善きサマリア人になりたかった日記
先日、電車から降りるときに入口でもたついているおばあさんに遭遇した。
迷惑をかけまいと、ぞろぞろと降りていく若者に「お先にどうぞ」と声をかけて、皆がおりていくのを見送った後自身も降りようと昇降口で手押し車をガタガタやっていた。
ドア横にいた乗客が足をどけない。しかも昇降口の両側に門番のように突っ立っているものだから余計に降りにくいのだろう。咄嗟に「大丈夫です?」と声が出た。
それよりも早くご老人用手押し車を後ろから持ち上げて地面に下ろしていたので慌てて声を出したという感じだった。
おばあさんは「大丈夫です。ありがとう。」と優しく言ってくれた。
私はそのときとても恥ずかしくなった。
私はおばあさんが困っていると思ったから手伝っただけで、本当は困ってなどいなかったかもしれない。もしかしたら迷惑だったかもしれない。
それでもそのおばあさんが「ありがとう」と言ってくれたから私の行動は「人助け」になったのだ。
お祭り会場で落とし物を拾って、周囲に探しているそぶりの人もいなかったので会場スタッフさんに届けたときの「ありがとう」。
車いすの方が来院したのを見て、咄嗟に入口のガラス扉を押さえたときに付き添いのかたから言われた「ありがとう」
もしかしたら全部余計なお世話だったかもしれない。
助けになっていなかったり全部裏目に出ていたりしていたかもしれない。
それでも皆が「ありがとう」と言ってくれた瞬間にそれは初めから善行だったことになるのだ。
ときおり「優しい人だ」と評される。
本当に優しいのは、私を優しい人でいさせてくれる人なのだとようやく気づいた。
自分はその人たちに自分の行動を許してもらっているだけに過ぎない。
ちなみにその日は清掃のアルバイトがあった。
普段はあまりないスポット清掃の業務があり、皆で工夫しながらの作業だった。リーダーというものはいないので誰も指示を出さない、まとめない。
それでも各々ができることを自分で見つけて動いていた。
私は普段の業務は慣れてきた頃だったがスポット清掃は初めてだったのでどぎまぎしながらも、積極的に手を出した。
他のパートさんたちは本当に細かいところに気が付く。ぼうっとしている人なんかは一人もいない。気を回せない自分が本当に嫌になって、少しでも仕事をしようと他のパートさんの手伝いに走り回った半日だった。
おばあさんに出会ったのはその帰りの電車。
気が付けば咄嗟に手が出ていた。とって付けるように「大丈夫です?」と声をかけた。
人助けをする際いつもは躊躇して、頭の中で何度もシュミレートを繰り返してから声をかけたりする。今回は身体が先に動いてしまった。
その日のバイトでさんざん手をお貸しした。困っている先輩に清掃用具を貸したり人が足りなそうな作業を見つけるたび駆けつけたり。
その延長として行動につながったのだ。
困っている人を見たらパッと手伝うことができる、そんな癖がついたのかもしれない。それはいいことのように思えるが不安でしかたない。逆に人を傷つけたり迷惑になっていたら…
そんなことを母に相談したら「人助けは自分がしたいからやっているんだ。」と言ってくれた。「結局は自己満足に過ぎない、けど自分が『あのとき手を添えていれば…』と後悔しないように、自分のためにやるんだ。」とも。
相手がどう育ってきてどういった価値観を育んできたかも、相手がどう思っているのかもぱっと見ではわからない。それでも手が出て、声をかけてしまうのは自分のためだ。後で「こうしていれば…」と思わないためにifの世界の自分を救うためだ。
そして思い返せばたくさんの人に助けられてきた。おばあさんを見て「ああ、この人は困っているんだな」と推察したのは自分も同じように困った経験があり、助けてもらったことがあるからだ。
人の優しさとそれを受けた経験はきっと数珠つなぎにつながっていくのだと思う。
きっと、今までの私の行動はどこかに波及するのではないか。もし本当にそうだったら…もう少し頑張って生きてみようと思う。自分のため。
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