10.火の大晶石
接収から解放されたホワイトノアは一路エクエスを南へ向かい、大きく迂回する形で極海を越えるとアオスブルフ北の海岸に降り立った。
そこからしばらく歩くと辺境の村ゼンがある。ホワイトノアを残してシンたちはゼンへと入る。
「おや? 珍しいね。どこから来なさった」
「ナイトフレイからよ」
顔見知りの人間ばかりなのだろう。それでも閉塞感は感じさせないその問いかけににこやかにイーヴが答えている。こういった受け答えは生来の柔軟性か、あるいは元々空賊である彼のほうが得手だ。
「ナイトフレイから、兵士さんたちと一緒に来なさったので?」
「え、兵士?」
「この辺境の村にしては珍しく軍部が駐屯しておる。イグニス山地へ先発隊も出ているようだし、何かあったのかね」
「どうかしらね、私たちただの民間人だから。でもあんまり駐屯地には近づかないようにするわ。ありがと」
適当に流しておいて、老人が去るとイーヴは笑みを消してまじめな顔で振り返った。先に声を上げたのはフィンだ。
「軍がいるのはまずかった、かな」
「あんまり近づかないほうがいいかもね」
言いながらシンは浜辺へ引き返そうとする。
「どうするんです?」
リエットが首をかしげながらついてきた。
「イグニス山地が気になる。あそこ、大晶石があるはずだし……」
「あのね、今あんた軍に近づかないほうがいいかもって言ったばかりじゃない」
「ホワイトノア置きっぱなしにするのもまずいよ。とにかく大晶石の様子、見に行ってみよう?」
可も不可もなく再び、ホワイトノアに乗り込む。
イグニス山地はそこからは南東だ。数十分飛ばすと巨大な晶石が見えてくる。まだ距離はあるが、いきなり乗り付けて軍と鉢合わせになっても嫌なので少し離れた場所に降りてやはり徒歩で移動することにする。
「……ここの大晶石って、野外研究所みたいだね」
人の気配を掻い潜るように近づくと大掛かりな機器が大晶石につながれているのが見えた。もちろん、無人と言うことはなく研究者らしい人間が何人もうろついている。
宿舎のように見える建物の他に、狭い谷地に張られているキャンプは存在を始めてまだ間もないようだ。その合間を行き来する、かっちりとした赤い制服の人間は少なくない。
「あれは軍の人では?」
「そうだ、あの軍服はナイトフレイの軍人のものだ」
岩陰に隠れながら近づく。観光とは程遠い物々しい雰囲気に、それ以上おいそれと近づけそうもないが……
「ん、あれは……」
フィンがやってきた人影に目を凝らしている。そこに居たのは彼と良く似た色の髪の少年だった。いや、青年と言うべきか? 微妙な年齢だ。
「ユーベルト!?」
「って誰?」
「フィンの弟さんだよ。間がいいんだか悪いんだか……」
みつかればエクエスの人間だと一目でばれてしまう。それは問題だろう。
何年ぶりかで弟の姿を見たフィンの視線は釘付けだ。緋色の軍服に身を包んだ彼の弟は、こちらに気づかず通り過ぎていく。
その向こうに、更に人影があった。軍服姿ではない。黒に近い濃い茶色の髪をした青年だ。それから、その手前には紫紺の髪の──
「ソル!?」
「なんですって!?」
ラウルとフリージアもいる。やはりアオスブルフの仕業だったのだろうか。声を潜めつつも叫ぶような反応をするイーヴだがその時。
「……! 何をする!」
「あはは! 馬鹿だね。わざわざ案内ありがとう」
ソルがその背中にサーベルを抜き放ったのを全員が見た。辛くもよけたユーベルトは、左の腰につけていた中型の銃を引き抜きソルに向かって構え、放った。
連発式らしく、残響が谷間に派手に反響を始めている。
「大変だ……!」
「待って、フィン!」
出て行こうとするフィンを制止して、シンは様子見に徹する。
フリージアが構え、ラウルはその後ろに控えている。一等兵と思しき若い兵士が彼らを取り巻くが、ソルは平然とサーベルを振り上げ……
「行け!」
と何者かに向かって命じた。
どこからともなく、咆哮とともに黒い獣が現れ、谷の上から降り立つと兵士に襲い掛かる。
場はあっというまに混戦になっていた。フリージアは小さな身体で平然と四、五人を相手に蹴り飛ばしている。戦えないかと思われたラウルも背後を取られるとその瞬間、ナイフで相手の喉を掻っ切る。かと思えば、次の相手の背後に回り、その細腕で喉を締め上げられた兵士はすぐに倒れてしまった。
騎士や剣士の戦い方とは違う。暗殺者などというものは見たことがないが、そんな言葉を彷彿させる動きだった。
「やっぱり見ていられない! 俺は行く!」
フィンが岩陰から飛び出す。剣を引き抜き、ソルの側の残った一人……同じく剣士であろう
兵士の攻撃をあしらうように流していた青年は、強襲する剣戟も受け流し、素早く後ろに跳んで追撃を避ける。
「フィン!」
「!?」
仕方なくシンたちも加勢に回る。駆け出たシンの姿を捉えた青年の瞳が刹那、驚きに見開かれた。
「シン……?」
青年の唇がそう動いた。剣戟で聞こえはしなかったが。
「何してるのさ! 早く抜剣しちゃいなよ」
その様子を見たソルの声音が少しだけ苛立って聞こえた。
青年は戸惑ったように剣を振るうが、視線は隙を縫ってシンへと流されている。
「お前の妹はアースタリアで死んだんだろ! 他人の空似さ」
「……!」
そういっている間にも一人、二人と兵士は倒されていく。研究者たちも恐れおののき逃げてしまっていた。
「何? あいつ、シンのこと知ってる?」
イーヴが矢を番えながら、気づいた。
逡巡はなく引き絞った弓を青年に向けて放つ。彼は退いてフィンと距離をとったが、そこへイーヴは走りこんだ。
「ちょっとあんた! シンのこと知ってるの!?」
「!」
「やっぱり……知ってるのね? あの子、記憶がないのよ。あんたのことわからなくても仕方ないわ」
「なんだって?」
青年の剣の切っ先が下がった。フィンも突然のことに動きを止めてしまっていた。
「ウィス! 抜剣しろ!!」
ソルの命令には従わない。ウィスと呼ばれた青年はもう一度シンを見て何かを確信したようだった。
チッと舌打ちをし、ソルはサーベルをシンへと向ける。
数歩で距離を詰めて、文字通り目にも止まらない速度で振り下ろす。だが、その切っ先はシンには届かない。
「裏切るのか!」
ウィスだった。ウィスの剣はシンをかばう形でソルのサーベルと十字を結んでいた。
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