母の怒り

 パンドラの纏う輝きが、一層強さを増していく。

 元々強かった赤い光だったが、今ではパンドラの輪郭が薄れて見えるほど眩い。直視する事が難しく、千尋は思わず目を細めてしまう。

 それでもどうにか見えたのは、パンドラを踏み付けていたインベーダーが大きく後退りする姿。

 眩しさに耐えられなくて退いたのか? 考え難い。インベーダーはただの機械なのだから、眩しいのであればセンサーの感度を落とすなどすれば良いのだ。何より、いくら追い詰めたとはいえ……パンドラから足を退かすなど、どうかしている。

 拘束を解いてしまえば、パンドラが立ち上がってしまうというのに。

 眩しいなんて理由でインベーダーが動く訳がない。そう思いインベーダーの姿を注意深く観察した千尋は、一つの『異変』に気付く。

 インベーダーの足が、溶けていると。

 熱により溶解した――――と解釈するのが一番妥当だろう。しかしその熱源は何処から? 飛行能力をなくした分、インベーダーの防御力は上がっている筈。余程の熱源でなければ、その装甲を溶かす事など出来ない。

 心当たりは、一つだけ。

 ゆっくりと立ち上がった、パンドラだけだ。


【……ギギュ、ギャギャギギギ……】


 インベーダーによる抑えがなくなり、二本足で立ち上がったパンドラ。彼女は極めて緩慢な動きで、インベーダーの方へと振り向く。

 インベーダーはまた後退り。

 パンドラは今やボロボロだ。腕は今にも落ちそうで、胴体はレーザーで焼き切られた傷跡が残っている。赤々と輝く装甲は僅かに溶け出しており、どろりとした液体があちこちで見られた。

 見た目だけで言うなら、頑張れば人類にも倒せそうなぐらいパンドラは疲弊している。しかし纏う雰囲気は、倒すどころかこちらが瞬く間に滅却されてしまいそうなほど荒々しい。立ち向かう心がへし折られ、奇跡を信じて挑む気持ちすら失わせる。

 インベーダーも同じものを感じているのか。止めを刺そうとする事もなく、睨み合うばかり。

 先に動いたのは、パンドラの方だった。


【ギギガギギギギギギ……】


 唸るパンドラの姿が変わる。

 背面から、巨大な背ビレが二枚生えてきたのだ。肩の辺りから生じたそれはぐんぐん育っていき、大きさは五十メートルを超え、百メートルに迫ろうとしている。形は刃のように鋭く、とはいえあまりに大きくて武器には使えそうにない。

 そして色は赤い。

 今までパンドラが纏っていた色彩が、全て移ったかのように眩い赤さだ。その赤さに見合う高温になっているのか、装甲から湯気が漂っている。金属装甲が溶解を通り越し、気化しているのだろう。

 しかしその熱は、パンドラが自ら生み出したもの。

 だから千尋は最初、それはパンドラにとって好ましくない変化だと思っていた。度重なるダメージにより機体が損傷し、放熱がコントロール出来なくなったのだと。立ち上がるだけのエネルギーは生成したが、所詮は苦し紛れ。攻撃を与えれば簡単に崩れてしまう……

 インベーダーも同じ考えに至ったのか。最初は警戒するように退いていたが、パンドラの異変に気付くと大きくワイヤーの束を振りかぶる。溶けた装甲に対し、物理的な攻撃で粉砕しようという魂胆か。

 パンドラは避けず、止まったまま。ワイヤーはパンドラを力強く殴り付けた。溶けて柔らかくなったパンドラの頭はぐしゃりと潰れ、赤い溶鋼が血のように飛び散る。

 飛び散っているのだが、しかしパンドラは倒れず。


【ギャガアアアアア!】


 殴られた事などどうでも良いとばかりに、インベーダーに殴り掛かる!

