悲しむオジサンに降りかかる誘惑

 私は最低のことをしてしまった。

 力なき人々のため戦うジャスティスガール…そんな風に呼ばれて半ば悦に浸っていた。しかしその実私は自分が他人よりも大きい力を持つことを見せびらかしたかっただけなのかもしれない。どれだけ言い訳しようと、勘違いで何も知らない善良な人に喧嘩を売ってしまった事実は変えられない。


「お姉ちゃん、今日も学校行かなかったの…?今日で5日めだよ…?」

「…ごめんね蜜君…ちょっと体調が悪いの…」

「…わかった、それじゃあ僕塾行ってくるから…ちゃんと水分補給するんだよ…?」


 扉がパタンと優しく閉まる音を聞くと私はまた布団の中に逃げ込んだ。

 あれから私は学校を休んで家に引きこもっている。ベッドの上で天井を見上げたり目を閉じたり、時々本を読んだりしている。数時間に一回起きて部屋から出ようとするけど、その度にあの時の記憶が蘇って怖くなる。


「…なにやってんだろ、私…」


 愚かなことに「あの人で良かった」と思う気持ちがある。

 あの人でなければ私は返り討ちに遭うこともなく怪我をさせていただろう。私はある意味幸運だったんだと信じ込もうとする自分がいる。


「…う、ぅ…」


 自分の愚かさと弱さに自然と涙があふれ出る。

 昔から正義のヒーローにあこがれていた。だけど私がしたことはまるでヴィラン…いやそんな風に格好つけられるものじゃない、ただのチンピラだ。


「…謝らなくちゃ…」


 ぼそり、と声を漏らす。

 謝っても私がスッキリするだけだ。あの人はきっと私の顔なんて見たくもないだろう。それでも人として、ちゃんと目を見て謝罪したい。そうしなければ、きっと私はこれから生きていく中で常にあの人の影におびえることになる。

 私は布団を勢いよく捲り上げるとベッドから立ちあがり、まずはシャワーを浴びようと重い部屋の扉をゆっくりと開けた。


「…?」


 廊下に出た時、脳内に違和感が走る。

 具体的なものではないが、決して無視することのできない大きな違和感。私はあたりを見回しながらその正体を必死に探った。

 いつもの壁、いつもの天井、いつもの照明、蜜君が描いてくれた私の似顔絵…


「…!」


 その時私は違和感の正体に気付いた。

 音だ。鍵を閉める音が聞こえなかった。蜜君はしっかり者だ。鍵をかけ忘れるわけがない。

 急いで玄関まで駆けだし、扉に手をかける。案の定鍵は開けっ放しになっており、私はそのまま扉を開いて外をきょろきょろと見渡した。


「蜜君ッ!!!!」


 勿論どこにも蜜君はおらず、偶然その場にいた通行人は私の声に肩を跳ねさせる。

 あたりを見回すとわざとらしく玄関前に一枚の紙が落とされているのに気付いた。恐る恐るそれを拾い上げ、捲ってみる。

 

『ジャスティスガールの神野巴ちゃん。可愛い弟はこっちが預かったから、深夜2時に1人でカダマダ製鉄工場まで来い。来るとは思うけどこなかったら弟のこと殺すから』


 カダマダ製鉄工場は数年前に廃業し、現在は誰も管理していない廃工場になっている。

 私は紙を握りつぶすと溢れ出す怒りをなんとか抑えながら呼吸を整え、玄関を再び閉じた。

 自分がノーブラでシャツとパンツしか着てないまま外に出ていたことに気付いたのはそれから1時間後のことであった。




: : :

 


 

 俺のなにがいけないというんだ。履歴書の空白の数年について聞かれて、「友人と一緒に作った武道の鍛錬をしていました」と事実を言ったら面接に落ちた。

 コンビニで酒を買い込んで夜の公園のベンチで一人飲んでいると、いよいよ自分が惨めに思えてくる。思い返したくもない自分の過去が嫌でも脳裏に蘇ってきて、自分が何処で間違ったか、なんて意味もない自問を繰り返そうとしている。


「…常山くん…」


 思い出されるのは親友の名前。彼はもうこの世にはいない。

 今頃彼は天国でなにをしているのだろうか。誰にも邪魔されず自分のしたいことを自由にできているだろうか。溢れそうになる涙を着なれないスーツの裾で拭いつつも安酒を口に含んだ。


