両極


自殺という選択肢が常に入ってきてから、「どうせいつでも死ねるしな」という気持ちになり、怠惰になっていった。しかし頑張りたい、もっとできるはずと湧き出てくる気持ちも確かに存在するのだ。


いつでも死ぬことができる、死というものを意識すると何かをしようと行動に移すこともばからしく感じてしまう。学校に通う意味、お菓子を食べる意味、寝る意味。

治療費。母が私に割いてくれる時間。全てを無意味に感じる。


と、同時にお菓子はおいしいし、母が私に構ってくれるのも嬉しいと感じる事実がある。

人に迷惑をかけたくはないけれど、看護師さんに優しくされるのは嬉しい。

人に迷惑をかけたくないから早く死んでしまいたいし、死ぬのは怖い。

楽しく談笑しながら死にたいという気持ちが鎮座している。


 この相反した感情は常に、同時に湧いてくる。なかなか苦しい。


 これはなんと言うのだろう?両面感情、葛藤?

感情と感情の間をフラフラ綱渡りしているような感覚だ。

海と地の境である堤防の上を歩いているような、ビルの屋上の縁を歩いているようなイメージで、風を受けて容易にどちらかへ転ぶことも出来る状態。



 両極。これは私自身に流れる血に対しても言えるだろう。


 私の父と母は何もかも正反対だった。考え方や能力まで父方と母方は真逆。

父方は全員天才、お硬く不器用、その反面規律には緩い。

母方はみんな秀才、社交性があり人情に厚い、潔癖症。

・・・・・


 本当になにもかもが両極で、よく価値観をすり合わせて家庭を築いてこれたなと両親を見て思う。

 そしてこの両極端な血が私の身体に入っていると思うと不思議だし実際苦しい思いを何度もした。自分の中でいつも何かが相克しているのだ。


 父方の家系を憎んでいた中学時代は、この身体に流れる血すらもおぞましく感じていた。父方に良く発現していた特性が私にも表れてしまったときには酷く落ち込んだし自らを軽蔑した。

 

 綱引きのように毎日両方の血に引っ張られて引き裂かれそうになる私の心。

常に正反対の価値観が、言葉が、欲求が私に纏わりついてはなれない。


・・・自殺願望はどちらの遺伝に引っ張られているかは見当がついているがみな自力で死ねた試しがないらしい。私はそちらサイドの血の特性を何としてでも断ち切りたいと思っている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る