 熱で柔らかくなっているのは頭だけではない。拳もまた溶けており、殴れば拳が砕け散る。それほどの威力となればインベーダーにとっても強力な打撃だったようで、巨大な躯体は大きく後退り。


【ガギャギャ!】


 対してパンドラは、自分の拳が砕けた事など気にしていないかのようにインベーダーに肉薄。今度はもう片方の手で殴り掛かる!

 またも拳が砕けるほどの威力。その打撃はインベーダーを後退させだけではなく、ついに船体の一部を大きく凹ませた。熱も少なからず伝達したのか、赤くなった装甲から湯気まで漂う。

 インベーダーも少なからずダメージを受けた。だが傍目にはパンドラの方が遥かに消耗は大きい。どう見ても形振り構わない攻撃だ。脅威ではあるが、長くは持たない。

 インベーダーもそう判断したのだろう。そして彼等は聡明だった。時間さえ稼いでしまえばこっちのものだとばかりに後退していく。巨体故に緩慢に見える動きであるが、一歩も後退りすれば一キロ近く動くのだ。瞬く間にパンドラから数キロと離れた。

 しかしパンドラにとって、その程度の距離は『逃げた』とは言わないものだったらしい。


【ギギギャアアアアアアアアアアアア!】


 全身から轟かせる、破滅的な『音』。今までの咆哮とは何かが違う、けれども決して苦し紛れではない……一瞬で本能がそう理解する雄叫びだった。

 そして叫びは、として放たれた!

 衝撃波はインベーダーを直撃し、その巨躯を突き飛ばす。自由落下で倒れるため動きは極めて遅く見えるが、実際の速さは凄まじいもの。地面に付いた時、巨大地震を引き起こすほどの衝撃を生んだ。

 恐らく、身体に溜め込んだ熱量の一部を放出し、空気を膨張させたのだろう。

 だが今まで見せた事のない攻撃だ。いや、そもそも『体温』で衝撃波を起こすなど尋常ではない。突然の衝撃波は、インベーダーにとって想定外だったのか。しばし困惑したようにインベーダーは固まっていた。

 異変はこれだけに留まらない。インベーダーの装甲から、じわじわと煙が昇り始めていた。恐らく装甲が熱で焼けている。そしてこの熱源は、目の前で赤く輝くパンドラ以外にあり得ない。

 何か、おかしい。インベーダーは不穏なものを感じったのか、どうにか立ち上がり、そして距離を取ろうと後ろに下がっていく。

 パンドラはこれを追わない。


【ギギャアアアアアッ!】


 不動のまま上げた雄叫びに続き、二枚の巨大な背ビレから稲妻のような輝きが放たれた!

 放たれた稲妻はインベーダー目掛けて進み、直撃する。とはいえこれは狙ったものではない。いや、そもそも攻撃でもない。放たれた稲妻は無数にあり、そのうちの一本が偶々インベーダーに当たっただけだ。恐らくは身体に蓄積した、余剰電力の放出だろう。

 されど、威力は絶大だ。

 命中した稲妻が弾けると、インベーダーは更に後退り。しかしこれは距離を取るための動きではない。稲妻の衝撃で怯んだのだ。歩みは鈍り、インベーダーの機体はぐらぐらと揺れ動く。

 ここでパンドラが動き出す。確固たる歩みで前に進むと、身体の一部が溶け落ちる。間違いなくパンドラの身体は限界を迎えていて、今にも自壊しそうだ。されどパンドラは気に留めた様子もない。

 そして纏う雰囲気は、激しい怒りに満ちている。

 怒りを向けられているのはインベーダーだ。千尋達人間は視線すら向けられておらず、しかも遠く離れている。だというのに全身から血の気が引くほどの、感じた事のない悪寒が駆け巡る。

 この怒りがパンドラを支えている。溶けた身体でも、前に歩く力を生んでいる。ここまでの攻撃は苦し紛れでも破れかぶれでもない。怒りに後押しされた、『真の力』だ。

 無論科学的に考えれば、そんな事はあり得ない。感情なんてものは脳の化学反応に過ぎず、脳内物質の変化が肉体に作用する事はあっても、感情そのものはなんの力もない。技術者である千尋は当然この現実を理解しているが、にも拘わらずそう思わせるほどの、激しい怒りがパンドラを包んでいる。

