8 彼女は他人の屋敷で、令嬢らしく振る舞う


 ウルマン男爵家からの返答は、ぜひともいらして下さいという熱烈な歓迎を告げるものだった。まあ、あちらからすれば、そう答えるしかないだろう。

 当日いきなりは逃れられたものの、実質一日しか猶予期間がないモニカたちは恐らく今頃、侯爵令嬢を受け入れる準備にてんてこ舞いになっていることだろう。大変御愁傷様である。

 また、私の方もいくらなんでも手ぶらで押し掛ける訳にも行かず、ちょうど良い土産を侍女に買いに行かせる傍ら、書斎部屋で諸々の作業を片付けていた。

 ひとまず、それも一段落しようかと言う時、扉を叩き入室の許可を求める声がした。私は素早く机の引き出しの中の隠し棚に、使っていた帳面や道具を仕舞い込む。そして極めて平然とした口調で、外からの声に答えた。


「お嬢様、お待たせ致しました。こちらが、ウルマン男爵家への手みやげになります。ご確認下さい」

「ありがとう。いきなり御免なさいね」


 私は買い出しを頼んだシアから、荷物を受け取る。シアは王都で最近人気の菓子店の、焼き菓子詰め合わせと茶葉を選んで来たらしい。相変わらず、趣味が良いこと。褒めてあげよう。

 労いの言葉を掛けると共に褒美は何が良いか尋ねると、彼女はおずおずと口を開いた。


「あの、実は先日出した封筒に便せんを一枚入れ忘れてしまっていたようで、実に恐縮なのですが急ぎで一通、手紙を出してもよろしいでしょうか?」

「あら、そんな事ならお易い御用よ。それにしても、シアは本当に筆まめね。やっぱりご家族が恋しいのかしら」


 シアが懐から出した封筒を受け取りながら、彼女に尋ねる。この侍女は遠縁の貴族の伝手を頼って子爵家に奉公と言う名の行儀見習いに来ていた筈だが、実家はかなり遠方にあると聞いている。

 シアは気まずげに視線を逸らした。そしてご好意に甘えて申し訳ありませんと、頭を下げる。


「わたしというよりは、弟妹が寂しがりますので」

「ああ、御免なさいね。責めている訳ではないのよ。そう、下にご兄弟がいらっしゃるのね」


 私は微笑んで話題を変える。兄弟と言えば、と目の前の侍女と仲の良い使用人の名前を出す。


「そう言えば、今日明日とマリアンはお休みを取っていたわね。お兄様が商用でこちらにいらしていて、一緒に観劇に行くとか」


 休日の申請に来た時のマリアンの嬉しげな顔を、私は思い出す。どうやらその兄に、頼んでいた本も持って来て貰ったらしく、読み終わったらそちらも貸しますね、と浮かれた様子で前作を私のところに置いて行った。仕方がないので、暇な時にぱらぱらと眺めているところだ。


「マリアンは、本当に毎日が楽しそうよね。シアもちゃんと、日々を楽しいと思えているかしら?」


 実はマリアンは若干性格がアイリスに似ているので、私は少し苦手だったりする。さすがにアイリスよりはまだ礼儀正しいので、苦手な程度で収まっているが。

 だが、そんなマリアンと親しくしているシアは、私の質問に予想外のことを言われたとばかりに戸惑い口籠った。私はくすりと笑う。


「少し、質問の仕方が悪かったかしら。私にはね、どうしても叶えたい夢があるの。その為ならどんなことでも頑張れるわ」


 知恵を凝らし、努力を重ね、油断を排し、緻密な結果を積み上げる。

 それらを幾度繰り返しても、夢を叶える為の道行きは遠く、果てしない。

 それでも、確実に目標に近付いていると思えば、苦労もまた楽しいものだ。


「シアにも、そういったものはあるかしら。絶対に譲れないもの、どうしても欲しいものは――、」

「あります」


 今度は、シアは答えに戸惑わなかった。真っ直ぐに私を見て、端的に答える。私はにっこりと笑みを浮かべた。


「そう、それは良かったわ」


 私は椅子に座り直し、手に持ったままの封筒を振る。


「じゃあ、手紙は簡単に中身を確認して、今日の夕方には配達を頼むことにするわ。伝えておいたように、明日はウルマン男爵家の屋敷に泊まるから、迎えについてはその翌日の昼にお願いね」 

「かしこまりました」


 お手数ですがよろしくお願いします、と言い添えてシアは退室する。私は閉じた扉をしばらく眺めていたが、封筒から便せんを取り出すと引き出しの中から帳面と道具一式を用意し、急いでいつもの作業に取りかかった。






 ◆   ◇   ◆




 アイリスと共にウルマン男爵家に足を運ぶ。

 使用人の先導に従って屋敷内を歩いていると、モニカがいる筈の部屋から声が聞こえて来た。激昂しているという訳ではないけれど、その声の調子はいささか強く、私は思わず首を傾げる。使用人もまた扉を叩くことを躊躇し、我々は部屋の前で立ち往生することになってしまった。


 しかし、そんな気まずい空気を物ともしない女がいた。もちろんアイリス・ミラルディアのことである。

 アイリスはぱちくりと瞬きすると、割り込むように使用人の前に出る。そしておもむろに扉を叩くと、返事も待たずに中に入って行ってしまった。


 だからなんであんたは、そんな事を平然とできてしまうんだ!


