ep9/冥界庭園にて(後編)


 ルミルオーヴェは「ほら。あの光の玉をごらんなさい」と、理解できないという顔をしていたリゼータの背後に視線を送る。

 その視線にうながされてリゼータが振り向くと――そんなのものが一体いつからあったのだろうか――暖かな光を放ちながら、まゆのような玉が浮かんでいた。


「あれはあなたの心魂たましいと肉体つなぐ扉のようなものよ。あれが出現したという事は、現世にあるあなたの肉体は失われていないということ。扉をくぐれば、現世に帰ることが出来るわ。

 でも、時間がてば光の玉は消えてしまって、あなたが現世に戻る機会も失われてしまうから、もし帰りたいなら急ぐ事ね」


 前のめりで「そうか。なら――」と、椅子いすから立ち上がろうとするリゼータ。

 しかしそんなリゼータを、ルミルオーヴェは涼やかな眼で射貫いぬいいて静止した。


「ただ、あなたはもう三度も死にかけている事を忘れないで。それによって、あなたの心魂たましいは大きなダメージを負ってしまっているの。これ以上、心魂に負荷をかけるようなことがあれば、絶対的な死――真滅ガラドゥおとずれるでしょう」


「真滅だと……?」


 その言霊に強力な圧を感じたリゼータが、怯えるような視線で説明を求めると、ルミルオーヴェは顔の前で両手を組み、淡々と宇宙の真理について語り始めた。


真滅ガラドゥ――それは、完全なる死ということ。真の死。永遠の死。完全なる死。輪廻からの脱落。宇宙からの消滅。捉え方は様々だけれど。

 これ以上のダメージを受けて、あなたの心魂が砕け散れば、もはや輪廻転生を選ぶこともできず、存在そのものが消滅して無となる。それが真滅よ」


 リゼータが真滅という状態を想像した瞬間、死を意識した時に感じた恐怖よりも、何千何億倍もの強烈な恐怖が――それだけで心臓が止まり、死んでしまいそうになる程の――心の底からき上がってくる。


 「はっ、はっ、はっ、はっ……!」顔を真っ青にして、過呼吸かこきゅうあえぐリゼータ。

 そのあまりにもあらががたく根深い衝動は、リゼータの心魂たましが誕生した瞬間に刻み込まれた、超々原始の絶対的な畏怖いふなのかもしれなかった。


 いつの間にか立ち上がっていたルミルオーヴェが「落ち着いて。大丈夫よ」と、リゼータのかたわらでその背を優しくさする。そしていつくしむように語り続けた。


「でも輪廻ノ河サンバールひたれば、その傷はいやされていくの。千年か一万年か……時間はかかるけどね。そして現世の全てを忘れて、来世を生きることも出来るわ。

 そしてリゼータ。今のあなたに言うのは酷かもしれないけど、時間が経ちすぎると現世への扉は消えてしまうの。そろそろ決めなくてはいけないわ」


 そうして冥界の盟主は、改まった口調でリゼータに決断を求める。


「現世に戻り苦痛の生を選ぶ? それとも輪廻の河に飛び込んで来世に希望をかける? もしくは……私とここで永劫の時を過ごすなんていうのもアリかもね?」



 重く厚い沈黙が、ルミルオーヴェの庭園を支配する。

 がっくりと椅子に座り込み、両手で頭を抱えながら苦悩するリゼータ。

 むろん、出来ることならリゼータも現世に戻りたかった。しかし真滅ガラドゥのことを考えると、心魂にひびが入った時の苦痛を思い出すと、言語を絶するような恐怖を感じるのだ。

 そんなリゼータの横顔を、ルミルオーヴェもまた苦しそうに見詰めていた。


 時間にしてわずかだが、永遠のような苦悩がおとずれる――そんな時だった。

 橙色とういろに輝く光球の内から、悲痛な叫び声が聞こえてきたのは。


『リゼータ! こんな所で死ぬなんて、僕は絶対に許さないぞ!』

『リゼ君! お願いだから目を開けて! お願いだからっ!』

『リゼ兄ぃ! やだよっ! 帰って来てよおぉぉっ!』

『起きてくださいリゼータ! こんなの……こんなの嫌ですっ……!』


 その叫びに呼応こおうするように、リゼータの内側が『どくん』と脈動する。

 もうひびだらけのはずの心魂たましいから、止め処ないエネルギーがき上がるのを感じた。


『ほら、目を覚ましてリゼータ。あなたを愛する人がこんなにいるのよ』


 そして今度は――ひときわ温かくて優しい――女の声が聞こえた。

 しかし、どこかで聞いた事はあるのだが、どうにも思い出せない。それでも、その声は太陽のように暖かく、力強く、あふれんばかりの慈愛じあいに満ちていた。

 リゼータの心魂たましいさらにに熱をび、生への渇望かつぼう際限さいげんなく高まっていく。


(…………ああ。会いたい。みんなに会いたい……!)