 何故そこまで怒っているのか? 理由は、わざわざ考えるまでもない。

 目の前で、大切なピュラーを傷付けられたのだ。大切な子供に怪我を負わされ、どうして『母親』が黙っていられるのか。

 ――――このをぶっ潰す。

 パンドラ母親が自分の『命』を削るほどの力を発揮するのに、これ以上の動機など必要ないのだ。


【ギガアアアアアッ!】


 怒り狂ったパンドラの口から、赤い閃光が溢れ出す。

 幾度となく繰り出した、赤いビームによる攻撃だ。今まで一度も通じなかった攻撃。だが此度のそれは、今までとは雰囲気が違う。

 赤いだけでなく白や黄色も混ざった、より禍々しい閃光だ。

 発射の反動の所為か、閃光を放つとパンドラの口が一部吹き飛ぶ。上顎が一部欠損したが、しかしパンドラは気にも留めない。閃光を吐き続ける。

 そして破壊力も一味違うのか。胴体部分を直撃した閃光が大爆発を引き起こすと、インベーダーの巨体が大きくよろめく。今まで大して気にもしなかったのに、転倒寸前まで身体のバランスを崩したのだ。

 追い打ちを掛けるように、パンドラの口からはまたも閃光が放たれる。稲光さえも小さく思えるほどの音を轟かせながら進んだ光は、インベーダーを。腕のようになっている右側のワイヤーを焼き尽くす。更に爆発が起き、衝撃でバランスを崩したインベーダーの機体は左側へと倒れ込む。

 更にもう一度パンドラは閃光を吐き出す。転倒して動けないインベーダー相手に撃ったが、またも閃光を直撃しない。代わりに地面を撃ち、巨大な爆発を引き起こす。核爆弾でも炸裂したのかと思うような爆風は、遠く離れた千尋達にも襲い掛かる。ピュラーの身体がなければ間違いなく吹き飛ばされていた。インベーダーの巨体も転がされていく。

 上手く当てればこれで倒せたかも知れないのに。もしやパンドラは力を制御出来ていないのではないか? 

 そのような考えが千尋の脳裏を一瞬過る。何しろパンドラの身体は今やボロボロだ。しかも顎が吹き飛ぶような出力の攻撃である。怒りで劇的にパワーアップを果たしても、その力を振るう身体が持たねば扱いきれない……しかしこの合理的な考えが誤りだと、すぐに気付かされる。


【ギャギャギャギャギャ……!】


 パンドラは笑っていた。

 楽しげではない。今も激しい怒りを、遠目で見ている千尋ですら感じる。何より折角の攻撃を二回も盛大に外しているのだ。だというのに笑うという事は、ここまでの攻撃の意図は一つしかない。

 ――――

 悪寒、と呼ぶのも生温い恐怖が千尋の中を駆け巡る。絶望すらも及ばない死刑宣告。もしも千尋があの感情を向けられた側なら、躊躇いなく舌を噛み切っていたに違いない。地球生態系を殲滅しようとしたインベーダーの敵意など、この底なしの憎悪の前では子供の癇癪以下ではないか。

 どれだけの戦力を揃えようと、もうパンドラは止められない。

 インベーダーもようやく状況を理解したのか。慌てた様子で起き上がると、踵を返して逃げ出そうとする。体勢を立て直し、戦力を整えて再選する気か。

 だが、パンドラはまたも口から閃光を放つ。

 今度は正確に、インベーダーの脚に直撃した。巨大な爆発が起こると、無数の破片が辺りに飛び散る。次いでインベーダーの身体は前のめりになり、激しく転倒する。

 煙が晴れると、インベーダーの片足が砕けていた。完全に失われた訳ではないが、バランスを保つにはあまりにもボロボロだ。これでは立てない。


【ギャギャギャギギギギィィィィ!】


 倒れたインベーダーに向け、パンドラが歩き出す。全力疾走には程遠い、歩くような進み方。さながら一歩一歩が死刑宣告であるかのように、大きな足音をわざわざ立てながら地面を踏み締めていた。

