7 彼女は救われ、己の行いを後悔する



 さながら荷物でも扱うように、配慮の欠片もなく私は馬車から引っ張り出される。

 危うく地べたに倒れ込みそうになったが、腹立たしくも掴まれた腕で吊り下げられるような体勢になっていたため、辛うじて地に足をつくことができた。


「すまんね、お嬢さん。あんたには、ちょっと怖い目にあって貰うよ」


 僅かに上ずった声が、複数の笑いとともに降ってくる。

 腕を掴まれたまま周囲を見回すと、四、五人の覆面で顔を隠した男たちが馬車を取り囲んでいた。彼らの隙間から御者が地面に倒れているのが目に入ったが、どうやら殴られただけのようで呻きながら身じろぎをしている。


 私は素早く男たちを観察した。

 身ごなし、発音からして間違いなく労働者階級。帯剣はしておらず、筋肉の量、質は傭兵や騎士などと違って鍛えられたものではない。さらには覆面をしているという事は貧民窟のチンピラなどではなく、表向きの立場があるということだ。

 つまりは――素人。


 そう判断した私は、怯えたような表情でおどおどと彼らを見回すと、ぽろりと涙を零す。そしたそのまま身を震わせ、嗚咽を漏らした。


「お、お願いです……、酷いこと、しないで……」


 幼げな仕草で、最大限に憐みを誘うように訴えかける。すると男たちが途端に気を緩めたのが、気配で分かった。


「なに、安心しろお嬢ちゃん。大人しくしてれば、痛い思いをしないで済む」

「ほら、こっちに来い」


 侮りの態度も隠さぬまま、男たちは私をどこぞへ連れて行こうと手を引く。私は大人しくそれに従うような素振で、一歩二歩と足を踏み出した。しかし、そこでよろめいたように歩みを止める。


「おい、どうした?」


 私の手を掴む男が、訝しげに前腕を掴む手に力を込める。男の手がしっかり私の腕に掛かっているのを確認するや否や、私は男のそれを逆手で押さえ込む。男が怪訝に思う隙も与えず、腕を起こすように立てた直後、巻き込むように逆に倒した。


「うお……っ!?」


 腕を捻られた状態で、予想外の方向に力を込められた男はそのまま体勢を崩して膝を折る。膝裏を横から蹴ると、私の非力な力でも男は豪快にすっ転んだ。もちろん、私の腕を掴んでいたはずの手もあっさりと振り解けた。

 私は素早く身を翻し、走り出しながら大きく息を吸い込み悲鳴を上げる。


「いやああああっ! 誰か、誰か来てぇ! 人殺しぃっ!!」


 男たちの驚きと悪態をつく声が聞こえる。

 恐らくあのまま付いて行ったとしても、私が殺されることは高確率でなかっただろう。

 しかし、どこまで無事かは保証の限りではない。ならば、危険な賭けは避けるべきだ。

 周囲に人の姿はないものの、大騒ぎしていれば誰かが気付くかもしれないし、位置的に隣の区画まで逃げ切れば人通りはあるはずだ。

 踵の高い靴を履いたままならまともに走る事もできないが、今の平靴ならそこまで駆け抜けることも不可能ではない。


 私はそう判断して、大声を出しながら走り続ける。

 だけど、私は随分甘く見積もってしまっていたようだった。主に自分の――足の遅さを。


「この糞ガキがッッ」

「きゃあっ!」


 私は首を仰け反らせて、たたらを踏む。二十歩も進まないうちに追いつかれ、髪を掴まれたようだ。

 これが玄人ならば、人目に付くのを避ける為に私が悲鳴を上げて逃げた段階で撤退をするはずだった。しかし、素人である彼らは引き際を認識していない。

 髪を掴まれ、乱暴に引き寄せられる。男の荒い息と、憤怒の漏れる唸り声がすぐ背後から聞こえてきた。


「優しくしてやりゃ付け上がりやがって! 仕置きをくれてやる!」


 男が拳を振りかぶる。

 瞬間的に頭の中でいくつか計算を試みるが、残念ながら逃れる方法は見当たらなかった。

 私は腕を上げて最低限身を庇うと、覚悟を決める。


「シャーリン・グイシェントっ!!」


 だが、地を穿つような馬の蹄の音と共に、私を呼ぶ声が聞こえる。

 男たちは「畜生め」と汚い悪態をついて私を突き飛ばすと、そのまま走り去った。私は地面に倒れた時に強く膝をぶつけてしまい、涙目になってその痛みに耐える。最近こんなのばっかりだ。