 私は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえると、仕方なくアイリスの後を追って部屋に入る。部屋の中にはウルマン男爵家令嬢のモニカと、そしてどういう訳かグラシーザ伯爵家のヨアヒムがいた。

 ヨアヒムはアイリスと私に気付くと、途端に気まずそうな表情を浮かべた。


「ヨアヒム様、申し訳ありません。お客様がいらっしゃいましたので、お話はこのあたりで」


 おずおずとモニカが言うと、ヨアヒムは仕方がないとばかりに小さな溜め息をついた。


「分かった。だけど、また近いうちに誘いに来るから。その時には、気が変わってくれていると嬉しいよ」


 彼はそう言うと身を翻す。そして軽く頭を下げて私たちとすれ違うが、しかしその目に何やら思い詰めたような色が浮かんでいたように感じられたのは、果たして私の気のせいか。


「どうかしたの?」


 アイリスは挨拶もそこそこに、モニカに事情を尋ねる。モニカは答え辛そうに視線を泳がせていたが、アイリスの真っ直ぐな眼差しに耐えられずおずおずと口を開く。


「実はお父様にお願いして、しばらく夜会や茶会の類いに参加するのを、お休みさせて貰うことにしたんです」


 モニカは僅かに青ざめた顔色で、重荷を吐き出すようにため息を零す。

 確かに『呪いの令嬢』などと噂され、常に好奇と忌避の視線に晒され続ければ、引き籠りたくなる気持ちは分からないではない。


「それは、問題ありませんの?」


 私はモニカに尋ねる。

 社交というのは貴族の役目であり、義務だ。そう簡単に放棄できるものではない。それができてしまうのは、甘やかされたアイリスぐらいなものだろう。


「お父様も仕方がないと許して下さいました。名目上は、体調不良ということになっています」


 ですが、とモニカはひどく気落ちした様子で視線を落とす。


「それを知ったヨアヒム様が、くだらない噂話に負けてはいけないと。不安なら自分が守ってあげるからと、夜会に誘って下さっていて」


 しかし、モニカはあまりその提案に積極的ではないようだった。


「分かりますわ。あんな素敵な殿方に誘われては、逆に気後れしてしまいますものね」


 私が冗談めかしてそう笑いかけると、モニカは天の助けが来たかとばかりにぱっと顔を上げて、そうなんですと何度も頷いて見せる。

 社交界で同伴エスコートを頼む男性は、近親者でなければ恋人かそれに近い親しい間柄だというのは暗黙の了解である。

 グラシーザ伯爵家がウルマン男爵家に商売上親しい付き合いがあるのならば、ヨアヒムとモニカの年齢差も考えて、代理保護者に見えないこともないかも知れないが、恐らくは婚約者と目される可能性の方が高そうだ。それはモニカには刺激が強すぎるのだろう。


「確かに負けたと思われるのは、腹が立つわよねぇ」


 少しずれたところに視点をおいて、アイリスがうむむと悩む様子を見せる。


「でも、それでモニカが辛い思いをするのは、やっぱり違うわよね」


 うんうんとうなずき一人で自己完結すると、アイリスはモニカの手を掴み、胸の前で包み込むように握った。


「今はしっかり休んで、大丈夫だと思えるようになったら、また頑張ればいいよ。その時にはわたしも、隣についていてあげるから」


 そして浮かべる晴れやかな笑みに心づけられたらしいモニカは、はいっと元気よく返事をする。

 言っていることはヨアヒムとは変わらないと思うが、本人たちがそれでいいのなら問題はないのだろう。


 それからモニカの作った布小物の類を見せて貰ったり、季節の花の咲いている庭を散策したり、実に普通の令嬢らしく時間を過ごした。

 途中、モニカの父であるウルマン男爵に挨拶する機会もあったが、彼はちょうどこれから泊りがけの商談に行かなければならないらしく、娘をよろしく頼むと丁寧に頭を下げられた。ウルマン男爵は領地を栄えさせるため、現在かなり精力的に働いているらしく、そんな熱意溢れる所には好感が持てた。