 そんな歩き方をすれば、自分の足にだって負担が掛かる。踏み締めた足から血のような液体金属が噴き出す。だがパンドラは気にも留めない。怒りで我を忘れた彼女は、もう自分の『命』さえも意識にないのか。

 パンドラはインベーダーに近付くと、無事な方の足を片手で掴む。掴んだまま、ぐっと力を込めて押し出し――――へし折る。

 折られた足から火花が噴き出す。しかしこれでは足りんと言わんばかりに、折れた足を掴み、インベーダーを引きずり回す。インベーダーは残ったワイヤーを地面に突き刺して止まろうとするが、腕から装甲が弾け飛ぶほどの力で振り回すパンドラには敵わず。

 近くの山に機体を叩き付けたところで、ようやくパンドラはインベーダーを離す。

 その『慈悲』すら、最早恐ろしい。

 インベーダーは陸戦形態から変形。円盤型の姿へと戻ろうとする。両足の欠損から地上戦は不可能と判断したのだろう。何よりこんなパンドラと戦うなど自殺行為だ。距離を取るなんて甘えた考えは捨て、全力での退避に方針を切り替えたと思われる。

 されどパンドラは逃さない。

 パンドラの腕がどろりと溶け、細い繊維状になって伸びたのだ。全身がナノマシンで出来ているが故の、瞬間的な変形能力。ここまで赤熱した状態でも未だナノマシンの能力は健在であり、自由自在に姿を変えられるらしい。

 伸びた繊維が向かう先は、円盤に戻る途中に露出したインベーダーの関節部。

 極めて細い繊維では、如何にパンドラの力でも変形の邪魔は出来ない。だが関節部に繊維が絡まれば、それは機械にとって致命的な『障害』となる。一個の歯車に絡みつくだけで、そこから派生する全てのシステムが停止する。

 インベーダーは変形途中の半端な姿で固まってしまう。厳密には、変形を続けようとしてガチャガチャと動いているのだが、繊維が引っ掛かっているのだろう。完了までいかない。陸戦形態と飛行形態を使い分けるインベーダーであるが、その切り替え途中で固まってしまうのは想定外だったのか。攻撃するでも逃げるでもなく、ひたすら変形を完了させようと藻掻く。

 一応このような事態に対処する方法も、インベーダーは備えている筈だ。幾度となく繰り返してきた侵略行為の中で、こういった『トラブル』は何度か起きていたに違いないのだから。ナノマシン工学があれば、関節部に絡まった異物を取り除く事はそう難しくないだろう。劣った文明の通常兵器相手であれば、この隙を突く事は不可能と思われる。

 しかし此度の相手はパンドラ。ボロボロの身体でありながら、今やインベーダーを圧倒する存在だ。


【ギャギャギャギャァ!】


 高笑いのような鳴き声を上げながら、パンドラは身動きが取れないインベーダーを踏み付ける! 大きさ十倍以上のインベーダーから見れば、端を少し踏まれた程度。されど今のパンドラの強大な力を振り解けず、機体を左右に揺らす事しか出来ていない。このままでは変形を完了させても空は飛べないだろう。

 抜け出すにはパンドラを退かさねばならない。インベーダーは残るワイヤーをパンドラに向け、閃光を放つ。

 更に機体中央にあるレンズも光っていた。間違いなく、パンドラを切断した大出力レーザーを放っている。その証拠とばかりに、パンドラの身体は切り裂かれたように溶けた金属が弾け飛ぶ。腕は切断され、頭も半分以上欠けている。

 しかしパンドラは倒れない。

 何度も何度もインベーダーはレーザーを撃つ。もうパンドラの身体は穴だらけだ。元々あった身体の半分以上を失ったのではないかと思えるほど、身体の欠損が激しい。それでもインベーダーを踏み付ける足は揺らがない。

