第39話 種明かし


「真面目で誠実な男さ。不器用なほどに一つ一つの事に向き合っている。生きにくい男だよ」

 離れたはずの故郷。馴染めなかったドワーフの嗜好や生き方。自分には合わないだけと割り切ってしまえばいいものを、彼にはそれができなかった。

「おまけにとっても優しいのさ」

 己に与えるものがなかった故郷など憎んだり、嫌ってもおかしくない。当然の感情であるのに、それを良しとしなかった。要領よく生きられず、気になったことを無関係だと放ってもおけない。

 結局ダンは悩んで迷いながら進むしかないのだ。周囲からどれだけ遅れても、納得いく答えを出していく。そういう一面は決して美点とはいえないかもしれないが、欠点とも言い難い。

「周りとスピードが違うのも当然だよ。こういうことにはあんまり向かないさ」

 プロレスという一種のサービス業。派手なお祭り騒ぎが苦手そうなのは見てればわかる。別にドワーフという種族が向かない訳じゃない。ダンという男が気質的に合わないのだ。

「普通の経営者なら切り捨てて当然だ」

 時間を掛ければ適応するだろうが、それなら最初から他の人材を探した方が早い。厳しいようだが正しい判断だ。そもそも初めから彼みたいな男は雇わないだろう。もっと向いている人間は沢山いるからだ。

「だけどな、原石っていうのはそういうところに埋まってんだよ。抱えたまま沈んでいきそうな石ころも、磨きまくればとんでもない形になるかもしれない。先の事なんて誰にもわかりはしないからな」

「それってただの博打じゃないの」

「一経営者としてゴーサインは出せないな」

 呆れたまま冷静な判断を下す。店を預かる者として当然の反応だ。

「普通のままじゃ成り上がれないんだ。巨大なムーブメントを起こすためにはな」

 とりあえず旗揚げを終え、今のところは順調に興行を済ませているが、いつ飽きられるかわかったものじゃない。

 実際、全体的にはあまり乗れなかったと感じた興行はいくつかあった。初めてのことだから仕方ないかもしれないが、それはあくまでこちらの都合なのだ。客には一切関係ない。

 団体側は高いレベルを維持し、良質なものを届ける必要がある。常に満足させ続けなければいけないのだ。

 そのため経営はいつもギリギリである。いつ両輪に火が点いてもおかしくないのだが、ブームを一過性で終わらせないためにも、とことん攻めるしかない。どれだけ金が掛かろうが、色んな仕掛けを打ち、話題を提供し続ける。普通の判断など下せるはずがなかった。


「だから持ち駒をとことん活かすしかない。大穴だろが全財産をぶっこむんだ」

 ダンという男が向かないのなら、向くように仕上げる。角が取れ、ピカピカになってもひたすら磨く。こちらの手がボロボロになり、血が出ようと磨いて磨き抜くしかない。

 要は見せ方である。宝石じゃなくても、そう見えればいいのだ。実際に客が手に取ることはないのだから。

「それがああいう扱いをした理由なの」

 理屈はわかるが周囲からみれば良い待遇とは言えないだろう。

「何とかしたかったのは本当さ。担当者とも沢山相談したんだぜ。どんだけ手間暇掛けたと思ってんだ」

 原石を磨くと言っても簡単じゃない。どう売り出せばいいのか本当に悩んでいたのだ。時間を掛けて考え抜けば、解決法が見つかるというなら苦労はしない。この世界の芝居や催し物を観て、図書館で様々な本を読んだ。演習論や脚本などは恐らく現代にいた頃より勉強しただろう。

 しかしなかなか答えが出せないまま、ずるずる先伸ばした結果、『引き立て役』という立場にしてしまった。善戦マンというある種の不名誉な称号が与えられたのも知っている。困ったことにダンというレスラーの非常に適した使い方だった。

「コソコソしてると思ったら、そんなことしてたの。他に隠してることないわよね」

 FWEにはブックを考える担当やマッチメイカーが存在する。ここにいる仲間ですら顔を見こともない者もいた。

 彼らと相談しながら団体の物語を決めていた。衝突することもあるが、小次郎の頭にはないアイデアが出ることもある。自分だけでは気づかなかった発想を与えてくれることもある。

