6 彼女は優しげな顔で、その甘さをこき下ろす



 モニカ・ウルマンの語った話は、以下の通りである。


 父親と王都にやって来た彼女は、商談に関わる根回しや顔繋ぎの為、いくつのもの茶会や夜会を父とともに出席することとなった。

 田舎から出て来たばかりの彼女を、時代遅れのドレスに流行の話題のひとつも知らないと嘲り、馬鹿にするような意地の悪い令嬢もいたけれど、その一方で彼女を庇ってくれるような優しい人たちもいた。

 お蔭で何とか王都での滞在期間を乗り切れるだろうと、そう考えていた彼女だったがその予想は淡くも崩れ去ることになる。


 ある夜会でのことだ。顔を合わせるたびに彼女をしつこく馬鹿にしていた令嬢が、階段から転げ落ちて怪我をしてしまった。

 命に別状はないものの、足をひどく痛めてしまった令嬢は、しばらく夜会の類には出ることが適わなくなった。同じ夜会に参加していたモニカは、令嬢の災難に同情する一方で、しばらくは顔を合わせずに済むことに安堵の気持ちを隠し切れなかった。

 しかしそれを皮切りに、彼女を嘲笑したり嫌がらせをしていた令嬢たちが次々と思いがけない事故や災難に遭いはじめたのだ。


 初めは知らない間にドレスを汚され、持ち物を盗まれ、とそんなささやかなものが多かった。だが、どんどん被害は大きくなり、ついには飲み物のグラスに硝子片が入っていたり、バルコニーから突き落とされそうになったりと、冗談では済まされない範囲のものになっていったのだ。

 しかもその対象は、彼女を馬鹿にして相手のみならず、親切にしてくれたり庇ってくれたりした相手にまで広がっていった。

 頻度はそこまで多くなかったものの、それに気付いた人たちの中には彼女に近寄らないようにするなど、距離を置き始める人間も出てきた。


「お父様は、気にするなと言ってくれますわ。お父様の仕事相手の方々も信じていないって。ただ、偶然が重なっただけだって。でも……」


 モニカは、必死に耐えるような表情で、くっと唇を噛む。


「せっかく仲良くなってくれた方々が、怪我をしてしまったり、離れて行ってしまうのはとても悲しいのです」


 そう言って目元を潤ませるモニカに間髪入れずに抱き付いたのは、当然アイリスだった。


「辛い思いをしたのね、モニカ。もう大丈夫よ」


 つられて涙目になったアイリスは、強くモニカの手を握ると無遠慮に顔を近付けて宣言する。


「絶対にわたしが助けてあげるわ!」


 アイリスと驚いて目を丸くしているモニカに静かに微笑みを向けながら、一方で私はひそかに嘆息する。初めから予測していたことだが、こうも予想通りだとついつい溜め息を禁じ得ない。


 お節介で向こう見ずなアイリス。

 困っている人がいれば、それが一度友人と目した相手なら尚更、手を差し伸べずにはいられない。

 そんな博愛染みた聖女願望だか英雄願望だかを、性癖として持ち合わせているのは本人の自由だが、それにいつも巻き込まれる側としてはウンザリしてしまうのも致し方のないことだろう。


