第38話 騒動の後で


「何してくれてんじゃ、このボケが!」

 頭の上から激しい怒声が届く。目を向けると顔を真っ赤にしたアルコが立っていた。よほど急いで来たのだろう。額には玉のような汗が滲んでいる。

「逆さまで見ると印象変わるな。今度グッズで販売してみるか。引っくり返すと絵柄が変わる仕組みのやつを」

 腕を組みながらほくそ笑む。首だけでブリッジをしているのだが、この勢いだと首ごと蹴り抜いてきそうだ。

「言っとる場合か。なんでそんなに呑気なのよ」

 ここ何日かはアルコたちの前に姿を見せなかった。ようやく見つかったと思えば、この騒動だ。こんな剣幕になるのも納得がいく。

「盛り上がっただろ。これで観客が押し寄せるぞ」

 事件は瞬く間に拡散し、知名度はうなぎ登りになっている。狙いは大成功といえる。

「今、この町で一番ホットな話題だもんね。どこいってもこの話で持ち切りだもん」

 腹の上にはドリトスがおり、のんびりとコーヒーを啜っている。他人の腹に乗っているとは思えないほどくつろいでいた。

「零したら殴るぞ」

「鍛錬が足りないだけっしょ。あたしのせいじゃないもん」

 勝手に乗ってきてこの言い草である。相変わらずマイペースだった。何となくコーヒーを零したがっているように見えるのは気のせいだろうか。

「最近妙に大人しいと思ってたけど、まさかこんなこと企んでいたとはね。完全に騙されたわ」

「人聞きの悪いこと言うな。別に嘘なんてついてないだろ」

「ええ、そうね。私たちは何も知らなかった。だから驚いてんのよ」

 今回の襲撃事件は秘密裏に行われ、限られた者以外には一切の情報を漏らさなかった。同じ団体に属していながら、自分たちの与り知らぬところで大事件が起きていたのだ。アルコたちからしたらまさに青天の霹靂だろう。


「わ、私は犯罪に等しい行為に加担してしまった」

 マリアが頭を押さえながら、ガタガタと隅っこで震えている。色々と準備を手伝ってもらったのだが、当然のように詳しいことは話さなかった。まさかこんなことになるとは夢にも思わなかったのだろう。

「本当に助かったぜ。お前が手伝ってくれなきゃ成功しなかっただろうな。ありがとな」

「や、やめて」

 心から感謝の念を伝えたのだが逆効果だったようだ。ますます罪悪感で押し潰されそうになっている。

「別に気にするなよ。やったのはあくまで俺なんだぜ。秘書の私は何も知りませんでしたって、しれっとしていればいいだろ」

「そんな面の厚い人間ばっかりじゃないのよ」

 確かに負傷者は出なかったが、世間を騒がす事件であることに変わりない。そんなものに関わったと思いたくないのだ。知らんフリできるほど器用な人間でもない。

「お父さん、お母さん。私はなんて親不孝を。せっかくこっちの学校に入れてくれたのに」

 力なくぶつぶつと呟いている。さながら田舎から上京してきた女の子が、知らないうちに借金を背負わされている姿に似ていた。

「だから今更だろう。あれだけ大胆に暴れてんだからさ」

 現在マリアはラブボディというリングネームで悪役軍団の手伝いをしている。彼女が試合をすることはないが、セコンドとしての仕事は見事に果たしていた。

 悪役の秘書という性質上、少し過激な衣装を着ることもある。あっちのほうがよほど両親や学友に話せないことに思えた。

「そ、それとこれとはまた違うんですよ。というかあなたが勝手にやらせたんじゃないですか! 少しは責任取ってくださいよ!」

 強い口調で文句を叩きつける。練習場がビリビリと震えた気がした。よほど腹に据えかねていたのだろう。溜まっていたものをいくら吐き出してもすっきりしない。

「吠える元気があれば大丈夫だな。どれだけ悪く言われても乗り越えられるぞ」

「誰か武器取ってきて! 私がおかしくなる前に!」

 心からの励ましは逆鱗に触れたらしい。涙混じりの絶叫を無視して、ひとまず練習を中断する。これ以上は話を聞かなくても良いだろう。アルコが慰めているし、マリアのことは放っておいても問題ない。


「うん。良い配分だ。流石だね」

 ビルタニアスに作ってもらったドリンクに舌鼓を打つ。砂糖や塩、果汁などを水に混ぜ合わせたもので、ようはスポーツドリンクもどきだ。

 何となくどういう飲み物かを伝えただけだが、ちゃんと仕上がっている。実際に団体のレスラーたちにも喜ばれていた。

「今度店でも出してみようよ。上手くいけば大量生産もできるし、出張販売もできるからね」

「もう少し味を詰めたいがな」

 飲料水ならグッズよりも手軽に作れる。スポーツドリンクなら一般人にも需要はあるし、団体の利益に繋がることは何でもやっておきたい。

「あとはプロテインだな。何が足りないんだろ」

 この世界に来たときから着手しているが、こちらは中々上手くいかなかった。材料の調合は上手くいっている。今までいくつも試作品を飲んできたが、効能があったことは何となく実感できた。筋肉量は衰えていない。

 問題はやはり味である。どれだけ試しても未だに解決できなかったのだ。実験台になる日々はまだまだ続きそうである。現代のプロテインは本当に美味かったのだ。

「店長も探してみてよ。タンパク質が補給できるなら何でもいいからさ」

 別にプロテインに拘る必要もない。ようは必要な栄養を手軽に補給できればいいのだ。そんな都合の良い物が、この世界にあるのかはわからない。


「別に構わんが、今はそこじゃないだろ」

 ビルタニアスが重苦しいため息をつく。顔色はあまりよくなかった。

「フォローくらいちゃんとしてやれ。正直見てられなかったぞ」

悲しそうに顔を振る。誰のことを言っているのか問うまでもない。

「お前はどういう意図があった。何を考えてあんなことをしたんだ」

ここにいる全員の耳目が集中している。聞きたいことは一致しているのだ。逃亡しようものなら首根っこを掴んできそうな雰囲気だった。

 この練習場にはお馴染みの面子しかいない。裏のことも気兼ねなく話せる。


「目的なんて最初から決まってるよ」

 誰も彼も大仰に考えすぎなのだ。

 怨恨説に金銭説、ただの愉快犯に女性関係で揉めたなんて噂も聞いた。世間はやたらと憶測を重ねているが、笑いが止まらなかった。

こっちが仕向けたとはいえ、勝手に勘違いして盛り上がってくれるのは楽でいい。いちいち燃料を投下しなくてすむ。

「ダンちゃんを売り出したいだけさ」

 どれだけ問い詰められたところでこれしかない。あまりにもシンプルでわかりやすかった。

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