 いくらプロレスに精通すると言っても、全てを一人でやり抜くには限度があった。タスクがあまりにも多すぎる。


「曲がりなりにも自分の職場だ。どんな者がいるか、なるべく確認したいんだがな」

「そいつは待ってくれ。仕事に影響するんだよ」

 合わせても大丈夫な人間とそうでないタイプがいる。個人に深入りしすぎると変に情が湧き、鈍る者もいるからだ。人であれば当然である。完全な平等など不可能だが、なるべく公平でいたい。

「一体どこから連れてくるんですか。私にはそっちの方が恐いんですよ」

 マリアの疑問も尤もだろう。有能な人材など探すのが大変だし、普通なら簡単に雇えるわけでもない。

「そりゃ色々とな。脛に傷を持つ奴なんて、こんだけでかい町ならいくらもでもいるからな」

 情報はジャックや他の人間からも得ている。常にアンテナを張り続け、表の世界だけなく、必要なら裏の世界からも引っ張ってくる。一筋縄じゃいかない連中、いわゆる変人の類いでもどう使いこなすかだ。

 そのために金や接待が必要なのだ。これも経費といえるだろう。

「経営が傾くわけだな。節操がないにもほどがある」

「何言ってんだよ。有能な人材は必要不可欠だろ。歴史に名を遺す英雄なんて人材コレクターが多いじゃんか。マスターだって人を雇うだろ」

「破産と引き換えにはしないぞ。そもそも信用できるのか?」

「清濁併せのむ度量が必要なのさ。勇者だって同じ事をしてただろ」

 軽く調べた範囲でも有能な人材を引き連れていたのがわかった。それだけ人材を活かす術を心得ていたのだ。己が目立つためにとことん利用する。勇者の恐ろしいところである。

「お腹壊してもしらないよ。いや、どうせならそっちのほうがいいかも。中身が見れっから」

 ポンポンと腹を叩かれる。半ば本気で言ってそうだから性質が悪い。


「力不足は素直に認めるさ。俺たちもまだまだだ」

 反省はしている。後悔もしている。もっと上手くやれたのではともどかしくなる。己の無能さが本当に腹立たしい。この件に関しては担当者も悔しがっていた。

「だけどようやく絵ができあがってきたんだ」

 転機が訪れたのはラジオの件である。前々からジャックに相談していたのだが、本当に話を持ってきたのだ。一も二もなく飛びついた。

 問題は誰にパーソナリティを任せるかだが、小次郎の頭にはすぐにダンが浮かんできた。服飾関係に詳しいし、好きなことはとことん語れる。ハマるのではないかと直感した。強面のレスラーがパーソナルな部分を話して、ファンに受け入れられているのは現代でも見られた事例だ。

 もちろん周囲から懐疑的な目で見られた。不器用で上手く喋れそうにないのは、端から見てもわかるからだ。そういう目を振り切ってダンを抜擢した。ほとんどゴリ押しに近い。

「本当にヒリヒリしたぜ。これだから止められないな」

 上手くいく自信はあったが、成功が保証されている訳ではない。この判断が全てを台無しにするかもしれない。これも博打みたいなものである。普通の経営者ならやらないだろうが、ここは全てを振り切り、進むしかない。

 企みは見事に成功し、ダンも一皮剝けることができた。だが全てが思い通りになるのではない。小次郎ですら予測しなかった副次的な効果をもたらした。

ファンができるとは思ったが、まさかああいう形になるとは思いもしなかった。手芸教室など想像もしていない画だった。

「嬉しかったよ。なんか、こう、グッときた」

 楽しそうにしている姿を見て、心からそう思えた。ダンに協力したのも純粋に上手くいって欲しいと思えたからだ。大切な仲間だからこそなるべく力になりたい。

「ガジャドラスと再戦させるのも本気だったからな」

 この話を持ち込んだとき、こんな展開に持っていこうなどと夢にも思っていなかった。対戦相手のガジャドラスにも了承を得ていた。本当に土壇場で引っくり返したのだ。


「じゃあなんであんなことしたの」

 ドリトスが純粋な疑問をぶつけてくる。マイペースだが鋭いところのある彼女ですら思い至らない。話を聞いても納得がいかないのだ。

 むしろ事情を知れば知るほど、余計にわからなくなっている。他者からすれば行動と思考が噛み合っていないように感じるだろう。全てが上手く回り始めたものを、下手にぶち壊す必要がないからだ。

