神の贋作は悩み考える -3

 マーレット教会の夜は寒い。

 近隣他国に広がる山脈からの風で冷え込んだ世界を歩く人はほとんどおらず、それは教会内でも例外ではない。回廊を抜けていく風邪は冷たく突き刺すような痛みに、つい肩を揺らした。

「こんな時間に外にいるとは、悪いシスターですね」

 声が、どこからか聞こえる。

 今日までに嫌というほど聞いた声には驚かず、むしろエヴァは若干機嫌の悪い声を作った。

「……いまさら、祭司の振る舞いをされても面白くありません」

「あぁそうか、それは悪い」

 頬を緩めながら近づいてきたリベリオの顔が、月明かりに照らされる。

「告解部屋の帰りか?」

「いえ、今日は夜風に当たりたく」

「そうか、なら部屋まで送ろう」

 シスター相手としてではなく、一人の女性をエスコートするように笑ったリベリオはそれこそ育ちの良さが滲み出ていて、ついエヴァも頬を緩めてしまいそうだった。

(こういう表情を見ると、他のシスターから人気のある理由も頷けてしまう)

 調子に乗ると思ったから、言葉にはしなかった。

 ふいとわざとらしく目線を逸らしながらしばらくいると、そんなエヴァの態度が面白くなかったのかリベリオが若干退屈そうな表情を見せる。しかしそれも一瞬の話で、すぐに目を細めながらエヴァの顔をわざとらしく覗き込んできた。

「……考え事でもしていたのか?」

 まるで、エヴァの心の声を聞いているようだった。

 見透かしたように言われたそれに一瞬エヴァも立ち止まったが、すぐに力なく首を縦に振った。特に、隠すほどのものではなかったから。

「……今日の、昼間の事を考えていました」

 落とすように、言葉を選んでいく。

「私は誰かのためでも信仰のためでもなく、生きるためにヘロンベル教を学び今ここにいます……そんな中で私は人の心の声を聞く能力が、心の清さを見る神の真似事のようでそこまで好きではないのです。だって、知りたくもないたくさんの声が聞こえてしまうので」

 呼吸を、整える。

「だから同時に、少しだけ羨ましかったのです……人の心の声がわからず、相手の事もわからないがそれでも信じて愛する事のできる彼女達が。私みたいに裏側の心を聞かなくてもいいシスター達が」

 あの、心意のわからないマチルダから聞こえた声のように。

 きっと自分は、彼女達のように人を好きになる事はできないだろう。それはエヴァ自身がわかっている話であり、悲観するわけでもない。ただ少しだけ、羨ましく思えてしまっただけだ。

 そんなエヴァの言葉を聞いたリベリオは、そうか、と言葉を零すとそのまま薄い笑みを貼り付ける。

「……まぁ確かに、シスターの能力は羨ましくも思えるな」

「茶化さないでください」

「茶化していない、本当の事だ。人の心の声が聞けるなんて、良い使い方をすればそれこそ神のようだろ」

「それが、嫌だと」

「けどシスターは、そういった使い方をしない……それでじゅうぶんではないか」

「っ……」

 まっすぐで、嘘偽りのない言葉だった。

 摑みどころがなく顔だけ見ると考えている事がわからない彼だったが、言葉に嘘がないのはエヴァ自身もわかっている。だからこそ気恥ずかしくそうですか、と簡単に言葉を返すだけだった。

「それに最初は羨ましかったが、最近はほしいと思わなくなったな」

 しかしこの言葉の意味は理解できず、反応に困る。

 そんなエヴァの言いたい事がわかったのかそうだな、と言葉を続けてくる。

「シスターが、ずいぶんと変わったからな」

「変わったと、申しますと?」

「それは……」

 リベリオの言葉が、止まる。

 なにかを言いたいのか目線を落としていたが、すぐに笑いながら首を横に振って見せてくる。 

「……いや、なんでもない」

『俺は声が聞こえるわけではないが、シスターはなにを言いたいかすぐ態度でわかるからな』

(私の態度で、言いたい事がわかる……?)

