ep8/冥界庭園にて(前編)


 ――――寄る辺なき無窮むきゅうの闇の中。


 己の存在すら不確かで、心魂たましいさえも消え去りそうな空間で。

 唐突にリゼータは、己がひとりで立っている事に気が付いた。


 そこは何とも不可思議な――まるで夢の光景のような場所だった。

 例えるならば、夜空にぽつねんと浮かぶ小さな庭園だろうか。


 外周に備え付けられたガス灯のおかげで、庭園の姿がくっきりと見える。

 美麗びれいに咲き乱れるロイヤルパープルの薔薇の園の中心には、ぽっかりと切り取られたような隙間すきまがある。

 そこには瀟洒しょうしゃな丸テーブルと二脚の椅子が置かれ、テーブルの上には白銀の紅茶器具が供えられており――知らぬ間にリゼータは、そのかたわらにたたずんでいたのだった。


 ぎこちなく周囲を見回しながら「ここはどこだ?」リゼータは独りごちた。

 そしてこの奇妙な庭園に来る前に、自分は何をしていたのかを思い出そうとする。

 すると徐々に記憶がよみがえり始め――リゼータは“ひょっとして、もう自分は死んでいるのではないか”という考えに思い至った。


(帝都を獣災スタンピードが襲い、空猫ノ絆おれたちは獣災の首魁である歪蝕竜ツイストドラゴンと戦った。倒したと思ったが、死んだふりをしていた歪蝕竜の思わぬ逆襲を食らって――)


 そして仲間をかばい、猛烈な爆雷に呑まれた事は覚えている。

 あの瞬間、己の血が沸騰し、肉が焼ける匂いをいだ。そして胸の奥底で、心魂たましい罅割ひびわれる音を聞いた。

 肉体的にも精神的にも痛みに慣れているリゼータだったが、それでも耐え難く、発狂しかねないほどの――とてつもない激痛だった。


(やはり俺は死んだのか? となると……ここは冥界めいかいか?)


 あらゆる生命は、肉体が滅びた後は霊体となり、冥界に向かうと聞いている。

 しかし冥界にしては想像と違いすぎる気もした。ひょっとして、気まぐれな死神にでも誘拐されたのかもしれない――そう推察すいさつしていたリゼータだったが、突然に雷に打たれたように身を跳ねさせた。


(いや……待て。俺は何度かここに来たことがあるぞ)


 次第に、リゼータの眠っていた記憶が覚醒かくせいしていく。

 そう。この奇妙な花園に訪れたのは、これが三度目だった。

 一度目は十年前の死の森で、二度目は三年前の深淵魔獄アビスロックで、そして今回は帝都を襲った獣災によって――いずれも死の寸前にやって来た。

 完全に忘れていた身としては、その記憶も疑わしかったが。


(どうやらこの世界の記憶は、現世では忘れる仕組みになっているらしい)


 そんな仕組みを作ったのは神か悪魔か、それとも自然の摂理せつりなのか。

 すると前回も同じ思考に辿った事を思い出し、リゼータは大きく溜息ためいきく。

 つまり死後の世界を認識するのは不可能ということであり、たとえば何らかの真実や悟りを得たとしても、現世に戻れば綺麗さっぱり忘れてしまうということだ。

 それならば――今ここに居る事に、何の意味があるというのか。


 途方に暮れるリゼータが、力無く暗黒の空をあおいだ時だった。


(……あれは何だ!?)


 冥闇めいあんの奥深くから、もやがかった燐光りんこうが浮かび上がってきた。

 それはあまりにも超大な光の河だった。むげんかたちどる果て無き光の帯だ。その遠大さに圧倒され、リゼータはしばらく我を忘れてしまう。


(あの光の一つ一つが……心魂たましいなのか? 一体どれだけの数の心魂があそこに……)


