悪魔の足音と神の贋作 -3

「え、きてないの?」

 告解部屋から一夜明け、朝一番でエヴァから飛び出したのはそんな言葉だった。

 たまたま世話役であるリリアに会ったためこれ幸いと話をしていたが、その中であの悪魔の事について言っていた子に触れた途端、リリアは寂しそうに首を横に振るだけだ。

「そうなの、あの子は家の事情で毎日朝からきていたはずなのに、今日はどこにもいなくて……こんな事初めてだから、世話役のみんな心配していたの……」

「家の事情って?」

「弟くん、身体が弱くてね。だからお母さんが工場とかで必死に働いてるみたいなの。例え貧しくても、命は大切だって……それもあって仕事の都合に合わせてスラムの居住区もよく移動するから、今どこにいるかわからなくて……」

 これでは、最初から打つ手がなかった。どうしたものかと目を細めながらリリアにお礼を言うと、エヴァはそのまま下を見ながらぐるぐると考えている。どうしても、その悪魔について言っていた彼に会いたい。会って、どこからその話を聞いたのかを教えてほしかった。

「けどいないなら、また別の方法で悪魔の事を調べるしか……ん?」 

 人通りが少ない回廊をしばらく歩いた先に、見慣れない影がある。

 少しだけ警戒をしながら近づくとそれは男性で、リベリオのような祭司よりも上等な服を身にまとっていた。

(あの服装は、確か……)

 祭司よりも上、司教のもの。

 基本的に祭司の上司であり複数の教会を管理している司教は、あまり地方の教会に顔を出さない。教皇の執り行うミサや洗礼の手伝いをする彼らはそれこそエヴァも数回しか見かけた事がなく、直近で見かけたのはそれこそ前院長が亡くなった時くらいだ。

 その司教が、なぜマーレット教会にいるのだろう。

 そんな事を考えながらじっと見ていると、司教の方もエヴァに気づいた様子で顔をこちらに向けてくる。薄く作ったような笑顔はどこかで見た事のあるような気がしたが、他人の空似だろう。

「ごきげんようシスター、私はオスカーと申します」

「……ごきげんようオスカー様、シスターエヴァと申します」

 司教改めオスカーはあくまでも当たり障りなく、しかしエヴァの心の中は動揺でいっぱいだった。

 彼の顔を知っているわけでも、彼に対してやましい事があるわけでもない。ただ彼から聞こえてくる声はやけに騒がしく、うるさいと思っていたリベリオの声のがまだマシとすら感じてしまう。

『なるほど、マーレット教会のシスターはなにやら内部で対立していると聞いていたが彼女はどうなのだろうか』

 丸聞こえの声はまるでリベリオみたいだなと思ったが、もう一度他人の空似であると言い聞かせる。しかしそんなエヴァの考えとは裏腹に彼の声は続いていて、止まる事を知らない。勢いに押されそうになりつつ声を流し聞きしていたが、ふとその中で聞こえてきた言葉に反応をする事になる。

『しかし、親父もこんなところに末弟を送るとは……あいつはまだ洗礼すら受けていなんだぞ』

「っ……!」

(今この司教は、弟って……)

 その一言で、他人の空似で済む話ではなくなってきてしまった。

 目の前にいる司教は、見た目からしてまだ若い。この年齢で弟となると、マーレット教会で該当しそうなのは一人しかおらず。

「ところでシスターエヴァ、おとっ……祭司リベリオはいるかな?」

「…………執務室かと、思われます」

 完全に弟と言いかけたが、そこはあえて聞いていないフリをしておいた。

 若干無理やりなごまかし方だったがそこには触れず棒読みな回答をすると、オスカーはそうか、と執務室のある方へ顔を向ける。しかしそれも一瞬で、次の興味はまた別の場所に向いたらしい。

「シスターエヴァ、先ほど私を見てなにか動揺していたが顔になにかついているかい?」

「……気のせいではないでしょうか?」

 あれだけ表情が乏しいと言われているエヴァの動揺を、オスカーは見ていた。

 今までなかった言葉にエヴァも驚きつつ言葉を選ぶが、それすらもオスカーにとっては興味の対象になる。ずいと顔を近づけながら笑うオスカーをどうするか、どうこの状況を切り抜けるのが最善か。それを少ない引き出しの中から考えていたが。