「…お兄さん、悲しいことでもあったの…?」


 足音に反応して顔をあげるとそこには女が立っていた。

 高校生だろうか、優しげな笑みを浮かべる彼女はまだ10代半ばに見え、美しく艶やかな髪をきらきらと輝かせながらゆっくりと此方に近づいてくる。


「ナンパは受け付けてねーのよ、見つからんだろうが俺に似た他のイケメンを探してくれ」

「ふふ、お兄さん面白い人ですね」

「気を遣わないでくれ、言ったこっちが恥ずかしくなる」


 テレビで見たことないのが不思議なレベルのとんでもない美人だ。

 彼女はさり気なく俺の隣へと腰を下ろすと顔を覗き込むようにしながら「お隣、いいですか?」と聞いてくる。「聞く前に座ってんだろが」と俺が返すと、彼女は返事をする代わりにくすりと笑みを返した。


「こんな時間になにやってんだよ、はよ家帰って飯食って風呂入ってねろ」

「そんな冷たいこと言わないで下さいよ~」


 彼女が少しお尻を浮かせて此方に身体を寄せる。俺はそれに応じるように体を離す。


「…もしかして私、警戒されてます?」

「気づいちゃった?勘が鋭いね」


 確かに宇宙一女に飢えていると言っても過言でない俺ではあるが、ガキに手を出すほど落ちぶれちゃいない。というか、万が一のことが起こって俺が逮捕された時に親にかかる迷惑を考えると沸き立つものも沸き立たなくなってくるというものだ。


「そんなに怖がらないんでくださいよ、ただの女の子ですよ?」

「最近のガキはなにしだすか分かんねーからな」


 俺は手元に持っている瓶に入った酒を一口飲み込んだ。


「あ、お酒だ、私にもくださいよ」

「やめろ非行少女、喉が焼けるぞ」


 ラベルに大きな文字で「50フィフティー」と記された酒。確か製造会社が1950年に設立されたことが由来だとか。アルコール度数自体は左程高くないが独特の風味と辛味が特徴で、最初に飲んだ時は喉がヒリヒリする。

 瓶に手を伸ばそうとする非行少女を横目にベンチから立ち上がった俺は瓶の蓋をきゅ、と閉めると軽く背中を伸ばした。


「これから何処いくんですか?」

「家に帰んだよ、お前も帰れ」

「…私、邪魔でした…?」

「…はぁ…」


 悲しそうに此方を見上げる表情を見ていたたまれなくなった俺は小さく溜息を吐いた。

 最近のガキは怖い、いきなり因縁付けて殴りかかってきたりする奴もいるくらいだからな。ちょっと申し訳ない気持ちにもなるが、これくらい警戒したところで罰は当たらないだろう。


「あのな、あんまり大人を信用しすぎない方がいいぞ」

「…はーい、じゃーねお兄さん」


 彼女はほんの数秒間俺を見つめた後、またにこりと笑みを浮かべてからさっさと公園から消えていった。俺は彼女が見えなくなるまでその背中を見つめていた。

 ああくそ、めっちゃいいにおいしたな。ありがとう俺の理性。お前は俺の一生の相棒だ。




: : :



 

 少女は携帯を耳にあてて電話していた。


「うん、さっきのオッサン、なんか警戒心強くって無理だったんだ」


 から、から、ともう一方の手で金属バットを引きずりながらゆっくりと夜道を歩き続ける。


「でも今月はもう5人もボコしたからノルマは明日までには到達できそうだよ?」


 楽し気に話す彼女の表情は年相応といったところだ。


「ねえ、この前の話考えてくれた?もっとお金が溜まったら、さ、ね?」


 誰も見ていないから、と夜の歩道をくるくると回りながら歩く。


「…うん…約束だよ…絶対だよ…?うん、またあとで…」


 愛おしそうに声を震わせる。


「すいませーんお嬢さん、お電話中のところごめんね~」


 一台の車が彼女の隣にゆっくりと停車した。窓をゆっくりと下げると、中から茶髪の男がにやにやと笑みを浮かべながら身を乗り出してきた。


「俺達道に迷っちゃってさ、よければ一緒に乗って教えてくんない?」


 助手席の男もへらへら笑いながら彼女を見つめる。

 彼女は笑みを崩さないまま携帯に顔を寄せ、唇をゆっくりと開いた。


「さっきのノルマの話さ、やっぱり今日中で大丈夫そうだよ」


 街灯の光に反射して金属バットについた血がきらきらと光っていた。

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