#5 芸術(3)

 ある点で、特に近代の芸術家は著しい進歩を遂げたように見える。

 中でも大きな祝福は、風景をより生き生きと楽しむことができるようになったことにある。


 もちろん私は権威をもって語るつもりはないが、ターナー以前の画家たち——偉大な巨匠でさえ、風景画は人物画に比べて明らかに劣っているように思える。


 ジョシュア・レイノルズ卿によると、「ゲインズバラ(Gainsborough)はテーブルの上に、砕いた石、乾燥させたハーブ、覗きガラスの破片を組み合わせた風景の模型のようなものを額に入れ、それを元にして岩や木や水を描いた」という。


 J・レイノルズ卿は、このやり方の知恵について厳粛に論じている。

 彼は「こういった模型がヒントを与える上で役に立つかは、風景画の教授たちが最もよく判断できる」と言うが、それを推奨するわけではなく、全体として、このやり方は利益よりも害をもたらす可能性が高いと考えているようだ。


 カニングハムいわく、「ゲインズバラとともにイギリスの風景画の基礎を築いた」と評されるウィルソンの『ケーユクスとアルキュオネー(Ceyx and Alcyone)』の絵は、城は花瓶をもとに、岩はスティルトンチーズをもとに描かれたと言われている。

 実際、この絵は花瓶一本とチーズ一個の値段で売られたという説もあるが、当時の風景画の評価について高い理解をもたらすものではない。


 ごく最近まで、山の風景に対する一般的な感覚は、タキトゥスの言葉に表れていた。


「アジアやアフリカやイタリアを離れて、不恰好で発展途上で、荒れた空と憂鬱な外見のドイツに、生まれ故郷でもないのに行く者がいるだろうか」


 十八世紀末に書かれた『真理と詩と音楽(Truth, Poetry and Music)』に関する特別論文の中で、ビーティー博士(Dr. Beattie)が述べた「スコットランドのハイランド地方は憂鬱な地だ」という見解は興味深い。


「暗いヒースに覆われ、しばしば霧に覆われてぼんやりした山岳地帯が長く続き、狭い谷間には人がほとんど住んでおらず、激流の落差が鳴り響く断崖絶壁に囲まれている。非常に険しい土壌と荒涼とした気候で、牧草地の快適さも農地の労働も見込めない。大地や湖に沿って波が打ち寄せるときの悲しげな音——風向きが変わるたびに、岩や洞窟にこだまが反響して、寂しい地域で起こりやすいかすかな音——、月光が照らす、このような風景のグロテスクでおぞましい外観など。これらは、空想上の陰鬱さを拡散させる」[5]


 ゴールドスミスでさえ、ハイランド地方の風景は陰気で醜いと考えていた。

 ジョンソンは、「スコットランド人がいままで目にした中で、最も崇高な景色は、イングランドに通じる高い道である」という公理を定めたことで知られている。この言葉は、ジャイアンツ・コーズウェーが「見る価値はあるが、行く価値はない」という彼の区別に大きな疑問を投げかけている。[6]



(※)ジャイアンツ・コーズウェー(Giant’s Causeway):イギリス・北アイルランドにある、火山活動で生まれた四万本もの石柱群が連なる地域。巨人伝説の舞台でもある。一九八六年、世界遺産に登録。



 スタール夫人は、「賢い男に会うためなら五百リーグでも行くが、ナポリ湾を見るために窓を開けようとは思わない」と断言した。


 また、昔の鑑賞能力の欠如は、景観に限ったことではなかった。バークでさえ、ストーンヘンジについて「風格も装飾もなく、立派なものは何もない」と語っている。


 しかし、醜い風景は、場合によっては、人間に害を及ぼす可能性がある。

 ドン・キホーテを精神的に追い詰めた本当の原因は、騎士道物語の読みすぎではなく、ラ・マンチャの単調な風景だったことが巧妙に示唆されている。


 風景を愛するのは芸術だけではない。

 芸術と科学の幸せな組み合わせが、私たちを取り囲んでいる美しさを知覚できるようにトレーニングしてきたのだ。


 芸術は、私たちが物を見ることを助けてくれる。そして——


「考えることのできる一人のために、数百人が話すことができる。見ることのできる一人のために、数千人が考えることができる。ことは、詩と予言と宗教のすべてが一つになっている……。芸術の偉大さには二つの特徴があると常に心に留めておくことだ。第一に、自然の事実を真剣かつ強烈にとらえること。第二に、人間の知性の力でそれらの事実を秩序づけて、それを見るすべての人のために、最大限に役立ち、記憶に残り、美しいものにするのだ。このように偉大な芸術は、力強く気高い人生の『型』に過ぎない。卑しい人は、自分の周りで起こるすべてのことに対処する際に、まず何もはっきりと見ておらず、何も公平に見えず、予想することも理解することもできないまま踏みにじり、激流と逃れられない力に押し流されるのを許してしまう。気高い人は、世界の事実を直視し、深い能力でそれらを理解し、心配し過ぎない知性と焦らない強さ(人間の知性と意志)でそれらを扱い、してする上で、無意識でも取るに足りない代理人でもなくなるのだ」[7]


 また、この点でも、さらなる進歩が起こり、現在の私たちには理解できない、または、かすかにしか感じられない美しさや喜びが、後世の人たちのために用意されていると期待しないわけにはいかない。


 今でも、多かれ少なかれ、芸術と呼べるもの——絵、写真、彫刻などがない家はほとんどない。

 現在の芸術が、人生の幸福に貢献しているように、将来はさらに効果的に貢献してくれると期待してよいだろう。



【原作の脚注】


[1] Reynolds.

[2] Shakespeare.

[3] Dryden.

[4] Haweis.

[5] Beattie, 1776.

[6] Boswell.

[7] Ruskin.

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