「役者の中にはさ、よく役に取り憑かれたっていう奴がいるだろ。あれってあんまり共感できなくてさ」

 全員が疑問符を浮かべながら、顔を見合わせる。話の内容が結びつかないからだ。小次郎は構わずに続ける。

「だって段取りを進めるには、必ずどこかで冷静にならないといけないだろ。舞台だろうがカメラの画面だろうが変わらない。流れや段取りは大方決まってるんだからさ」

 殺陣など尤もなものだ。倒すべき敵と戦う場面で本当に役に入りきってしまったら、段取りなど守らないのではないか。ましてや相手が憎むべき敵という設定なら、余計に実行できそうにない。

 だから演じながらもどこかで理性的な一面を持ち続ける。本当に役のまま考え、役の気持ちだけで動いていたら、監督や脚本家の決めた流れに逆らい続けることになるのではないか。お話として成立しない恐れがある。全編アドリブで動く演目など場所が限られている。

「だから集中力が上がってそういう風に感じるのかなって思ってた。スポーツ選手とかと変わらないよ」

 ゾーンに入るという状態に近いかも知れない。極限まで集中することで、演じる役と一体になったような感覚を得る。

「環境や場所も影響しているかもな。お前たちも少なからず経験あるだろ」

 多くの人間に注目される状況。絶えず耳目に晒される状態。非日常の世界という点では、舞台やリングに大きな違いはない。

 頭のタガが外れ、異様な高揚感が不可能を可能にさせてしまう。普段からは考えられないこともやれてしまえる。言えないことも言えてしまえる。

 あとで振り返ると人格が変わったような印象すらある。そういう現象が役と一体化するということで、本当に役だけの気持ちで動けるものではない。どれだけ役に近づいても自分というものは切り離せないし、現実に侵食してくるものではない。

 色んな事例を見聞きした小次郎が出した結論だった。


「だから何が言いたいのよ?」

 全員がもどかしそうにしている。話が未だに掴めないのだ。

「何となくわかったんだよ。役が憑依するっていう感覚がな」

 役者の説明がどこか抽象的になる理由がわかる気がした。こればかりは長々と説明しても他人に理解されないし、なかなか共感を得られないだろう。全ては己の感覚で起こること。他人からすれば勘違いしているだけと思われても仕方ない。

「難しい話はこれでいいだろ。あんまり続けてたら頭が痛くなる。兎にも角にもやっちまったんだ。これで次の試合はもっと盛り上がる。それで充分だろ」

 これ以上は要領を得ない。他でもない小次郎自身も、あのときの体験を上手く言葉にできないのだ。今でも夢を見ているような気分なのだから。


「やっぱりこいつおかしいわ。ぶっ飛んでるとかいうレベルじゃない」

 天を仰ぎながら匙を投げる。事情を知っても納得いくかは別の話だ。

「せっかく長々と話したのに最後はそれかよ。ずいぶん短絡的に結びつけるな」

「だって一番わかりやすい結論ですから。正直、他に言い様がないというか」

「今更じゃん。医者に診せても手遅れだし」

 頭をがしがし叩いてくる。ちょっと痛いのはドリトスなりに怒っているのかもしれない。

「だから最大限手を打っただろ。俺だってリング下の被害はなるべく抑えたいんだ」

 あの日、燃やしたのは生徒たちの作品ではない。似た色合いの物に予めすり替えておいたのだ。作品を見る機会は何度もあったので、何とか揃えることができた。足りない分はわざわざ作品に似せて作ったのだ。おかげで中々の費用と手間が掛かってしまった。本当にギリギリと言えよう。

「流石にダンちゃんもわからなかったみたいだしな。目論見通りだよ」

 普段ならともかく、あの異常な状況なら気づかないのも無理はない。それだけ必死であり、心に訴えたからだ。人を騙すのは状況や環境にも大きく影響する。何てことない嘘もやり方次第で信じさせることができるのだ。ほとんど詐欺の手口である。