 逃げられない。逃がさない。

 両者の『感情』がぶつかり合う中で、パンドラに異変が生じた。

 背中の背ビレが更に浮かび上がる。その隙間から、気化した金属が雲を作るほどに撒き散らされた。熱も大量に排出した筈だが、パンドラの装甲は未だ溶解を続けるばかり。身体の中で莫大な熱が今も生成されていると分かる。内部の基盤がショートしているのか、あちこちからスパークが迸っていた。更に至るところで小規模な爆発が起き、身体がどんどん崩れていく。

 インベーダーには理解出来ないだろう。ただのロボットが、どうしてこんな力を発揮出来るのか。いきなり何故パワーアップしたのか。何に怒っているのか……分かったところでどうにもならない。奴は、開けてはならない絶望の箱を開いたのだ。

 もう誰にも、パンドラは止められない。


【ギャギリリリリリリリ……】


 どろどろに溶けているパンドラの胴体に切れ目が入り、まるで花が咲くように残っている装甲が開く。

 中にあるのは、赤々と輝く光。

 パンドラの力の中枢だろうか。露出した『弱点』にインベーダーは攻撃を仕掛ける。ワイヤーからの光に加え、船体中央にあるコアから最大級のレーザーも放った。だが赤い輝きはそれら全てを飲み込んでいく。光は勢いを衰えさせるどころか、より一層激しく燃え上がるばかり。

 燃料をくべてしまった。インベーダーが自身の失敗に気付いた時、パンドラの胸にある輝きが一気に強さを増し――――

 そして、光を放った。

 千尋達人間の視界を覆うほどの眩さ。太陽が地上に降臨したのではと錯覚するほど。しかし眩しさに怯んでいる暇などない。

 続いて押し寄せてきたのは熱風。

 ただの熱い風ではない。直射日光で焼かれるような、身体の奥まで浸透してくる熱だ。近くでピュラーが倒れていて、『日陰』を作ってくれなければ遠く離れた千尋達もこんがりと焼かれていただろう。

 その莫大な熱を受けたインベーダーは、果たしてどうなっているのか?

 ……閃光が晴れた時、インベーダーとパンドラの姿が一瞬だけ見えた。


【ギギャギャアアアアアアアアアア!】


 だがこの一瞬さえも許さないとばかりに、パンドラは口から閃光を放つ。

 至近距離からの閃光を浴び、大爆発が起きる。それも一度だけではない。二度、三度、四度……爆炎の中で幾度となく光が放たれた。強烈な熱波に加熱され、周辺の気温は数十度上がったかも知れない。

 ただこの場にいるだけで、生半可な生物なら火傷を負いそうな熱量。本来ならば逃げ出すのが正解であろうこの場に、しかし千尋は勇気を持って踏み止まる。傍にいる秀明も千尋に避難は促さず、熱さに耐えながらこの場に留まっていた。

 ――――見届けなければならない。この戦いの結末を。

 人間達が待っていると、やがて煙が晴れてきた。

 最初に見えたのはインベーダーの姿。

 いや、インベーダーだったものと言うべきだろうか。インベーダー自体は残っていたが、原型を留めているとは言い難い状態だった。全体が黒く焼き焦げ、装甲をよく見ればあちこちが溶解している。ワイヤーなど細い部品は完全に蒸発したのか、跡形も残っていない。

 インベーダーのテクノロジーについて、人類は殆ど知らない。だからどの程度の損傷までなら再起出来るのか、ダメージコントロールが望めるのかは推測すら困難だ。

 されど千尋の技術者としての勘から言えば……インベーダーの円盤は完全に沈黙した。

 もう、インベーダーは動かない。中に搭乗者がいれば全員跡形もなく燃え尽き、人工知能であるなら配線が全て溶けて一枚の金属板と化している。制御するコンピューターがないためナノマシンは動けず、元の形に戻る事など出来ない。