 リゼータは激しく思い知った。そして心の底から理解した。

 大切な人の言葉というものが、これほどにまでに心を揺さぶることを。

 胸を焦がすこの衝動の前では、合理的な判断も、千年に一度の悟りも、永遠不変の真理も――何もかもが、ちっぽけに思えることを。


 これからも想像を絶する苦難があるだろう。

 それでも現世への帰還きかんを熱望した。

 また愛する者たちと出会うために。笑って語り合うために。


 気が付けば――真滅ガラドゥに立ち向かう勇気さえ手にしていた。

 とてつもなく恐ろしいが。凍て付くほどに恐ろしいが。

 リゼータは顔を上げる。その紅蓮ぐれんの瞳に、もはや迷いは無かった。


「……そう。やはりあなたは愚かね。けれどその道を選ぶというのなら、私は幸運を祈りながら、ただ見送るだけよ。それにどうやら……小さなおむかえも来たようだしね」


 何かをこらえるようにうつむくルミルオーヴェの頭上から、なつかしい鳴き声が聞こえた。


「――――にゃあぉ」


 リゼータ驚いて上空を見やると――そこにいたのは、翼のえた青い猫。

 十年ぶりに再会した空猫が、薄暗い闇の中を可愛らしく舞っていた。


「お前もいたのか。久しぶりだな」


 庭園に降りた空猫にけ寄りながら、リゼータが親しげに口を開く。

 空猫が死のふちにいたリゼータを見付け、ルミルオーヴェの下に案内してくれたおかげで、リゼータは愛する人たちに巡り合うことが出来たのだ。

 彼等から受けた借りは大きすぎて、どうやって返せばいいのか分からない。そんなリゼータの気持ちなどつゆ知らず、空猫は呑気のんき毛繕けづくろいをしていた。



 そして、ついに帰還きかんの時が来た。

 リゼータは空猫に導かれるように、光り輝く扉の前に立つ。

 それから、見守るようにたたずんでいたルミルオーヴェに振り返った。


「ルミルオーヴェ。十年前に……三年前と今回もだが。お前が生き返らせてくれたおかげで、俺は生きる喜びを見つけることが出来た。何よりも大切な宝物を得ることが出来た。

 ここでお前に会ったことは、きっと忘れてしまうだろう。だが俺の心魂たましいの奥底では――絶対にお前への感謝を忘れない事を誓おう」


 リゼータの感謝を受けて、ほうけたように立ち尽くしていたルミルオーヴェだったが、やがて「……いいの。これが私の役目だもの」そう言って、哀しげな笑みを浮かべた。

 その表情が気にかかったリゼータだったが、批難ひなんめいた「にゃあお」という一鳴きを受けて、足下で身を寄せる空猫に言った。「ああ、もちろんお前にも感謝しているさ」


 それからリゼータは少しだけ逡巡しゅんじゅんすると――記憶を取り戻した瞬間からいだいていた疑問をルミルオーヴェに投げかけることにした。


「なぁ聞かせてくれ、ルミルオーヴェ。今も昔も……どうして俺だけ、こんなに特別の扱いをしてくれるんだ? 他の死者には、俺と同じようによみがえらせたり、茶をれてくれるわけじゃないんだろ?

 茶会のおかげで心魂の痛みが収まった気がするし、俺が答えを見付けるまで懇切丁寧こんせつていねいに導いてくれる。

 それは感謝はしているし、疑っているわけでもないんだが……お前にも何か目的があるんじゃないのか?」


 その問いに、しばらくうつむいて口をつぐんでいたルミルオーヴェだったが、やがて悪戯いたずらする乙女のように「それはもちろん……あなたが私のお気に入りだからよ」と、薔薇のような笑みを浮かべながら答えた。

 そこに隠すような意図を感じたリゼータだったが、それ以上の追及はあえてけ、穏やかな口調くちょうで別れの言葉を告げた。


「……まぁ、いいさ。いつか本当の理由を教えてくれ。本当に世話になった。じゃあ…………またな」


 ルミルオーヴェはくすくすと笑いながら、冗談めかした調子で応じる。


「ふふふ……ええ、いつでも歓迎かんげいするわ。あなたにとっては、その“また”が無い方が良いに決まってるんだけど」


「ははは、確かにな……違いない」


 それが、二人が交わした最後のやり取りになった。

 リゼータは空猫と共に、温かな光の中に歩を進めていき――やがて消えた。



 

 そして、甘い薔薇の芳香ほうこうただよう庭園には、その主であるルミルオーヴェだけが残された。

 久方ぶりの客人はもういない。リゼータが去り、空猫も去った。

 空を見上げれば果てしなき暗黒。輪廻ノ河サンバールもどこかに隠れてしまった。

 残ったのは刹那せつなの記憶と温もり、永遠のように横たわる闇と静寂せいじゃくだけだった。

 

 やがて――ルミルオーヴェの紫水晶アメジストの瞳から、き通る涙が流れ出した。


「……嗚呼ああ、愚かなリゼータ。哀れなリゼータ。そして……何よりもいとしいリゼータ。どうして私は、あなたを愛してしまったの? こんな感情なんて知らなければよかったのに……!」


 それは、心魂たましいに秘めた独白だった。


「私にはあなたに感謝される資格なんてない――この罪深い私には。ゆるしてくれなんて言わない。いっそ憎んでほしい。むごたらしく八つ裂きにしてくれても構わない。でも私は、全てが終わるまでは……滑稽こっけいな道化を演じるしかないの」


 それは、悔恨かいこんの涙だった。

 絶望に満ちた懺悔ざんげの言葉だった。


「……リゼータ。いつか辿たどり着いて。覇獄者アビスブレイザーへと。そしてきっと抜け出して。この宇宙を支配する――運命の牢獄から」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


〈作者コメント〉

どうも。クレボシと申します。

これくらいの長さだったら、前後編に分ける必要も無かったか。でも一呼吸置いた方が良いときってあるからな。

応援・感想・評価などをつけて頂けると嬉しいです。

誤字脱字の報告もしていただけると助かります。

※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。

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