第13話

「お客さまは『可愛い!!』と言われたいそうですので、愛らしい雰囲気になるさくら色をメインにしたチークとリップを使います」

「だーかーらー!!」


 とりあえず、色々な勘違いというか、読まれすぎてしまった心のうちを正しい方向に修正しようと、マリンソフィアは口を開いて苦言を呈そうとする。が、店員さんはひらひらと手を振ってあしらってしまう。


「はいはい、言い訳は結構。ささっと最高のメイクにします。ということで、色味が分からなくなるので顔の赤みを消してください」


 冷たくあしらった店員さんに、マリンソフィアは目を見開く。


「はい!?そんなの無理に決まって、」

「無理じゃありません。やるかやらないかです」

「うぐっ、」


 この言葉は、マリンソフィアが従業員によく言っている言葉だ。だから、言いたいことがわかるだけに、言い返すことができない。マリンソフィアは深く息を吸って吐いてを繰り返し、心の中を凪いでいかせた。王太子妃教育の中でも感情の制御は最も厳しく教え込まれるところだ。マリンソフィアは歴代の王妃の中でも嫌がらせによって、相当にきつい教育を受けさせられていたため、数秒もすれば、顔色は完璧に戻っていた。


「じゃあ、再開します。まず、練りチークを使い、少しだけ濃いピンク色を小鼻の横から目の下あたりにポンポンとのせます。この時、頬の高い位置を意識して、丸くのせるのがポイントです!!次に、練りチークの周りから薄めのチークを使い、それをを内から外に向かうように広げていきます。チークを重ねることでより自然な血色感が表現できますよ!!ということで、面倒くさいとかんじるかもしれませんが、2度塗りしてください」


 妙に熱い説明を聞きながら、マリンソフィアは凪いだ心をできるだけ保てるように真っ直ぐと説明を暗記していった。マリンソフィアが王太子妃教育を乗り越えられた所以たる映像記憶能力は、マリンソフィアの十八番だ。意識しなくても使えるが、意識をすれば、なおのこと精度を高く暗記することができる。


「次はリップです。まず、リップエッセンスを唇全体に直塗りして保湿します。縦ジワが消えてぷっくりとした唇にできると、この後にリップを重ねても悪目立ちしません。ですので、遠慮なく塗りましょう」

「分かったわ」


 マリンソフィアはお手本たる自分の写る鏡をじーっと見つめた。


「次に、リップグロスを塗ります。リップを指やブラシでとり、ポンポンと唇に重ねましょう。リップを直で塗ることもできますが、かなり難しいので最初は避けておくことをおすすめします」


 美しく、艶やかに重ねられていくリップをうっとり眺めていると、店員さんが満足げに頷いた。


「はい、これで完成です。お疲れ様でした!!大変お美しいですよ!!」

「………ありがとう」


 マリンソフィアは鏡に映るいつもよりは綺麗な自分を見て、少しだけ悲しくなった。当然だが、美しくはなっても、可愛くはなっていない。老婆のようだと形容される腰まで届く長めの白髪に、吸い込まれるような宝石のような青い瞳。そして、目を印象付ける水色のアイシャドウ。血色が良くなって多少愛らしい印象が増加したとはいえ、可愛いと形容される容姿ではないことは一目瞭然だった。


「はあー、………、………アルフレッド、どうかしら?」

「ーーー………………、似合ってるよ」

「………………そう」


 マリンソフィアは無性に泣きたくなるのを元王太子の婚約者という矜持で耐え、ふんわりと微笑んだ。


「少し香水を見たいのだけれど、棚まで案内してくれるかしら?」

「分かりました」

「アルフレッドはここにいて」

「なっ、」

「お願い」

「………分かった」


 店員さんの後に続いたマリンソフィアは、表情を暗いものに変えたが彼女のそんな様子に気がつくものは誰もいなかった。


「この棚になります」

「ありがとう。香水と一緒に会計をお願いするつもりだから、お化粧品だけ先にまとめておいてくれるかしら?」

「承知いたしました。奥で預かっておきますね」

「えぇ、お願い」


 マリンソフィアはいくつかの香水を手に取って、そしてゆっくりと嗅いだ。心和む匂いのものが欲しかったのだ。社交界にはたくさんの香水お化けがいて、匂いが混ざることで地獄のオンパレードと化していることがよくあったが、マリンソフィアは他人のつけている個々の匂いを楽しむことを好んでいた。もちろん、実際に自分でつけたことなどない。


「はあー………」


 無意識に溢れでた溜め息とともに、ぼやぼやと視界が淡く歪んでしまう。マリンソフィアはぐっと口元目元に力を入れて、涙がこぼれ落ちるのを防ぐのだった。


「わたくしが『可愛い』と言われないのは、当たり前でしょう」


 吐息のような言葉は空気の中に溶けてしまった。

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