 インベーダーは、ついに打ち倒されたのだ。


「やった、のか……?」


 秀明からの問いに、千尋はこくりと頷く。

 それは、侵略者の魔の手から地球が守られたという事。

 地球が守られたと聞けば、喜ぶのが普通だろう。自分達も殺されずに済むのだから、両手を上げて大はしゃぎするのが正常な反応だ。しかし千尋も秀明も、声を失ったまま。

 インベーダーの亡骸の傍に、パンドラの躯があるのを目にしているがために。

 パンドラもまた、殆ど原型を留めていなかった。腕は両方とも溶け落ち、地面でぐちゃぐちゃの塊となっている。頭はぐちゃぐちゃに潰れ、内側から爆発でもしたかのようにボロボロだ。胴体も半分以上失われ、今にも崩れ落ちそうな見た目をしている。

 これが、かつて人類を恐怖に陥れたロボットの末路なのか。


「(人類にとっては、悪くない結果、の筈なんだけど……)」


 パンドラは人間文明にとって、脅威でしかない。数多の人間を殺戮してきた悪魔であり、おまけに人間ではどうやっても勝てないほど強い。

 その脅威がインベーダーと共倒れになったのだ。本来なら両手を挙げて喜ぶべき事柄である。

 けれども、千尋には素直に喜べない。

 パンドラは母親としての怒りを示した。愛のために戦い、傷付き、敵を倒したのだ。人間にも通じる想いを前にして、どうして死んだ事を無邪気に喜べるのか。


【ググギギギ……?】


 強いて純粋に喜べる事があるとすれば、ピュラーが再び起き上がった事ぐらいだろう。

 ナノマシンの働きによるものか、ピュラーの頭はすっかり再生していた。きょろきょろと辺りを見回し、何が起きたかも分かっていない様子だ。ひょっとすると頭を壊された事すら気付いていないかも知れない。


「ぴゅ、ピュラー……」


【ギギ! チギロォ、イガガ! アギヅドゴ!?】


 ピュラーは千尋を認識すると、恐らくはインベーダーの居場所を尋ねてくる。

 教える事は簡単だ。しかしそれは、ピュラーに今のパンドラの姿を見せる事に他ならない。

 母親の無残な姿を見せる事は、果たして良いのだろうか。勿論嘘を吐く訳にはいかず、そもそもちょっと探せば見付かる場所にいるのだから意味がない。けれども無意識に言葉を詰まらせてしまう。

 その僅かな時間のうちに、前提が覆ったが。


「み、深山くん! あれを……!」


 突然、秀明が大きな声を出す。

 何事かと思い彼の方を見れば、秀明は口を金魚のように喘がせながら何処かを指差している。何を見ているのか? 疑問のまま振り向けば、答えはすぐに得られた。

 朽ちた姿のパンドラが、揺れ動く。

 今にも倒れそうに見えて、しかし何時までも倒れない。それどころか欠けていた筈の機体がむくむくと膨らみ、形を取り戻していく。

 失われた腕が生え、欠けていた胴体が埋まり、失われていた頭がもとに戻る。

 掛かった時間は、数分程度だろうか。決して短くない時間。だが二百メートルの巨躯が、かつての栄光を取り戻すにはあまりに早い。幻覚か夢でも見ているのか。そんな甘えた考えは、一歩一歩踏み締めるようにして彼女が立ち、その余波として感じる大地の揺れ一つで吹き飛んでしまう。

 もう、誰の目にも明らか。誰にも否定なんて出来ない。

 パンドラは、インベーダ相手に完全勝利を収めたのだと。


【ギャアアアアアリリリリリリリリギャリガアアアアアアアアアアアアッ!】


 高々と上げた雄叫びは、世界中に広がっていく事だろう。これがインベーダー撃破の知らせだと、人間達の殆どが分からぬままに。

 それが今の地球における人間の立場を示していたが、千尋はこれといって悔しさを覚えない。

 むしろ新たな時代の始まりをこの耳で聞けたように感じて、少なからずの興奮と希望を覚えるのだった。

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