「でも、もし万が一アイリス様までひどい目にあったりしたら……」

「大丈夫よ」


 不安感から再び涙目になるモニカを、アイリスは優しく抱きしめて断言する。


「わたしはそんなものには絶対に負けないし、モニカから離れて行ったりもしない。だから、安心してわたしに任せて」


 毎回毎回、その根拠ない自信はいったい何処から湧いて出てくるのやら。

 とうとう嗚咽を漏らし始めたモニカの背を撫でるアイリスを見ながら、私は鼻で笑いたい気持ちをぐっと堪える。


 そうやって、耳触りのいい希望や願望ばかりを口にして何になる。奇跡が起きて、自分たちを救ってくれると言うのか。

 愛情や優しさ、思いやりなどという綺麗ごとを並べて解決するものなんて、この世にほんの僅かしかない。

 ただ無情な策略と冷徹な判断のみが、己が意思を実現する唯一つの手段なのだ。


 いつか全ての希望を打ち砕かれ、慈悲も愛情も踏み躙られたとしても、果たしてこの女は今のような甘ったれた言葉を吐くことができるのか。

 願わくば、その瞬間に立ち会ってみたいと、そんな事を考えつつ私は、まるでお芝居のような二人のやり取りを微笑ましげな表情で眺めていた。すると、


「モニカさん!!」


 ノックの音がするや否や、先導する使用人を押し退けるようにして部屋に入って来たのは、一人の男性だった。

 硬質そうな鳶色の髪を首の後ろで結わき、体付きはしっかりしているものの、成人してまだ数年も経っていないだろう幼さを残した優しげな顔立ちをしている。


「ヨアヒム様っ」


 アイリスに抱き付かれていたモニカが、驚いたように立ち上がる。

 息を切らしながらモニカの側まで来た男は、思わずと言った態度でモニカの肩を掴んだ。


「すまない、急に。君が倒れたと聞いて、居ても立ってもいられなくて」

「こちらこそ、ご心配をお掛けしてしまってごめんなさい。でも、今はこの通り元気ですから」


 しかし、その目が赤く腫れているのを見て、男は訝しげな眼差しを私とアイリスに向ける。そこに敵意が宿る前に、私は極めておっとりとした口調でモニカに尋ねた。


「モニカ様、こちらの殿方をご紹介頂けませんかしら」


 モニカは、はっと慌てた仕草で男を私たちに紹介した。


「この方は、グラシーザ伯爵家のヨアヒム様と仰います。伯爵家は貿易業にたずさわっておられ、わたしたちにこの家を貸して下さってもいます。ヨアヒム様、彼女たちはわたしのお友達でミラルディア侯爵家のアイリス様とグィシェント子爵家のシャーリン様です」


 ドレスの裾を軽く摘まみ、私は挨拶をする。


「お初お目に掛かります。シャーリンと申します」

「ヨアヒム・グラシーザだ。伯爵家と言ってもしがない三男坊で、今は家業の手伝いをしているよ」

「わたしはアイリスよ。よろしく、ヨアヒムさん」


 アイリスは物怖じの欠片もない態度で、ヨアヒム・グラシーザに手を差し出した。ヨアヒムは目を白黒させながらも、手を握り返す。

 うんうん、アイリスは下がっていなさい。


 私は無礼にならない程度にヨアヒム・グラシーザを観察する。

 身なりは小奇麗で、華美ではないが程ほどに予算を掛けている。年若いせいで些か頼りなさの伺える優男だが、見目はそれなりに整っている方だろう。若い男と遊びたい未亡人にモテそうな顔だ。

 貴族でかつ貿易商を営んでいるということは、直接か間接かはさだかではないが、恐らく商売人同士の繋がりでウルマン男爵家はグラシーザ伯爵家からこの家を借りるに至ったのだろう。


「あの、モニカ様とヨアヒム様は、御婚約を……?」


 私がおずおずと尋ねると、モニカは真っ赤になって首を振った。


「ま、まさか! 確かにヨアヒム様には、こちらに来てから本当にお世話になってはいますが、ただそれだけです!」


 それにしては随分親しげだけど。

 そんな野暮なことは言わず、そうですかと私は頷く。

 田舎の男爵家と王都で貿易業を営む伯爵家では、家格には大きく差があるものの、三男坊の婿入りを前提とし互いに商売上の利点があるならば、有り得ない組み合わせではないだろう。


「君が倒れたという夜会にも出ていたんだけど、すぐに帰ってしまったんだ。こんなことになら、最後まで残っていれば良かったよ」


 酷く悔やむような表情を浮かべるヨアヒムを、私はふむと注視する。


「アイリス様たちがいて下さったから、大丈夫でしたわ。それに、あの事故にヨアヒム様が巻き込まれてしまわず、何よりでした」

「そうか」


 安堵するように答えるモニカに、ヨアヒムも短くうなずいた。

 そんな突然の闖入者とのやりとりもひとまず落ち着いたところで、私は彼女たちに声を掛ける。


「申し訳ありませんわ。お伝えいたしておりました通り、あたくしはこの後予定がございますから、こちらで失礼させて頂きます」

「あっ、はい。何のお構いもできずに申し訳ありません」


 慌てた様子で頭を下げてくるモニカに、私はふんわりと微笑みかける。


「手作りのマルベリージャムを使ったスコーン、とても美味しかったですわ。アイリス、貴女はまだこちらにいらっしゃるのよね」

「うん、もう少しお邪魔させてもらうつもり」


 私はそれを確認して、席を辞す。ヨアヒム・グラシーザもどうやら顔を見に来ただけで、すぐに帰るようだ。

 そして私はモニカの家を出たその足で、招待されていた次の茶会に向かったのだった。






 とある派閥内での結束固めのための茶会。そこに話題を提供する為に呼ばれた私だったが、もちろんこちらはこちらで引き出せる情報がいくつかあった。


 ぱっと見て気付くのは、緑のドレスを纏う令嬢が劇的に増えていることだ。

 まだ試作段階のものも多いのか、緑と言うには黄色がかっていたり灰色に近かったりというものもあったけれど、流行とはっきり言えるほど緑系のドレスが目についた。

 今日の茶会でもっとも鮮やかな緑色のドレスを着ていたのは、布問屋に伝手のあるノイマン侯爵家のご令嬢だ。彼女が、我が世の春とばかりに他の令嬢たちに居丈高に振る舞っていたのが目立っていた。