 そんな私に、馬から降りたその人物はすっと手を差し出した。


「無事か、シャーリン?」


 私は極めてほっとしたと言わんばかりの表情を浮かべると、目を潤ませてその手に縋り付いた。


「ありがとうございます、エミール様……」


 よりによってお前か。

 私は舌打ちしたい気持ちを、ぐっと堪えた。







 ◆   ◇   ◆





「このようなことは、断じて許せるはずがない!」


 義憤に駆られながらそう断言したのは、この国の第二王子であるヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス殿下である。

 寮の談話室のテーブルを囲み、我々は今日の出来事について情報を交換していた。ちなみに、本来ならば談話室は施錠されているはずの時間だが、この面子に文句を言うのは寮監であっても難しいだろう。


 私は茶会の会場から寮に戻るまでの道中、見知らぬ男たちの襲撃を受けた訳だが、それに遡る事少し前。モニカ・ウルマンの屋敷を出たアイリスもまた、何者かに襲われていた。

 もっともそれは、本人いわく偶然という名目で迎えに来ていたヴィルヘルム殿下一行にあっさり撃退されたので、アイリスには全く何の被害もなかった。相変わらず運の良い女である。


「シャーリンも、ひどい目に遭ったわね」

「いいえ、エミール様が助けてくださいましたから……」


 ぬいぐるみでも抱くように、こちらを強く抱きしめてくるアイリスに、私はいまだ衝撃冷めやらぬと言った顔で弱弱しく笑う。


 アイリスを襲った下手人の中には剣を携えている者もいたようで、本命がアイリスだったことは明らかだ。

 だが、その時にはまだそれは明らかではなく、私もまた標的となっていやしないかと懸念したアイリスらは、エミール・クレッシェンを大急ぎで私の元へ向かわせた。

 恐らく相手方の計画では同時刻に犯行を行う予定だったのだろう。だが、茶会が長引いたことでエミールの救援が間に合った形となった。


「何にしろ、無事でよかった」


 気遣うように声を掛けてくるヴィルヘルム殿下に、私は恐縮した素振で頭を下げる。

 長きに渡って人間不信を拗らせていたこの第二王子は、アイリスと関わっていくにつれてその能天気さに感化されたのか、だいぶそうした傾向から脱却していった。

 もっともアイリスが誘拐された先日の一件では、それがぶり返したのか。私に対してかなり強い疑いの念を爆発させるに至った訳だが、落ち着いた今となっては全幅の信頼を置くアイリスの身内に近い認識を向けてきている。


「今日の二人の件、まさかモニカ嬢の『呪い』に関係があるのだろうか……」


 テオドール・ヨゼフは眉間に皺を寄せ、悩ましげな口調で呻く。精悍な見た目の割にへたれた印象を持たせがちな彼だが、アイリス側の襲撃事件では、彼の剣の腕がかなり活躍したらしい。さすがは将軍家三男の面目躍如と言ったところか。私は見てないけど。