 そしてその輝く大河に流れているのが、おびただしい数の心魂である事を本能的に理解し、しばらくの間リゼータは、唖然あぜんと大河を見詰めることしか出来なかった。



「――あれは、輪廻ノ河サンバールよ」


 不意に、背後で何者かが語りかけてきた。

 リゼータが驚いて振り返ると、そこには――漆黒しっこくのワンピースドレスをまとった絶世の美少女が、微笑みを浮かべながら立っていた。


 腰までらした絹糸のようにつややかやかな黒髪。染み一つ無い白磁はくじのような肌。全てを見通すような紫水晶アメジストの瞳。

 そのたたずまいを形容するならば、可憐かれんさと美麗びれいさと静けさが同居しており、高貴さなどはるかに越えて、神々こうごうしいというのが相応ふさわしかった。


 少女が持つ幻想的な空気を前に、思わず言葉を失ってしまうリゼータ。

 そんな彼を愉快ゆかいそうに見詰めながら、鈴のように澄んだ声で少女は語り始めた。


「あの光の河に飛び込めば、あなたの心魂の汚れと傷は洗い流されて、全てを忘れて現世から解放される。そして時が来れば、新しい世界に生まれ直す事が出来るのよ。もしもあなたが、それを望むなら……だけどね」


 リゼータは現状に戸惑とまどいながらも、少女の言葉を頭の中で反芻はんすうする。


(あれが……輪廻ノ河サンバールか。聞いたことがある)


 輪廻ノ河とは、世界各地で語り継がれる伝説上の大河だ。

 言い伝えによれば、心魂を司る神霊が管理する河であり、入水すれば心魂が清められ、新しい生命へと転生することが出来るのだという。


 本当に存在したのかとリゼータが驚きを隠せずにいると、思い出したように少女が「さて、挨拶あいさつがまだだったわね。ようこそ私の庭園へ」と、スカートのすそを持って一礼し、可愛らしくも優雅ゆうがなカーテシーを行った。

 一方でそんな彼女の姿に、リゼータは頭の奥がうずくような既視感きしかんを覚えていた。


(俺はこの少女のことを知っている……確か名前は……)


 紫水晶アメジストの瞳で、期待するように目を輝かせる少女。

 リゼータは口元に拳を当てながら、記憶を探っていき――やがて答えに行き当たる。


「お前は確か……ルミルオーヴェ。冥界の主……冥月霊王めいげつれいおうルミルオーヴェ」


 正解とばかりに、少女はにこりと微笑んだ。


「そうよ。覚えてくれていて嬉しいわ。久しぶりねリゼータ」


 覚えられていた事がよほど嬉しかったのか、それとも久々の来客に張り切っているのか、ルミオーヴェは浮かれたように身をおどらせ「さぁ座って頂戴ちょうだい。何も無い所だけど、心から歓待かんたいさせて貰うわ」と、ティーパーティの準備にいそしむのだった。




 それから――ルミルオーヴェによる、ささやかな茶会が開かれた。

 無限に広がる宵闇よいやみの世界。天には光り輝く輪廻ノ河サンバール。赤紫に咲き誇る薔薇たちに囲まれながら、ふたりは幾年ぶりかの再開を喜び合った。


 ルミルオーヴェが用意した品々は、傍目はためには人が利用するものと変わらなく見えた。

 しかし白銀に輝くカップに注がれる紅茶からは、意識を失いそうになるほどの神々こうごうしい香気が放たれ。口にした焼き菓子やケーキは未知の味だったが、間違いなくそれは今まで食べたもののなかで、何よりも美味だったとリゼータには断言できた。


 恍惚こうこつとした表情を浮かべるリゼータを、ルミルオーヴェは両手で頬杖ほおずえを付き、優しい笑みで見詰め続けていた。その姿はまるで幾億年を生きた神霊とは思えず、見た目相応そうおうの無邪気な乙女のようだった。


 しばらくしてから、ルミルオーヴェも紅茶に口をつける。

 堂に入った上品な立ち振る舞いで、じっくりと馥郁ふくいくたる香りを楽しんでいる。

 そんな絵画のような光景に見とれながら、リゼータは目の前で紅茶を味わっている冥月霊王めいげつれいおうについて、想いを巡らせていた。


(……冥月霊王、ルミルオーヴェか)