 もっともあの家は立場を乱用して、弱者に対して無体な振る舞いをすることも多いと聞いている。果たしてその隆盛がいつまで続くか、楽しみだ。

 

 そしてもう一つ、気になった事がある。それは『呪いの令嬢』の話が、かなり多くの人々の間で広まっていたことだ。

 以前、他の茶会に出た時にはまったく聞かなかったので、やはり先日のシャンデリア落下事件がきっかけとなったに違いない。

 具体的な名前はもちろん出て来なかったけれど、噂はかなり詳細に出回っており、少し事情通ならばすぐに名前を知ることができてしまうだろう。

 さりげなく話題に乗ってみると、これまでのモニカが参加した夜会や茶会での不可解な事故についてもこと細かに聞くことができた。確かに、そのあたりは本人が語った通りのようだ。


 ただ興味深いのは、『呪い』のかなり具体的な部分までも詳細に出回っている事だ。

 『呪いの令嬢』は、異国の呪術である蠱毒を用いると噂されている。自らに幸運をもたらす為、そして憎い相手を懲らしめるため【金蚕蠱きんさんこ】を使うのだと言う。


 蠱毒は基本的に、毒を持つ虫百匹を小さい器に入れ共食いをさせ、それを使って人を呪う術を指す。犬神や猫鬼も、広義では蠱毒に入るだろう。そして金蚕蠱もまた、蠱毒の一つだ。

 もっとも金蚕蠱はそうした蠱術の中では、少し特殊な部類に入る。金蚕蠱はその姿が文字通り蚕に似ており、金色で、緋色の錦を食べるという。故に食錦蚕とも称される。


 金蚕蠱はその飼い主に富を与えるとされているが、飼い主は年に一度得た幸運の清算をしなけらばならない。金蚕蠱によって金貨を一枚得れば、二十枚の金貨を金蚕蠱に差し出さないといけなくなるのだ。それを怠れば、災禍が降りかかり、家人が死ぬと言う。

 それを逃れるための方法が、嫁金蚕だ。飼い主は銀と花粉と香灰を布で包み、人でにぎわう場所に置き去りにする。すると、それを拾った人間が今度は金蚕蠱に憑り付かれてしまうのだ。


 噂では犬神憑きと一部混同されているようだが、確かにモニカは自身を嘲る意地悪な令嬢に良い感情を抱いていなかった。つまり、同機はある。

 またヴィヨン地方では、数年前に大規模な移民の受け入れを行った。その為、遠い東方の国に伝わる呪いの方法を知る手段があるとも言える。

 そしてひと月前の王城での舞踏会で、モニカはハンカチを落とした。アイリスと一緒に探し回っていたというその姿は、さぞや目立ったことだろう。それが嫁金蚕を行おうとしていた現場だと、穿った見方ができない訳でもない。


 そうした要素が組み合わさった結果、今広まっているような噂が出るに至ったのだろうが、それにしてはおかしなことがいくつもあった。


 その最もたるは、蠱毒などと言う知名度の低い呪いが、どうして噂として広まるに至ったのかということだ。

 蠱毒は主に東方の国に伝わる呪いで、この国にはほとんど知られていなかったはずだ。特にその中でも金蚕蠱と言えば、もともとは旧夜琅国の少数民族の間でのみ伝わっていたもので、この国の人間が普通知るはずがない。


 自身に関係が薄く、話題性もない話には、人は関心を抱きにくい。逆に言えば、もともと興味を持っていたり、知識の下地があれば爆発的に噂が広まることもあり得る。

 自然発生したにせよ、誰かが意図的に広めたにせよ、ここまで一気に噂が広まったのには、一定の層にそれを受け入れる素養があったはずなのだ。

 果たしてそれは何なのか。


 そんなことを考えているうちに、茶会は終了していた。

 にこやかに挨拶を交わし、迎えに来た馬車に乗って寮へと戻る。

 少し時間が押していたらしく、空は早くも薄暗くなっていた。私はよそいきの踵の高い靴を、隠し持っていた平靴に履き替える。門限には十分間に合うだろうが、夕飯は食べ損ねるかも知れない。帰ったら侍女に軽食を頼もう。

 そう思った矢先、馬車が大きく蛇行し、急停車する。馬の驚いたような嘶きとともに御者が慌てて落ち着かせようとする声が聞こえてきた。


「どうかしましたか?」

 

 尋ねると御者の困惑の滲む返事が戻ってくる。


「いや、すみません。物陰から急に樽が転がってきて――、うわっ!!?」


 突如、御者の声が途切れる。私が何事かを問うよりも早く、馬車の扉が開き押し入ってきた無遠慮な手が私を引きずり下ろした。




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