湖の国

第13話オーツ

 湖の国、オーツは国土のほとんどがその名の通り湖である。水面はきらきらと輝いており、また濁りもしない。透き通るような湖水は住民に恩恵を与えている。主に淡水魚が多く獲れるという点で。


 あまりに大きく広い湖なので、天候次第では船の行き来すら困難になる場合がある。しかし幸いにも私たちが入国した季節は雨期の終わりだったので、比較的穏やかに運航している船に乗れた。


「お嬢様! 見てください! あんなに大きな魚、見たことありません!」


 カレニアが大はしゃぎしている。身体の調子が良くなったおかげでもあるが、初めて見る湖に気分が向上しているのだろう。私はそんな彼女を微笑ましく思いながら「私も見たことが無い」と頷いた。


「オーツは結構近かったから、たまにじっちゃんと一緒に、ここで釣りしたんだ」


 もう一人の同行者、ブロウは笑っていた。

 馴染みがある土地らしいから、頼りになりそうだ。

 私たちは船の甲板にいて、外の景色を見ている。船内にいるより遥かに気分が良かった。

 顔に当たる風が心地よい。潮風と違って鬱陶しくなく、涼しげだった。


「それで、俺たちは『アドゥ』の城に行くんだよな」

「鉄の国に行くためにな。入国証が必要なんだ」


 ブルーフォレストとオーツの間には存在しなかったが、鉄の国は他国との関わりを最小限に留めているので、規則上必要だったのだ。

 湖を眺めていたカレニアは「入国証、手に入るんでしょうか?」と今更なことを問う。


「検査と審査が必要だが、二週間ほどで取得できるだろう」

「この国に二週間か。その間、美味しいもの食えるかな?」


 ブロウがのん気なことを言う。しかしカレニアは「そんな余裕ないですよ」と困った顔になった。


「この船に乗るのが精一杯でした。もう路銀は尽きているって言ってもいいです」

「はあ? アンヌさん、貴族なんだろう? 金ねえのか?」

「実家から逃げ出したとき、金目の物は持ってこれなかった。今思えばいくらか貰っていけばよかったな」


 後悔先に立たずというやつだ。

 だけど、金を稼ぐあてがないわけではない。


「入国証の申請が終わったら、アドゥの城内にある漁業組合に行くぞ」

「お嬢様、まさか……」


 カレニアが口元を抑えて驚いている。

 ブロウはまだピンと来ていないようだ。


「どうしたんだよ? 何かあるのか?」

「まあな。この湖の国しかない仕事――」


 私は得意そうに、二人に告げた。


「弓矢による狩り――『大魚漁業』で路銀を稼ぐ。これが二週間の間にやるべきことだ」



◆◇◆◇



 オーツの淡水魚は普通の十倍ほどある。

 釣り竿だけで引き上げるのは至難の業だ。

 だから漁網による方法が最も効率がいい。


 しかし時として網をも突き破り、漁師たちに襲い掛かる、猛獣ならぬ猛魚がいる。

 それらを仕留めるには矢を以って射殺すしかない。

 湖の国では漁師の他にそういった『狩人』も需要があった。


 幸い、私とブロウは弓矢が扱える。

 武士だった頃の経験と森の国での狩りの経験と違いはあるが、大魚漁業ができるほどの腕前があり、他の者にはない度胸が備わっている。

 それゆえに、私とブロウは大魚漁業に適しているはずだ。


「お嬢様のやることには反対しませんが、危険は避けてくださいね?」


 聞き分けの良いカレニアはそう言ってくれた。

 まあ恐ろしい仕事とは分かっているものの、それ以外に稼げる仕事はないと理解したのだろう。


 私たちを乗せた船は、湖面の中央に『浮いている』アドゥの城に着いた。

 城と言うより、小さな島のようなアドゥの城。何でも船のように作られた人工の建築物らしい。言い方は難しいが、多くの人が住める都になっているようだ。


 アドゥの城にある入国証管理局という役所にカレニアを送り届けて、後で合流する時間と場所を決めた後、私とブロウは漁業組合に向かった。そこで狩人の登録をするのだ。