「うちのシスターになにか御用ですか――司教オスカー」


 それは聞き慣れた声に、遮られた。

 回廊の先、執務室側から近づくその姿はリベリオだった。若干荒々しい足取りのまま、まるでエヴァを隠すようにオスカーの前に立つ。

「あぁ、これは祭司リベリオ……お早い登場で。元気そうでなによりだ」

「なにより、じゃないよ兄さん……」

「…………ほう?」

 そんなリベリオの言葉に、オスカーは驚いた様子で目を丸くする。そのまま目線はリベリオではなくエヴァに向けられたもので、なぜだか楽しそうなものだった。

「なんだ、もう教皇の息子だとバレたのか?」

「彼女は共犯だ、他にはバレていない……で、要件は」

 態度からして、早く終わらせたいのだろう。

(あの司教オスカーならば、聞いた事がある)

 ヘロンベル教でも幹部である司教で、最短で就任した天才。

 教皇の息子である事はエヴァも初めて知った辺りから、彼は父親の権力を振りかざすタイプではないのだろう。また一つ知ってはいけない事を知ってしまったと、内心溜息を落とす。

「それはもちろん、可愛い弟の顔を見にだな」

「兄さん?」

 かなり低い声を出すリベリオは、目に見えるほど機嫌が悪かった。

 それこそ自分のおもちゃで遊ばれた子どものようで、それを見たオスカーも少し悲しそうに首を横に振った。

「いや、本当だ。弟の可愛い顔が見たかっただけだよ」

『俺がきた理由がわかってないなら……マーレット教会のお金がなくなっている事を、リベリオは知らないみたいだな』

 突然飛び出したオスカーの言葉にエヴァは驚きはしつつも、今度こそ顔には出さなかった。

(お金がなくなっているという事は、資金を誰かが使い込んでいる?)

 考えたくはないが、そういう事なのだろう。

 例の告解部屋と、オスカーの話。

 どちらも同時期に上がった現金関連の話であり、エヴァはその点が気になってしまった。これは、偶然なのだろうかと。

 もう少しだけ話を聞き取ろうと思ったが、オスカーの意識はすでになくなった資金ではなくリベリオの方で向けられている。久々に会ったのだろう弟の顔を覗き込みながらいると、鬱陶しそうに兄さん、と語気を荒くしている。

「なんだよ、ニヤニヤして」

「いや、なんでもない」

 オスカーの目が気になったのか、そんな言葉をリベリオが投げつける。

 リベリオの兄らしく飄々とした態度のまま、薄い笑みを貼り付けたオスカーはそのまま目線をエヴァの方へ向けると、また楽しそうに頬を緩める。

「共犯、なぁ」

『あの俺達兄弟にべったりだったリベリオが、シスターとか……うちのシスター、ねぇ』

(あぁこれは、勘違いをされていますね)

 心の声が聞こえるとオスカーが知っているなら、エヴァは間違いなく否定をしただろう。

 あらぬ誤解に悶々とするが、同時にエヴァにとっては気になる事があった。

(今のは、司教としてではなく……)

 一人の兄としてであろう、優しい心の声。

 さっきまでの騒がしさと違うそれに、つい顔を見てしまう。

「なんだいシスター、俺の顔になにかついているかな?」

「あ、いえなにも、失礼しました」

「……兄さん、もういいだろ」

 エヴァの顔を見てなにかを考えるように顔をしかめていたリベリオだったが、すぐに小さく首を横に振る。

「司教がこんな教会で油を売っていていいのか」

「厳しい弟だが……まぁ確かにその通りだ」

 優しく笑ったオスカーは、すぐに真面目そうな表情を作りながらリベリオ、と弟の名前を呼ぶ。

「まぁちゃんと仕事をやっているのか、また見にきてやるよ」

「けっこうだ」

 かなり強い言葉で言ったリベリオを、ついエヴァも笑ってしまいそうだった。

 弟に振られたオスカーは、エヴァに目を向ける。

「シスターエヴァもまた、弟をどうぞよろしく」

「……こちらこそ」

 さっきの心の声を聞いてしまっていたからこそ、よろしくという部分にどう返事をするべきなのかは少し悩んでしまった。しかしそんな二人の反応を置いて、オスカーはすでに門の方へ歩いている。よく見れば馬車やお付きが待っていたようで、ひらひらとこちらに向かい手を振っている。

「行ってしまわれましたね」

「……騒がしい身内が迷惑をかけたな」

 まるで嵐のような人だったというのが、エヴァの感想だった。

 リベリオのいけ好かなさとはまた違う、腹の底が見えないなにか。それが、三男オスカーにはあった。

 そんな事を考えながらしばらくオスカーが行った方へ目を向けていると、横でその弟のリベリオが顔を覗き込んでいる。似ている顔立ちの彼は、オスカーと同じように目を細めながらも遠慮しないような態度でなぁ、と言葉を続けてきた。

