りは入れたし、傾向と前例も調査した。でも、あまりにも時間が足りなかった。

 祈るように組んだ指に、ぎりりと力が入る。

 神頼みなんて、柄じゃない。そんな気まぐれで当てにならない存在に人生を委ねようなんて、よっぽど酔狂な賭博師ギャンブラーだけだ。

 だから、これは単なる戒め。


(こんなふざけきった、馬鹿馬鹿しい状況に、うかうかと巻き込まれた自分に対してのね……!)


「――では、結果を告げるぞ」


 机の前に立った青年が、おもむろに紙を広げる。

 これから、私の一ヶ月に渡る死に物狂いの努力の結果が、詳らかにされるのだ。


「シャーリン、しっかりね。貴女なら、絶対に勝ってるはずだから……っ」


 私の肩を支えるように触れて、そっと囁きかけてくる諸悪の根源の声は、緊張のあまり聞こえていない振りをする。

 いったい、誰のせいで、こんな目に、遭ってると思っているんだ。いつか絶対に、代償のひとつでも支払わせてやると、もう何十回目になるか分からない決意を私は心に決める。

 だが、そんなことよりも、今はこの勝負の結果だ。私は耳に意識を集中させる。


「エドワード・メリル……84点! そして、シャーリン・グイシェント……」


 青年がはっきりと私の点数を宣言する。


「……っっ!!」


 それを聞くや否や、私の膝からは力が抜け、へたり込みそうになる。


「シャーリン、シャーリン! しっかりして!」


 耳元で騒ぐ声は鼓膜を素通りする。というか、喧しいからちょっと黙ってなさい。


(ああ、これで……)


 私は、深く大きいため息をついた。


(これで……ついに……)





 ――そもそもの始まりは、およそ一ヶ月前に遡る。

 

 だけど、ことの次第を語る前に、自己紹介をしておこう。


 私はシャーリン・グイシェント。

 王都で最も歴史と権威ある、貴族子弟のための学び舎、通称『学院』に通う子爵令嬢。

 そして、『親友』であるアイリス・ミラルディア侯爵令嬢の誇りと威信を賭けた試験勝負に、取り返しのつかない結果を与えた女である。





 ◆   ◇   ◆






 忘れたくても忘れやしない。あれは予備試験の結果発表が行われる日だった。

 天気が良く、暖かな日差しが中庭に面した回廊に差し込む、随分とうららかな昼下がりだったことを記憶している。


「ふあぁ、気持ちの良い風ね。お昼寝にぴったり」

「そんなことをおっしゃって……。さっきの授業も、先生呆れ顔でいらしたわよ?」


 困った顔で苦言を呈する私の横で、寝ぼけ眼のまま欠伸を漏らすのは、もちろんアイリス・ミラルディアである。

 彼女は平民育ちという異色の経歴を持つ侯爵令嬢だが、恐らく彼女の変人振りの根底はその前歴ではなく持ち前の性格にあると、最近ようやく理解してきた。……理解したくもないが。


「えへへ。先生の声を聞いていると、なんだか良く眠れちゃうんだよね。シャーリン、お願いっ。さっきの授業なんだけど……」

帳面ノートをお貸しすれば良いのよね。分かっているわ。でも、アイリスの授業評価が下がってしまうことまでは、助けてあげられませんわよ?」

「そうだよねぇ。うーん、困ったなあ」


 アイリスが小首を傾げながらも、さして気にしてもいないような空々しい口調で呟く。

 正直、この女が成績を落とそうが恥をかこうが、本当は好きにしてくれと言いたい。真面目に授業を受けず、理解出来ない部分を放置してどんどんとドツボにハマっていく姿は、自業自得としか言いようがないからだ。

 しかし、誠に遺憾な話ながら、私にはその零落を指をさして笑っていられない理由があった。


「そもそも、勉強って苦手なんだよねー」

「もう、アイリスってば。諦めちゃダメよ」


 すなわち、こちらが望む望まないに関わらず、私もまたアイリスの派閥の一員とみなされているということだ。


 中心であるアイリスの成績が低く頭も悪ければ、派閥全体が低水準、不躾に言えば馬鹿の集まりだと目されてしまう。それは困る。

 自分から印象を操作して、抜きん出た聡明さが控え目に映るようにするのはいい。しかし、アイリスと同程度の愚物だと思われるのは、正直言って迷惑だ。

 利用されるのも、侮られるのも、それはそれで使い途はある。でも自ら操作した結果ならともかく、そうにしかなれないのでは、使える手が格段に減ってしまう。


「アイリスは、ヴィルヘルム殿下たちにお勉強を教えて頂いてはどうかしら? 殿下たちも気に掛けてくださっているかも知れませんわ」


 実際、ヴィルヘルムたち取り巻き一行が、本当にアイリスの惨状を危惧していないのかは気になるところではある。よもや惚れた弱みで、この女のどうしようもない欠点から、目を逸らしているのではあるまいな。痘痕あばたえくぼとは言うが、限界があるぞ。

 さすがに、あの腹黒陰険な宰相家の息子だけは、そこまで脇が甘くないと思いたいが。


「えーっと、うーん……。考えてみるね」


 煮え切らない口調で、アイリスはえへへと笑って誤魔化す。

 アイリスが素っ頓狂で、能天気で、蒙昧無知な暗愚なのは今更どうしようもないことだろうけど、それでも後少しくらいは取り繕うことができないものか。せめて外面だけでも何とかしてほしい。


「ぜひ、前向きに考え欲しいわ」


 まったく、なんでよりによって自分が、アイリスの成績なんぞを気に掛けてやらなければならないのか。私はその理不尽さに、こっそりため息を飲み込むのだった。

 







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