 もちろんデパート側にもちゃんと根回しをやっておいた。襲撃時間を正確に伝え、都合の良い言い訳もこちらが考えた。買い物客にも一切手を出していない。

 あくまでイベントの一環として話を通したのだ。公的機関や警備員、店の人間が止めに来なかったのはこのためである。

「誰も真実には気づいていないのさ」

 事件の後はデパート側にも同情が集まり、客が増えたらしい。あれだけの人間がいても裏があることを見抜けなかった。それだけ襲撃が真に迫っていたということだ。

 困惑しているのはむしろ生徒たちだ。自分たちの作品は無事なのに、世間は異常なまでに盛り上がっているのだから。しかし彼らが声を上げたとしてもかき消されるだろう。

「人間なんてより面白い方を求めるからな。試合まではずっとこんな感じだよ」

 マスコミはそういう風に流れを作っているし、頼まなくても人々が憶測を重ね、事件を大きなものにしていく。わざわざ派手な宣伝をする必要はない。


「狙いはわかりましたけど・・・・・・肝心のダンさんはどうするんですか。未だに連絡が付きませんよ」

 ダンが失踪してからどれくらい経つだろうか。最後にビルタニアスが店で見たらしいが、その後は誰も姿を見ていない。勤務店やラジオは当然休んでおり、手芸教室もしていない。

 文字通り連絡が取れないのだ。この町から姿を消している可能性が高かった。

「試合の日時は知ってるよ。前に伝えたときと変わってないからな」

「来ないなんてことはありませんよね。というかそっちの方が圧倒的にありそうなんですけど」

 後になって大方の事情を察したはずだが、果たしてどんな想いが去来したのか。いくら本物に手を出していないとはいえ、彼の心を傷つけたのは紛れもない事実である。冗談でしたではすまされない。

 常識で考えれば、全てを放棄してもおかしくなかった。付き合っていられるかという感覚だ。


「絶対に来るよ。俺をぶちのめすためにね」

 はっきりと言い切る。絶対の信頼が込められていた。

「試合を放棄すれば、俺に一番ダメージを与えられる。ある意味、一番の復讐だね。これほどの痛みはない。だけどそれはしないさ。賢い男だからね」

 目の前の面白さのためにここまでの事をした男だ。メインデッシュである試合を成立させるためなら、文字通りどんなことでもやる。あり得ないと思いつつも万が一の可能性は捨てきれない。ダンの視点で見れば、そう考えるはずだ。

「今すぐ捕まえた方がいいかしら」

「早まるな。俺だってリングの下にいる人間には被害を出したくない。あくまでいざとなったらだ」

 半ば本気の口調だったので慌てて制する。なるべく犯罪行為に走ることはしたくない。罪を背負うリスクを考えるだけではない。

 偽物や虚構をどこまでも本物に見せる。事実よりもリアリティを出す。

 それこそが小次郎の理想だからだ。襲撃だってギリギリ犯罪ではない。周囲に実害を出さずに、それ以上の効果をもたらす。一番スマートなやり方だ。

 実際に犯罪を起こすのは、本当に最後の手段である。

「ダンは傷ついたじゃない。身体も心もね」

「そればかりはな。関係者ということで諦めてもらうしかないな」

 心は痛むが糧になってもらうしかない。全ては好い試合をするためである。

「コジがわがままなだけじゃん」

「否定はしないよ。俺が巻き込んだのは事実だからな」

 ドリトスの言葉は核心を突いている。利害は一致しているが、プロレスという形で押し通したのは小次郎だ。観客を喜ばせるという目的も、自分には関係ないと他者に言われればそれまでである。

 どこまでも自分勝手でやりたいことを優先させる。最悪の人間に映っても当然のことだ。


「戦うことで皆を守れるんだ。戦士の誉れだね」

「自分で仕込んでおいて、どの口が言ってんのよ」

「これほど見習いたくない信頼関係は初めてですよ。ダンさんが不憫です」

「泥水の中で殴り合ってるようにしか見えんな」

 各々に思うことはあるだろうが、とりあえずは納得してくれた。最悪袋叩きにされ、簀巻きにして放り出される可能性もあったのだが、実に優しい者たちである。ストレスを溜めなければいいのだが。

「心配しなくても思いきりぶっ飛ばすよん。スパーリングをお楽しみにね」

 いつもと同じ微笑みを浮かべるドリトスが妙に恐かった。困ったことに全員がやる気満々になっている。納得はしても許すのはまた別問題である。

「それはそれ。これはこれだな。自分が招いたことだし、同情の余地なしだな」

「し、試合には残すなよ」

「己の頑丈さを祈りなさい」

 無慈悲な宣告を出す。余計なダメージは残したくないが見逃してくれそうにない。果たして五体満足で帰れるだろうか。試合と同じくらい大変そうだ。

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