神の贋作は悩み考える -4

 掃除をしたところで増える草木は寒くなる時期に恒例のもので、見習いシスター達だけでは人手が足りない。

 時折手伝いとしてシスター達に回ってくる掃除はかなりの重労働で、早々にエヴァの隣にいたアンナからは悲鳴の声が上がっていた。

「エヴァ、終わらないよぉ」

『お腹すいたよぉ……』

 心の声とシンクロするように響いた腹の虫に、エヴァもつい笑ってしまいそうだった。

「あと少し頑張ればお昼だから、頑張ろ」

「もう少しってどれくらい……」

「……あと少しだよ」 

 具体的に聞かれてしまうと、どう答えるべきか悩んでしまった。

 そんな満身創痍なアンナを宥めていると、ふと足音が近づいてくる。アンナの特徴的な足音とはまた違う静かなそれは、まっすぐエヴァの方へ向かってきているのがわかる。

 だからこそ足音の聞こえる方へ顔を向けると、角から出てきたのはずいぶんと見知った相手だった。

「あぁお二人とも、ご苦労様です」

「あ、ごきげんようリベリオ様!」

「……ごきげんよう」

 祭司の仮面を付けているリベリオに、形式的に挨拶をする。昨日の夜に話した身の上話は、どこへやら。普段通りの表情を貼り付けたその存在は、それこそ昨日とは別人のように平然としている。

「リベリオ様は如何されたのですか、本日は書類仕事があるからと私になにもお申し付けをしなかったのに」

「少しの気分転換です」

『セレナが次々仕事を出してくるから疲れたよ』

 サボりだな、と口には出さずともつい思ってしまう。

 目の前のどうしようもない上司とそんな会話をしばらくしていたが、途中でエヴァはなにかに気づいた様子で顔を上げる。少し離れたところから近づいてくる存在は昨日話題になったシスターで、まだ距離はあったがつい気になってしまった。そしてなによりも目を引いたのは、その表情で。

「あら、ごきげんようリベリオ様、エヴァ、アンナ」

「ご、ごきげんようマチルダ」

 昨日見たよりも表情が少しだけ柔らかい、相談役マチルダがそこにはいる。

 少し吊り気味の目や強めな口調は相変わらずだったが、まるで一晩明けたら別人になってしまったように思える。それにエヴァは、また別の場所を見ていて。

(あれは……)

 すれ違いざまに綺麗な、白い指先が見えた。

 思えばマチルダは、よく手袋をしている。

 ヘロンベル教で神に身を捧げたシスター達は汚れぬよう、布手袋をしている場合がある。エヴァもミサの時などはしているが、マチルダはその真面目さ故に片時も外す事はない……はずだったのだが。

(あのマチルダが手袋をしていないなんて、珍しい事もある)

 普段見ないはずの綺麗な指先を、エヴァは見た事がある気もした。しかしこれだけ人数のいる教会の中で、指先の綺麗な人なんてごまんといる。だから気のせいだと言い聞かせてながらじっと見ていると、心の声が聞こえてしまう。

『昨日は、あんな嫉妬をしてしまって恥ずかしいわ』

(……嫉妬?)

 なにに対しての、嫉妬なのだろうか。

 もちろん聞こえている事を知らないマチルダに、直接聞く事はできない。しかしその疑問は、次の一言ですぐにどこかへ行ってしまう。

『けど、ピクシー様の言う通りだ』

「っ……」

 その心の声で、すべてを察する事ができた。

 あの夜の告解部屋での赦しも、昨日の事も、羨むような言葉も。

 どれを見てもマチルダというイメージ像とは真逆だったそれに、かえってエヴァは親近感を覚えた。鬼と揶揄させるシスターマチルダにも、そういった心があり感情がある。それだけで、エヴァは心が暖かくなるような気がしたから。

(……だから、どうか神の作った世界を悲観しないでください、マチルダ)

 もしも、エヴァの能力が罪でないのなら。贋作であっても、許されるならば。

 誰から見ても受け入れて貰える能力だったならば、彼女は迷う事なく走り出しマチルダに声をかけていただろう。神はその、清らかで素直な心を見るために存在していると。なにも病む必要はないのだと。

(けど、私にはそれを伝える資格がないから)

 小さく首を横に振り、胸にしまい込む。

 それがエヴァに、神の真似事のような能力にできる唯一の事だから。

 そんな考えていた事は、大きな音に遮られた。

 鐘の音は正午を知らせるもので、それだけで死にかけていたはずのアンナは勢いよく顔を上げる。

「あ、ご飯!」

「ちょ、アンナ、回廊走ったら怒られるよ!」

 箒を捨てるように置いて迷う事なく走り出したアンナの姿はどこにもなく、おそらくだが声も聞こえていないだろう。賑やかな同僚を見送ると、誰もいなくなったのを確認したリベリオがエヴァの顔を覗き込んでくる。短い付き合いでも、それが祭司の顔でない事はすぐにわかった。

「それで今シスターは、シスターマチルダからなにを聞いたんだ?」

「それは……」

 言葉に、悩んでしまう。

 きっとマチルダからすれば大した事のなく、ただ自分の中にある感情への一つに過ぎないのだろう。それは、シスターマチルダを今まで見てきたのだからよく知っている。しかしそれでも、この男に今回の事を話していいのかわからず悶々と考えていると、エヴァの答えを聞く前にリベリオは楽しそうに頬を緩めていた。

「やはり、シスターはわかりやすいな」

『シスターは、本当にわかりやすい』

「は……」

 今のどこから、そうなったのだろう。

 あまりにも話の筋が読めない会話に目を丸くしたが、心の声もまったく同じで真意はわからなかった。

(心の中でなぜそうなるのか、を考えてくれれば私も楽なのですが……あくまでわかるのは考えてる事だけ。だから私の能力は、万能とは思えないのです)

 現状を悲観しているのは、マチルダではなく自分の方かもしれない。

 しかしそんな気持ちも、いずれ忘れてしまう。この隣にいる偽物祭司といると、自然と悲観的な考えはどこかへ行ってしまうから。

(神よ、まさか彼にもなにか私のような異能を与えたのですか? 例えばそう、他者の感情を書き換えてしまうとか、それか沈んだ心を晴らす能力を……)

 冷たい風が吹く中、エヴァの声は神まで届かず溶けるだけだ。





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