 そんなはずはないと、つい反論してしまいそうだった。

 今まで一度たりとも、そんな風に言われた事がない。むしろ顔に言いたい事が出るタイプとは無縁のエヴァにとって、態度でわかるなんて言葉はあまりにも似合わないと思っているから。

 からかっているのかと最初こそ思ったがこれもどうやら本心のようで、だからこそなんて答えるべきなのかわからない。そもそもとして心の声に反応をしなくてもいい問題だが、つい考えてしまっていた。そんな事に悩むのすら自分らしくなく、なんだかむず痒い。

『やはり、シスターは面白いな』

(……こっちは面白くともなんともありません)

 これはわざと聞かせているかもしれないから、こっちも反応するのはやめておいた。

 そんな当たり障りのない会話の中でも、じっとリベリオはエヴァの顔を見ていて、なにかを言いたいようにも思える。なんだろうかと言葉を待っていると、そうだな、とまっすぐにエヴァの目を見ている。

 心の声を聞く事はできないはずなのに、すべてを見透かしてくるような瞳だった。

「どうだシスター、少しは外の世界に興味を持ったか?」

「それ、は……」

 言葉に、迷ってしまう。

 あの時とは、リリアの悩みを聞いた時に言われた事とは似ているようで明確に違う。その言葉にどう返事をするのが正解なのか今のエヴァにはわからず、だからこそ素直に首を横に振る事しかできなかった。

「興味は……ありません」

 絞り出すような声が、回廊に響く。

 嘘でもなければ、正真正銘今のエヴァにとっての本心だった。

 しかし言葉にすると違和感もあり、納得できるかと聞かれるとできない。それはリベリオに会って今日までの中で、エヴァが見たものが想像していたものとだいぶん違う表情だったからだ。

(今までは赦しを聞いたところでなにも思わなかったのに、おかしな話)

 もしかすると、告解部屋以外にも前院長の言っていた事に対する正解はあるのかもしれない。そう思い始めている自分に驚いているのは他でもないエヴァ自身で、だからこそエヴァはふと思い出したように顔を上げ。

「不思議な気持ちは、あります」

 それだけを、言葉を落とす。

 その真意を、深い意味をどう思ったのだろう。

 ただエヴァの一言にそうか、とだけ返事をしたリベリオは、なにも聞かずに頷いているだけだった。

「まぁ、シスターらしい返事だな」

 その言葉の裏に、どんな意味があるのだろう。心の声は聞こえてもその裏までを知る事の出来ないエヴァにはわからなかったが、つい気になって言葉を選んでしまう。

「……リベリオ様にはないのですか、そういった不思議な感覚は」

「俺か?」

「はい」

 その言葉を、どう思ったのだろう。

 一瞬なにかを考えるように目線を落としたが、すぐに楽しそうに目を細めながらそうだな、と口の中でもごもごとなにかを言いたそうにしていた。

「不思議な感覚、か……ないと言えば嘘になるかな」

 なぜ、曖昧な言葉選びをするのだろう。

「例えば買い食いをしたり、外で遊んだり、俺にとっての不思議な感覚は普通と思っていた普通じゃなかった時だ」

「それは……」

 少なくとも、世俗の社会では普通に入るのではないか。

 そう飛び出しかけた言葉は、咄嗟に飲み込んだ。考えてみれば、目の前の偽者祭司は母親が亡くなってから父親が洗礼を受け教皇になったという特殊な環境で育った人。世間の普通とは少し違うのかもしれない。