「……さてシスター、兄さんからなにか聞こえた事は」

「やはりそれを狙っていたのですね?」

 本人から聞き出すより、この手段の方が早いと思ったのだろう。オスカーが教会にきた理由を深く聞かないリベリオを最初は不審に思ったが、それが理由とわかると納得できてしまう。

 ただ利用されているようで癪に障り、せめてもの抵抗でじっとリベリオを睨むと悪かったよ、とまったく悪気がなさそうに謝ってきた。

「心の中ではまったく謝っていませんよね」

「聞こえたか?」

「聞かなくてもわかります」

 リベリオという男は、そういう存在だから。

「――この教会、どうやら資金がなくなっているようですね」

「……誰が、とかは言っていたか?」

「いえ、それを確認するためにオスカー様はこられただけのようです」

「そうか……」

 あくまでも、聞こえた事で関係する内容だけ。

 オスカーという男の人間性やリベリオをどう思っているかまでは、もちろん言わなかった。そこまで言ってしまうと、ただの口が軽いだけの存在になってしまうから。

「ちなみにシスター、この教会のお金管理は誰がしている」

「それは、主に会計役の仕事になりますね。シェシリエというシスターが会計役のトップで、彼女が基本的な管理を行っています」

 実際は基本的なんて、簡単な話ではない。マーレット教会の会計役は、ほとんどシェシリエのワンマンだった。

 お金関連に疎い者や世俗から離れすぎて金銭感覚がないシスターの中でも、シェシリエは商店出身なのもあり計算が早いタイプだった。よく言えば節約家、言葉を選ばず言えば銭ゲバ。

 しかしながらそんな彼女がいるからこそマーレット教会の現金管理は問題なく回っている状態で、現に夜の集会騒動でも彼女が節約で浮かせたお金が使用されていたと噂に聞いている。

 噂と言うより、心の声で聞いた話だが。エヴァも確証はないが、アンナがやけにシェシリエに会ったりサバナから工面するという声が聞こえた事から、少なくともエヴァはそう思っていた。

「……シェシリエ、か」

 ぽつりと、名前を呟く。

「なぁシスター、もしかしてこの資金問題シェシリエが犯人という事は」

「会計役だから犯人というのは、いささか安直な話ではないでしょうか?」

 少なくともエヴァなら、会計役の立場にいる時にそのような事はしないだろう。

 真っ先に疑われると、すぐにわかる事だったから。

 はっきりリベリオの話を否定したエヴァだったが、それでももちろん疑問は残る。仮にシェシリエ以外の誰かが犯人だとして、その事にシェシリエは気づかないものだろうかと。それだけ現金管理に厳しい彼女なら、すぐに気づくのではと、そう思ってしまう。

「どちらにしても、見過ごすわけにはいかないな……」

『兄さんが動いているという事は、かなり大事……これ以上騒ぎが大きくなる前にどうにかしないといけない』

 珍しく、まともな事を言っていると思ったのが素直な感想だった。

「でしたら、シェシリエに話を聞いたらいかがでしょうか、彼女は私もよく話をしますが、そこまでとっつきにくい相手ではありませんよ」

 お金で損得を判断してくる面はもちろんあるが、だからこそ彼女に前院長や現院長の区別は存在しない。教会の管理が上手く回るか、回らないか。だからこそ前院長の置いて行った役立たずと言われるエヴァに対しても、彼女は公平に接してくるのがほとんどだった。

(ほとんどだけど、少し苦手というか……)

 かなり気が強く、頑固なところが少し難のあるシスターだった。

「ならばなににしても、シスターシェシリエを探さなければいけないという事だな」

「えぇ、とは言ってもシェシリエの事ですからおそらく会計室にいるのではないかと……」


「私に、なにか御用でしょうか?」


 ふと、後ろから声が聞こえる。

 少しだけ鋭いその声はまっすぐエヴァに向けられたもので、顔をそちらに向けると長く緩いパーマのかかったブロンドを揺らすシスターがいた。黒ぶちの眼鏡からこちらを見る瞳は、正直かなり頑固そうだ。