 漁業組合は他のレンガ造りの建物よりだいぶ立派で、全体が赤いレンガで作られていた。

 中に入ると案外広々としていて、人も多く詰めていた。


「ひゃあ。こんなに人がいるのは初めてだなあ」

「そうか? まあエイトドアは広かったからな」


 多いのではなく、密度の問題だろう。

 まるでおのぼりのようなブロウを引っ張って、私は狩人の受付へと向かった。そこの女の事務員が「ご用件は何でしょうか?」と作り笑顔で私に言う。


「狩人の登録に来た。私とこの子だ」

「えっ? あなた方が?」

「何か問題でもあるのか?」

「いえ……失礼ですが、オーツの住民ですか?」


 私はやや緊張しているブロウを脇に立たせて「いや。違う」と答えた。


「私はアースドリア、彼はブルーフォレストだ」

「そうですか。そうですと、試験を受けても期限付きになります」

「その期限はどのくらいだ?」


 女の受付係は「最大で一か月ほどですね」と手元の種類を見ながら答えた。

 まあ二週間分働ければいいので、別に問題はなかった。


「それで構わない。それで試験は?」

「こちらにお名前と年齢を。出身地は書いてありますので。記入後に試験は開始されますが、弓は持参していただくことになります」


 羊皮紙を手渡された私とブロウ。

 しかし、弓か。私たちは持っていないな。てっきり試験のときは借りられると思っていた。


「では弓を買ってくる。それまでに記入しておけばいいんだな?」

「ええ……どうかなさりましたか?」


 ブロウは「実は字が書けないんだ」と困った顔をしていた。

 私は「代筆は可能か?」と訊ねた。


「私はできませんが、あなたが書かれる分には問題ありません」

「なるほど。柔軟なのだな」


 私はブロウに「私かカレニアが教えてやる」と耳打ちした。

 それから漁業組合を出た私たちは武器屋へと向かった。

 やはりと言うべきか、私たちのような初心者のために、近くに店が構えてあった。


 中に入ると、弓がずらりと並んでいた。

 流石に和弓はなく、それなりに整えられた南蛮の弓が売っている。

 私はこの手の弓の良さは門外漢だった。ブロウも似たようなものだった。


「ふむ。どれ――」


 なんとなく弓を手に取ろうとすると「それはやめたほうがいいな、姉ちゃん」と止められた。声の主を見ると、ぎょろりと目が大きい背の高い男だった。

 短い金髪、というより頭の頂点しか生えていない。湖の国の若者らしい服装、つまり漁師のような恰好をしている。


「その弓はあんたの体型にあっていないし、何より質が悪い」

「な、なんだよう。あんた誰?」


 ブロウが警戒して私の前に立つ。

 男は笑みを浮かべて「小さな護り手さんって感じだな」と言う。


「俺の名はテンダー。組合であんたらを見て気になったんだ。以後よろしく」

「私はアンヌという。こっちはブロウだ」


 名乗りを上げた者に対して、言わぬのは恥だ。

 テンダーは「度胸あるねえ」と言いつつ、展示された弓を取った。


「あんたに適しているのはこの白い弓さ。そんでそっちの坊主にはこれ」

「目利きができるのか?」

「そういうんじゃねえよ。ま、試験の合格を祈っているぜ。頑張んな」


 私たちに弓を手渡したテンダーはそのまま去っていった。

 なんだろうと私とブロウは顔を見合わす。


「親切な人なのかなあ」

「少なくとも、弓は手に馴染む。会計しよう」


 弓の代金を支払って、漁業組合に戻った私たちは先ほどの受付係に書類を提出した。

 これで試験を受けられる。


「はあ。なんだか緊張するなあ。試験なんて初めてだ」

「止まった的に矢を射ればいいのだ。これほど楽な試験はない」

「そうなの?」

「実際は動く生物に当てるのだから。そっちのほうが難しいだろう」


 ブロウの緊張をほぐしつつ、私は弓を握りしめた。

 剣ほどではないが弓は得意だ。

 余裕で受かるだろう。

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