 しかし、そこまではわかったが。なぜ今その話をしているのだろうか。それがエヴァにはわからず、言葉にはせずとも首を傾げてしまう。

「……シスターは、俺がなんで親父の言う事を聞く形で祭司を装っていると思う?」

「…………そこまでは、わかりません」

「本当か?」

「えぇ、リベリオ様がその事を考えている時は、心の声にノイズがかかりますので」

 あの時、リリアの相談を受けた時。

 リベリオの声は、ざりざりとしたノイズが聞こえていた。祭司を装っている中でなにかを調べているのはもちろんわかったが、それ以来核心を聞いた事がエヴァはなかった。

 そんなエヴァの返事に、なぜだかリベリオは嬉しそうに笑っている。しかし同時に悪い事をしたな、と脈略なく謝られてしまった。

「いや、ノイズの音はあまり好きではない様子だったからな……しかしそれほど俺が考えていて、それをシスターが聞いていたと思うとつい嬉しくてな」

 おかしな話だろ、と笑っている。

 確かにおかしな話だと思った。しかしそれを言う権利はエヴァにはなく、言うつもりもない。

 だからこそリベリオの言葉を待っていると、ふと遠くを見ているように目を細めていた。

「友達が、いたんだ」

 それは、まるで絵本を読み聞かせているかのように続けていく。

「母さんがいなくなって、親父が聖職者になってしばらく経った頃……親父はすでに幹部クラスで、俺と兄貴達はその時からヘロンベル教内の施設で生活をしていた。そんな同世代の子どもがほとんどいない空間で、ある日飯を探してスラムの子どもが迷い込んできてさ」

 ここまでは、よく聞く話だと思う。

 明日を生きるのもやっとであるスラムの住民は、時折話にある通り民家や富裕層の家庭へ忍び込んだり乞食をしたりする。それのどこから友達の話に発展するのかと思っていると、思い出し笑いをしながらそれでさ、とリベリオが話を続けてきた。

「親父はお人好しだからな、飯をあげる上にまたこいって言ったんだよ」

「……それは、なんともまぁ」

 お人好しの教皇様、ここに極まれりである。

 ご飯を渡して、おまけに雨風を凌ぐ屋根まで与える。そこまで至れり尽くせりなスラムの住民は、かなり運が良かったと言えるだろう。

「最初は図々しくきては本当に飯だけ食って帰ってたけど、多分途中から申し訳なくなったんだろうな……ある日から俺によく話しかけてくるようになって、それでちょうど同い年なのもあってよく遊ぶようになったんだ」

 それが施設での初めての友達だ、と笑ったリベリオだが、なぜだかエヴァには悲しそうに見えてしまう。それが楽しい記憶ならば、このリベリオという男の場合もっと表情に出てもおかしくないはず。だから不思議に思いながら、つい目線を合わせると。

『だから俺は、あいつを探すためにこの失踪事件を解決させるんだ』

「っ……」

 続けて聞こえてきたのは明らかに心のもので、想定外の声につい肩を揺らす。そして同時に、腑に落ちてしまった。彼が親父と呼ぶ存在だけのためにここまで動くのだろうかと、エヴァはずっと疑問だったから。なぜそこまでするのか、父親だからというだけでそこまで動けるのだろうかと。しかしそれが父親である教皇のためではなく、自分の友人のためと思えば納得のできる話だ。それが唯一の存在なら、なおさら。

(……いなくなって、しまったのですね)

 夜は人の警戒を薄くする、だからなのか澄んだ空気のように彼の声はよく聞こえた。聞こえてしまったからこそ、エヴァの中では罪悪感が溢れている。

(誰かの隠したい感情を聞いてしまうのは、やっぱり罪だ)

 これ以上踏み込んではいけない気がして、そっと目線を外した。それが今のエヴァにできる、唯一の事だったから。

 そんな時間が、どれだけ流ただろう。

「――そこにいるのは誰ですか」

 張るような声が、回廊に響く。

 突然の事に二人で肩を揺らすと、その足音は確実にエヴァとリベリオに近づいてくる。怒りの籠ったようなその音だったが、すぐになにかに気づいたように立ち止まる。

「こんな時間に外に出るなど、神が気づいたら……あら」

 声の主、副院長のシスターマリネッタは二人の姿を確認するなり、驚いた様子で目を丸くしていた。

「ごきげんようリベリオ様、エヴァ……このような時間になにを?」

「あぁごきげんようシスターマリネッタ、今はシスター達に依頼されたタヌキの捜索をしていたのです……どうやらタヌキのみならず害獣被害が深刻のようで、庭園役のシスター達からなんとかしてほしいと言われたのです。それで、私の侍従役であるシスターエヴァにも協力いただいておりました」