 だが、それならいっそその狼藉者達を捕縛してくれれば良かったのに。まんまと逃げられたその詰めの甘さには、若干の苛立ちを覚えなくもない。


「モニカ嬢にまつわる呪い――確か、【金蚕蠱きんさんこ】だったね。魔物と化した蟲を使って人を害し、自身に益をもたらす東方由来の呪いだ」


 ルーカス・アマッツィアが、噂として広まっている呪いについて口にする。以前からこの呪術についての知識があったのか、簡潔に一同に説明をしていた。

 おや、と思って視線を向けるとそれに気付いたルーカスが、私ににんまりと悪い笑みを向けて来た。

 私はひくりと引きつった表情を作ると、視線を逸らしてみせる。こいつのこの自意識過剰なところも、何とかならないものかな。


「――馬鹿らしい」


 はっきりと言い切ったのは、ヴィルヘルム第二王子だった。彼はきりっとした顔でテーブルを囲む面々を見回し、口を開く。


「虫がシャンデリアを落下させるのか? 人を操って、アイリスやシャーリンを襲わせるのか? そんなことは有り得ない。これは明らかに、人為的なものだ」


 この件ばかりは、私もヴィルヘルム殿下の言葉に一切の異論はない。呪いなんてものが、現実に人を害すなんてことがある筈がないのだ。


「つまり、実際に誰かがモニカを狙っているの?」


 アイリスもまた、普段のあっけらかんとした笑みを消し、表情を引き締めた。


「その通りだ。被害に合っているのはモニカ・ウルマンに関わる人間だけれど、標的は彼女に違いないだろう」

「それに、モニカ嬢自身に危害が加えられる可能性だって充分にある」


 ヴィルヘルム殿下の言葉を引き継いで、テオドールも難しい顔をする。

 確かに、無差別にモニカ・ウルマンの周囲の人間を襲っているような、見境のない人間が犯人だ。その凶行が、いつモニカ本人に及ばないとも限らない。


「そしたら、モニカのことを守ってあげないと。それに、友達や周りの人が傷付けられるかもって、ずっと怯えて過ごさないといけないのは可哀想よ」


 痛ましげに呟いたアイリスはぱっと顔を上げると、良いことを思いついたと言わんばかりに手を叩く。


「そうだ! 実はね、今度モニカの所で夕飯を御馳走になって、ついでにお泊りもしようって約束していたの。いつにするかは決めていなかったけど、さっそく明日から行くっていうのはどうかな?」


 名案だと顔を輝かせるアイリスとは対照的に、ヴィルヘルム殿下を筆頭とした男性陣、および私もまた唖然としたように目を見開いた。


「アイリス、さすがにそれは無理よ……」


 私はおずおずといった口調で、アイリスの意見に釘を刺す。アイリスは不思議そうに首を傾げる。


「どうして? モニカを守るためにはなるべく早く動いた方が良いし、それにいつでも来ていいって言ってたよ?」


 この場合のいつでもいいは、当日に何の連絡もなしに押し掛けていいという意味ではない!

 諸候の中でも特に力のあるミラルディア侯爵家のアイリスに言われれば、モニカは歓迎するだろう。だがそれは、地方の弱小貴族でしかないウルマン男爵家の立場を、推し量ってのことだ。実際ははた迷惑極まりない非常識な行いでしかない。

 私は頭痛を堪えるような気持ちで、懇々とアイリスに説明をする。その結果、ウルマン家の方で大丈夫だと言われたら、二日後に向かうということになった。

 それでもまだ迷惑な気がするが、これ以上妥協はさせられなかった。さらにはどういう訳だか、私もアイリスと一緒に泊まることが決まっていた。解せない。


「では、明日なるべく早い時間に、ウルマン家に伺いをたてることにしよう。時間もだいぶ遅いから、そろそろ各自部屋に戻った方がいい」


 最後にエミール・クレッシェンが話し合った結果をまとめて、退室を促す。この男は積極的に話し合いに口を出すことはあまりないが、気付けば進行役や進捗管理を請け負っていることが多い。

 ぞろぞろと皆が部屋に戻る様子を横目で見ながら、私はエミールの元へ慎重に向かう。


「今日は有り難うございました。お蔭で助かりました」


 非常に癪ではあるが、今日のアレは窮地を助けられた、と言えないこともない。とすれば、改めて礼も言わずに済ますというのは立場上どうしてもできなかった。

 いやだいやだと思いながらも、私は深々と頭を下げる。そして視線を上げると、ふっと笑みを浮かべるエミールの顔が目に入った。ぞわっと背筋に冷たいものが一気に流れる。


「君が無事で良かったよ、シャーリン」


 薄い唇が弧を描き、柔らかな笑みが浮かぶ。しかしその灰色の目は、飽くまで冷たく私を捉えていた。彼はぐっと身を屈めると、私の耳に触れんばかりに口を寄せてささやく。


「別に、恩に着てくれなくてもいいからね」


 言葉とともに耳朶に吹き掛かった吐息に、今度こそ私の全身に鳥肌が湧く。

 私は顔を紅潮させると、恥じ入る仕草で身を引き、逃げるようにしてそそくさと部屋から出ていく。背後から、くつくつと笑うエミールの声が届く。


 あの男、選りによって貸しを強調しやがった!


 しくじった。こればかりは本当に手を間違えた。

 もう金輪際、あいつの助けを借りるような状況は避けてやると、私はひどく忌々しい気持ちで廊下を歩いて戻ったのだった。



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