第40話 アフターケア


「前は見えるんですか」

「問題ない。毛穴までバッチリだ」

 爽やかに応える小次郎の顔面はボコボコになっている。傍から見ても、どこに瞳があるのかわからない。それだけ皆の怒りが激しかったということだ。

「あいつらマジでやりやがって。腫れが引かなかったら格好つかんぞ」

 視界は確保できているが、流石にこの状態で試合に出たくない。メイクで隠すにも限度があった。

「良い男が台無しだな」

「マスクを使えばいいじゃないですか」

「前触れもなく外見を変化させたら、客が混乱するだろ。やるなら色々と仕込みたいんだよ」

 納得のいくアングルをちゃんと組みたかった。今はあまりにも時間がなさすぎる。己の回復力に期待するしかない。

「同情なんて全く出来ませんけどね」

 心から呆れている。自業自得と言う言葉がこれほど似合う例も珍しい。教科書に載せたいくらいだ。

「あいつらも少しは加減しろよ。サービス精神が足んないんだ」

 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、鞄をあさる。練習後にマリアだけを呼び出したのは理由があった。

「悪い話なら帰りますよ。もう荷担したくないです」

「そんなんじゃないよ。こいつを受け取ってくれ」

 手紙を取り出す。前々から用意していたものだが、今日まで誰にも見せていない。

「同じ物は店長にも渡すよ。不備がないか確認して欲しくてさ」

 マリアには秘書に近いことをやってもらっている。こういうことを頼むには打ってつけの人材だ。

「別に構いませんけど」

 首を傾げながら手紙を開く。読み進めるうちに手がわなわなと震え始めた。


「ちょ、これって、い、遺書じゃないですか!」

 手紙には何かあったときに備えて、今後の団体経営や試合の進め方が書かれている。困ったときは誰に相談するかもだ。他にも軽く自分の心境を書いておいた。

「小次郎さんは死ぬ気なんですか」

 内容やタイミングも合いなり、遺書めいて見えるのは当然だろう。マリアの顔が青ざめている。

「勘違いするな。五体満足でリングを降りるのが、俺の信念だからな」

 自分も相手も怪我をせず、観客を最高に盛り上げる熱いファイトをする。小次郎の理想であり信念だ。

 それでも試合である以上、リングの上で死ぬ可能性は常に付きまとう。決して忘れてはいけないことだ。

「ただ次の試合はとんでもなく激しくなる。下手したらどうなるかわからん」

 どれだけ危険とわかっていても、熱くなるのを止めることはできない。頭が拒否しても、心が動いてしまう。行くところまで行ってしまう可能性はあった。それだけの仕込みをやってきたのだから。

 リングの上で死ぬ。プロレスに限らず、不幸な事故はいくつも起きてきた。絶対に起こしちゃいけないもの。

 だが、ある意味で一番幸福な結末であることも否定できない。望んでそうなった選手ばかりじゃないので、軽々しく口にはできないが、小次郎が憧れる最期でもあるのだ。

「もしものためだよ。使わないならそれでいい」

 にっこりとほほ笑む。己に悔いがないように。


「あなたは怖くないんですか?」

 尤もな疑問をぶつける。常人からしたら理解不能な領域だ。

「怖いさ。俺だって結構ギリギリだよ」

 どんなときも悪役を貫くプロフェッショナルと思っている者もいるが、そんなはずがない。本来の小次郎は小さな存在である。憧れには追いつけず、未だに十代のガキでしかない。迷いもするし、躊躇いもする。己を取り繕っている部分もあるのだ。

「こんなのお前の前でしか見せないよ」

「ふえっ、あ、ありがとうございます」

 言葉の意味がわからなかったのか、反射的にお礼を言う。

「奇妙な縁ができちまったからな。なんか色々と言いやすいんだよ。いわば特別な存在ってやつかな」

 この世界で初めて話した相手であり、自分をリングへと導いた女性だ。戦いのゴングを鳴らしたと言ってもいい。

「えっと、その、私はどうすれば」

 頬を赤くしながら、そわそわしている。頼られているのか、褒められているのかわからず、どう反応すればいいのかわからないのだ。

 普段はあれだけ無茶苦茶に振り回している男が、素直かつ真っ直ぐに気持ちを伝えてきたら、こうもなるだろう。

 己の弱さや本心を曝け出す。話し方や口調も相まって、端から見ると口説いているようにも見える。

「そのままでいてくれよ。安心できるからさ」

 余計な邪推などせず、あるがままを受け取り、自分の気持ちで動いて欲しい。マリアにはそれがよく似合っている。


「俺はとんでもない奴と戦うことになる。どうなるかわからねぇからこそ、ちゃんと観てて欲しいのさ」

「私にはわかりません。どうしてそこまで打ち込めるのか」

 試合の魅力や面白さはマリアにも伝わっている。小次郎が戦う理由もプロレスに懸ける思いも説明されてきた。

 それでも完全に納得や理解ができるものでもない。しかも今回は自分からわざわざ死地を作り出したようなものである。

「説明してもピンとこないよ。理屈じゃない。もっと、こう、奥底にある何かだ。リングで戦う人間だからこそわかるものもある」

 プロレスのためにここまでできる理由。好きだからだけでは片付けられない。最早、呼吸や食事と同じくらい当たり前のことなのだ。文字通り全知全能を捧げている。

 でもこの感覚の説明は本当に難しい。どれだけマイクパフォーマンスが上手くなっても伝えられるかわからない。

 己の中にあるもの。突き動かす『何か』は止められなかった。

「少なくてもチケット代は損させないぜ。楽しみにしておけよ」

 もちろん己の満足だけにさせないよう全てを使って観客に伝える。そのためにあらゆる手を使うのだ。

 不安と緊張が入り混じり、喜びと楽しさが湧き起こる。待ち遠しくて仕方ないのに、いつまでも来て欲しくない。そんな感覚が堪らなく心地良かった。

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