 よくもまぁここまで嘘がぺらぺらと、とは思ったが今言うべきではないのはもちろんエヴァもわかっている。軽く頭を縦に動かしながら話を合わせると、マリネッタはその様子を見ながらなぜか不機嫌そうに目を細めている。

『誰よ、そんな依頼をしたのは』

(なるほど、副院長もこうして機嫌を悪くする時があるのね……確かに、就寝時間を過ぎているのにシスターと祭司がいれば他のシスターにも悪い影響が出るかもしれないけど)

 温厚で他のシスターへも優しく声をかけるイメージのマリネッタだったが、心の声が聞こえると話が変わってくる。エヴァの中にあったイメージとかなり違うそれに内心驚いていたが、そんなエヴァを置いていくようにリベリオは話を続けてくる。

「ところで、シスターマリネッタこそどうしてこの時間に? 我々は夜行性であるタヌキが動くこの時間を選びましたが、見回り時間は本来もう少し早いはずでは?」

「それはっ……」

 不機嫌そうなまま、肩を落として回廊から見える外を指さす。そこは先日あった集会騒動の舞台である小屋で、今は閉鎖され電気も消えている。

「あちらの部屋を掃除しに行くのです、少々儀式で使用する事になりましたので」

 場所の有効活用です、と言うマリネッタはもう用事はないかと言いたそうにリベリオの顔を見ている。

「私も、こちらの掃除を終わらせて早く寝たいのです」

「そうですね、これは失礼しました」

 人が良さそうな顔を貼り付けたままのリベリオは、とても申し訳なさそうに頭を下げた。

『こういった人は、後々誠意がないとか文句を言ってくるからな……』

 心の中は、申し訳ないなど思ってもいなかったが。

「……熱心でいていただけるのは副院長としてもありがたいですが、明日に響きますのでほどほどに。エヴァもですよ」

 あからさまに寝ろと言われているのは、もちろん二人ともわかった。

 仕方ないと目を合わせると、そんな二人を見てマリネッタも睡眠不足は肌にも良くないですよ、と優しく笑った。ついさっきまでの不機嫌そうな顔は最初からなかったかのよつに、優しく柔らかい。

「それではお二人とも、良い夢を」

「えぇ、良い夢に」

 簡単に言葉を交わしながら、マリネッタはヒラヒラと手を振る。よく見ると手の至る所に大小様々な傷があり、包丁でできたものである事はすぐにわかった。

(そういえば、副院長はお子さんを亡くされた事がきっかけでシスターになったと聞いた事が)

 怪我の数だけ、母になる。

 母のいないエヴァにはわからないこの言葉も、彼女を見ているとなんとなくだがわかる。

「……リベリオ様、そろそろ行きましょうか」

 そう思えば、彼女の言葉は息子と娘の夜更かしを心配する母親のようで。仮初のそれが暖かく思えて、エヴァはらしくもなく心が優しくなれるような気がした。

「――副院長の事、やけに信頼しているみたいだな」

「そう、ですか……?」

「あぁ、見ればわかる」

 またそれだと思ったが、言葉にはしなかった。

「……母のようなあの女性に副院長は似ているのです。優しくて強い、憧れの女性……だからつい、そう思ってしまっているのかもしれません。私にとっては、先生が父で副院長が母です」

「……そうか」

 目を細めながら、リベリオはエヴァの顔をじっと見つめている。

「じゃあ、祭司の部屋はこっちだから」

「えぇ、それではこの辺で……素敵な夜のお付き合いをいただき、ありがとうございました」

 回廊の分かれ道で、小さく頭を下げる。そのまま背中を向けようとしたところで、あっ、と声が聞こえた。

「シスター」

「……はい?」

 少しだけ、普段よりも優しく名前を呼ばれ振り返る。

 そこにいたリベリオは、なにかが晴れたように柔らかな表情だった。

「良い夢を、シスター」

「……えぇ。リベリオ様も、良い夢を」





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