 それとは別に一度だけ、男爵と個人的に言葉を交わす機会があったので、ドレスのことについて少し話をし、私が贔屓にしている仕立て屋を紹介する場面などもあった。


 夜は、アイリスが待ち望んでいた旧夜琅国風の料理を振る舞って貰った。

 旧夜琅国の料理は、辛さと酸っぱさが売りである。本場のものよりは柔らかい味付けになっていたけれど、アイリスは一口食べて目を白黒させていたのがなかなか愉快だ。

 ここナーディアントでは、材料も香辛料も揃えるのが大変だったろうに、よくぞここまで再現できたものである。ウルマン男爵家の料理人の苦労がしのばれる。私は料理に舌鼓を打ちながら、心の中で賞賛を送った。





「えっ、じゃあモニカも十二歳までは王都にいたんだ」


 食後のお茶を飲みながら、私たち三人は話に花を咲かせる。女三人寄れば何とやらで、びっくりするほど会話が途切れる暇がない。主に口を開くのはアイリスで、私とモニカは聞き役や相槌に終始していることが多かったが。


「はい、初等部まで学院の寮で暮らしていました」


 モニカは両手で包むようにカップを持ち、懐かしそうに目を細める。

 学院は初等部、中等部、高等部とあり、その総てに在籍するとなると、十年ほど通う計算になる。もっとも、最初から最後まで在籍する人間はそれほど多くない。

 領地が遠方にあったり、あまり裕福ではなかったりする貴族が、初等部だけ子供を学院に在籍させることは良くある話だ。あるいは逆に、基礎教育は家庭教師に教わって、中等部、あるいは高等部から入学する者もいるし、結婚や仕事で早めに卒業する場合もいる。

 私も中等部から入学したくちだが、もっともアイリスのように高等部の途中で編入するとなると、今度はかなり珍しい部類になる。


「では、久々に王都に来られて懐かしいのではありません?」


 私が尋ねると、モニカは少し困ったように微笑んだ。


「わたしは引っ込み思案で、ほとんど友達もできませんでしたから。それに、在学中は寮に引きこもってばかりで、王都に出たこともほとんどなくて」


「じゃあ、明日は街に出ようよ。案内するよ!」


 アイリスはとまるで子供のように、勢いよく手を挙げる。

 「自分は王都には詳しい」と胸を張っているが、あんたが詳しいのは果物の露店や買い食いのできる屋台だろうと、私は溜め息を吐きそうになる。それでもモニカは嬉しいですと、目を輝かせて頷いた。


「わたし、まだ学院に通っていたかったです。校舎が違っても、アイリス様やシャーリン様と一緒に――、」


 言葉の途中で、モニカが小さく欠伸をして慌てて口元を抑える。顔を赤くして恐縮するモニカに、アイリスは首を傾げた。


「眠くなっちゃった?」

「ごめんなさい。相変わらず、まだ良く眠れていなくって」


 ただでさえ人の気配などに敏感らしく、山がちな領地とは違い人の多い王都で、さらには呪いだなんだと噂をされる日々が続けば、神経も過敏になるだろう。

 アイリスはにっこりと笑って、立ち上がる。


「じゃあ、そろそろ休もうか。明日は街に出て、遊ぶんだものね」

「はい、わたしも今日は良く眠れそうな気がします」


 では、明日また。

 そう就寝の挨拶を交わして、私たちはそれぞれ二階の宛がわれた客室で床に就いた。







 月も天頂から滑り降り、虫の音、木々の葉擦れの音すら響いて聞こえそうな深夜遅く。使用人も寝静まっているはずの時間帯に、廊下を歩く微かな足音がした。

 それだけなら夜番の見回りの可能性も皆無ではなかったが、その足音は扉の前でふつりと途切れる。

 内鍵の掛けられていたはずの扉は、軽い金属音を立てた後、ゆっくりと開いていった。

 部屋に足を踏み入れるのは、黒布が掛けられ光度を落としたランタンを手にした男だ。男は足音を忍ばせ、寝台の上の毛布へと近付いていく。

 毛布の膨らみが、定期的に上下する。男はしばしその様子を観察していたが、寝台の上の住人が起きる様子がないことを確認すると、自身の懐の中に手を伸ばした。

 ランタンの微かな灯りを、鋭い刃が反射する。

 男は短剣を振り被った。


「こんな夜中に、彼女に何の用だ」


 突如響いた声に男が身を引くのを許さず、大きく翻った毛布が頭から被さる。

頭上の毛布を払い除けた男の目に飛び込んできたのは、寝台の上で剣を構える青年の姿だ。

 不審者は唖然と声を震わせる。


「な、何故あなたが……」

「言い訳があるなら聞いてやる。言え」


 ナーディアント王国第二王子ヴィルヘルムは、刃よりも鋭い青い瞳を輝かせ、断固とした口調で不審者に命じた。




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