第14話

 目元を優しくハンカチで拭ったマリンソフィアは、そのあと香水選びに熱中した。何かに熱中していれば、嫌なことも、辛いことも、悲しいことも、全部全部忘れられると思ったのだ。


「あ………、これ、好きかも」


 マリンソフィアの鼻腔を、爽やかな柑橘系と、華やかなフローラル系、さらに、アクセントの青みの香りがくすぐった。

 説明のポップには『ネロリ』と記してあり、愛らしい真っ白な小花の絵が添えられている。


「可愛いわね。わたくしと違って」


 言っていて悲しくなるが、落ち着く香りのおかげで少し精神的に楽になった。

 マリンソフィアは改めてポップを見つめ、香水の特徴を確認する。


『ネロリ』


 ネロリの香りには、たくさんの効果があります。


 1つ目は、“心を落ち着かせてくれる効果”です!!

 ネロリは「天然の精神安定剤」の異名を持つほど、高いリラックス効果があると言われています。就寝前にネロリを使うと心地よく眠れるはずです。

 心配事がある時、気分が落ち込んでいる時やイライラする時には、ストレスをほぐして前向きな気持ちになれる効果も期待できます。さらに緊張やプレッシャーを感じた時にも、心を落ち着ける手助けをしてくれるでしょう。

 2つ目は、“心因性の体調不良を整えてくれる効果”です!!

 ストレスによる胃腸の働きの不調、消化不良、腹痛など、心因性の健康トラブルにもネロリの香りは役立ちます。また、神経の高揚からくる不眠症や高血圧、動悸などを落ち着かせる作用も期待できます。

 3つ目は、なんと言っても、“女性特有の悩みを軽減してくれる効果”です!!

 ネロリには女性ホルモン様作用があると言われています。女性ホルモンのバランスを整える効果が期待でき、生理不順や重い生理痛、月経前症候群の改善に効果的。さらに更年期による不調の緩和にも役立ち、女性の多くが悩むと言われる冷えやむくみなどへの効果も期待できます。

 女性の強い味方ですね。

 4つ目は、“美肌効果”です!!

 ネロリには肌の新陳代謝を促進する効果や、細胞を活性化させる働きがあると言われています。保湿効果も高いため、シミやシワ、たるみの改善や、妊娠線の改善も期待できます。さらに肌を引き締めて、ハリのある肌へと導いてくれるのも、ネロリ精油が持つ魅力の1つです。


 このような効果・効能を持つネロリ精油は、心身両面で女性の力強い味方になってくれるでしょう。

 ※ネロリの精油は香りが非常に濃厚であるため、香水の原料としてもしばしば使用されます。


 可愛らしいポップの説明は、さっきメイクをしてくれた店員さんの口調ととても似通っていた。

 マリンソフィアはネロリの繊細なデザインの香水瓶を2つ手に持って、店員さんの待つ方に向かった。


「この2つも追加で包んでちょうだい。片方はお化粧道具と一緒でもう片方は別でお願い。もう片方はわたくしが自分で持って帰るからそのままで、お化粧道具と一緒の方は『青薔薇服飾店ロサ アスール』にお願い」

「『青薔薇服飾店ロサ アスール』、ですか?」

「えぇ、店長のソフィアの注文品だと言って、わたくしの書いたメモと一緒に手渡してちょうだい」


 そう言って、マリンソフィアは自分の懐にしまっていた万年筆とメモ帳を取り出し、そしてメモ帳を1枚ちぎって、万年筆でさらさらっとサインをした。流麗な書き崩し字は、見慣れた人間以外には絶対に読めない。


「しょ、承知いたしました」


 驚愕の表情をした店員さんにくすっと笑ったマリンソフィアは、店員さんの耳元にくちびるを寄せ、そっと囁いた。


「今日はどうもありがとう。今度うちのお店にいらっしゃい。そして、来たら、わたくしを呼んで。特別なお洋服を特価で仕立ててあげるわ」

「はわわっ、」


 顔を真っ赤にして耳を抑えた店員さんをくすっと笑ったマリンソフィアは、くるりと踵を返し、アルフレッドの手に自分の手を絡ませて歩き始める。


「行くわよ、アルフレッド。ランチの時間になっちゃうわ」

「………はいはい、今行くよ。ソフィアお嬢さまは相変わらず人使いが荒いようで」

「………」「いいっ!?」


 マリンソフィアは、カツカツと鳴らしていた磨き抜かれた宝石付きのきらきらとした青い10センチハイヒールの踵を、無言でアルフレッドの足に食い込ませた。彼から情けのない悲鳴が起きるが、エスコートの手を緩めることを許さない。


「あら、アルフレッド、ちょっと遅いわね。動きやすい革靴でハイヒールのわたくしと同じペースで歩けないなんて、無駄にデカい身体が油を差していないミシンのように鈍っているのではなくて?」

「いやっ、これは………、」

「これは何?」


 美しいマリンソフィアの眼力という無言の圧力に屈したアルフレッドは、渋々痛む足でエスコートのスピードを黙々とあげるのだった。

 この際、マリンソフィアにゾッコンなアルフレッドは、マリンソフィアのハイヒールで歩けるスピードを密かに気にしていたことは、言うまでもない。

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