「あ、シェシリエ」

「エヴァが私の話をするなんて珍しい、てっきり嫌われていると思った」

 嫌ってはいないが、苦手意識で少し避けてしまっていた事はバレていたのかもしれない。

 気まずさを感じながら、エヴァは言葉を選んでいく。

「シェシリエ、今時間があれば話を聞きたいの」

「時間はお金に等しいの、早くして」

 さすが銭ゲバ、と言いたかったが確実に機嫌を損ねるからやめておいた。

「単刀直入に言うね――最近、お金がなくなっているとかで困っている事はない?」

「シスターっ」

 エヴァの言葉を遮るようリベリオは声を上げたが、聞かれたシェシリエの方はその事ね、と言葉を続けてくる。

「こういった場所ではよくある話だし、それなら私も把握している……どこの誰がやっているか知らないけど、いい迷惑だわ」

 そんな、心の籠っていないような言葉。しかしエヴァには、その裏で別の声を聞いていた。優しく悲しい声音は、明らかにシェシリエのもので。

『あの子の弟、病気って聞いているし……薬で治るものなら、これくらいきっと安い』

 安いかどうかで考えるのはシェシリエらしいと思ったが、問題はその部分ではない。

 あの子、という事は母親ではなく子どもの方に使うのがしっくりきてしまう言葉だ。

(どういう事? 使い込んでいると話していたのは彼女のはずだったのに、教会の中ではあの男の子が犯人の扱いになっている?)

『疑いたくはないけど、あの子がくる時に計算が合わなくなるし……』

(それは……)

 確かに、子どもの方が犯人と思っても無理がないと思った。しかし昨日の夜を思えば、エヴァからすると母親の方が犯人と思うのが自然。情報が違うだけでここまで見る景色も違うのかと、ついそんな事を思ってしまうほどだった。

「エヴァもういいかしら、私も忙しいの」

『今日は当番が買い物に行っているから、お金の動きもあるし』

「えぇ、ありがとう」

 最初から最後までブレなかったなと思ったが、そこには触れないでおいた。

 急ぎ足で立ち去るシェシリエを見送りながら、そっと目を伏せる。

(やはり、当事者二人の話を……話を聞かなくとも、心の声からでもいいからなにかを聞かないと)

 どちらがこの事件の犯人なのか、それがわからなかった。

 どこにいるのかもわからない相手をどう探そうかと考えていると、隣から大きめの溜息が聞こえてくる。

「…………」

 かなり悩んでいる表情を浮かべるリベリオが、そこにはいた。

「リベリオ様?」

 そっと声をかけるが、リベリオは黙ったまま。

 静かに、なにかを考えている。

『もし本当にその少年が犯人であり弟の命を救うためのものだったら、俺はどうすればいいのだ……』

 葛藤している声は止まらず、エヴァに流れ込んできた。

『こんな時、どうすれば……』

「リベリオ様……」

 最初は祭司のくせにと思ってしまったが、オスカーの心の声で聞いたある事を思い出し言葉を飲み込んだ。

(リベリオ様は、洗礼を受けていない)

 受けているならまだしも、リベリオはしょせん偽物でしかなく洗礼を受けた聖職者でもない。だからきっと、こんな時祭司はなにをするべきなのかがわからないのだと思った。

(教皇様やご兄弟も、そこまで教えればよかったのに……)

 こんな事になるとは思わないから教えなかったのはもちろんわかっているが、そう文句を言いたくなった。

「……リベリオ様、祭司リベリオ様」

 はっきりと、名前を呼ぶ。

「あなたは祭司です、神の使いであり正しい道へ人々を導くのが役目ではないでしょうか」

 ぴくりと、リベリオの指先が跳ねる。

「……そう、だな」

 エヴァの声が聞こえたのか、それとも他の事に対しての言葉なのか。それは横にいるエヴァに真意はわからない。ただ少しだけ、ほんの少しだけリベリオは頬を緩ませる。

「あぁ、務めは果たさなくてはな」

 普段のリベリオに、エヴァも釣られるように頬を緩めた。

「はい、犯罪などはちゃんと罪を償う事を勧めませんと」

 本調子に戻ったらしいリベリオは、小さく頷く。

「……あとは、どうやって調べるかですね」 

 心の声は聞こえるが、顔をちゃんと覚えているわけれではない。だからどこへ行って探すのか思い浮かばずにいると、ふとエヴァではなくリベリオの方が顔を上げた。

「あぁ、その事だが」

 悪だくみを思いついたような顔をするリベリオは、聖職者とは程遠いような笑みを貼り付ける。


「少しだけ、提案があるんだ」

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