 天地開闢てんちかいびゃく神代しんだいから存在するという、神のごとき精霊。

 八柱いる精霊の王のうちの一人。冥界の盟主にして真理の守護者。

 冬の夜空に輝く冥霊月ルミーナは、彼女の仮の姿だとも云われる。彼女を信仰するものに加護を与え、その霊術は基本的に精神に作用するものが多い。


 その主な役割は、死後に冥界を訪れる心魂たましいを導くことだと云われている。

 輪廻ノ河サンバールを管理しており、罪深き心魂は苦難に満ちた来世に送り、善良な者には幸福に満ちた来世にいざなうとされる。

 果たして自分はどちらになるのだろうか――リゼータが己の人生を振り返っていると、ルミルオーヴェがおもむろに口を開いた。


「それにしても……あなたって愚かよね。今回のこともそう。あなたは誰よりも早く歪蝕竜ツイストドラゴンの自爆を察知していた。一人ならば逃げ切れたはずよ。それなのに、無謀むぼうにも他者をかばって自分が死んでしまった」


 唐突とうとつに、リゼータを責めるルミルオーヴェ。

 しかしその辛辣しんらつな言い草に腹を立てる前に、リゼータは気になる部分があった。

 リゼータが「俺が死んだ理由を、お前は知っているのか?」と問えば、ルミルオーヴェは悪戯いたずらじみた笑みを浮かべながら答えた。


「ふふふ……あなたの事は常に見ているもの。戦っている時も、食べている時も、寝ている時も、誰かと愛し合っている時も――そう、あらゆる瞬間ときをね」


 まるで愛玩動物ペットを観察しているのだと言わんばかりに、罪悪感などまるで感じていない調子でルミルオーヴェは告げた。

 一瞬不快感を感じたリゼータだったが、しかし幾億の時を過ごした神のごとき精霊という存在は、人間とはかけ離れた精神を持っているのかもしれないと思えば、腹立たしさも薄れていった。

 そしてリゼータの反応をたのしもうという意図は見えたので、全く意思疎通の出来ない相手でも無さそうだった。


 思い通りの反応を得られなかったのか、面白くなさそうにほほを膨らませるルミルオ―ヴェだったが、手にしていたカップを置くと、真剣な眼でリゼータに問い掛けた。


「ずっと理解できなかった。どうしてあなたは、そんなに苦難の道ばかりを選ぶの?」


 リゼータが「苦難の道?」と問い返せば、ルミルオーヴェは語る。

 「あなたの血のにじむような努力はずっと見ていたわ。やがてあなたは、人間としては破格の力を手に入れた。それほどの力があれば、もっと面白おかしく暮らせるはずでしょう?

 なのにあなたは、いつも誰かの為に傷付いて血を流して、そして――我が身をかえりみずに命をける。それは何故なの?」と、心底不思議そうな表情を浮かべている。


 リゼータはしばらく考えて「誰に対しても身体を張るわけじゃない。大切な仲間にだけだ」と答えると、ルミルオーヴェは「大切な仲間ね……精霊の私にはよく分からないわ」と、心の乖離かいりに落胆したようにうつむくが、それから消え入りそうな声で己の心の内を吐露とろした。


「……でも、苦しんでいるあなたを見ているのは辛いの。どうにかして助けてあげたいと思うわ。こんなのって、精霊らしくないかもしれないけど」


 そう告げたルミルオーヴェの哀しげな顔は、まるで人間のように見えた。

 重い沈黙がしばらく続いたが――やがて、それを壊すようにリゼータが口火を切る。


「とはいえ、もう誰かの為に身体を張ることはなくなったな。歪蝕竜との戦闘で俺の肉体は確実に崩壊して――死んだんだからな」


 そう自棄やけっぱちに言い放って、リゼータは輪廻の河を見上げた。

 リゼータの経験に照らし合わせれば、あの歪蝕竜の自爆にまれたら――たとえ心魂は残ろうとも、肉体は再起不能なまでに崩壊して――生きているはずがないのだ。

 しかしルミルオーヴェは、すぐにその言葉を否定した。


「そう決めるのは、早計そうけいね」


 落ち着き払った様子で、再び紅茶に口を付けるルミルオーヴェ。

 しかし反対に、リゼータはその発言が気になって「……どういうことだ?」と、顔を強張こわばらせながら、精霊王に恐る恐る問うのだった。


「だって――あなたはまだ死んではいないもの」



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〈作者コメント〉

どうも。クレボシと申します。

ゴスロリ美少女って好きです。水銀燈がいっちゃん好きです。

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※タイトル(ABYSS×BLAZER)はアビスブレイザーと読みます。ブレザーじゃないですよ。

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