第41話 作り出したモノ


 それは天から降りてきたものなのか。はたまた地の底から湧き出したものか。

 たまたま町を歩いてとき、一つの画像が鮮明に脳裏を打った。あまりにも唐突に浮かび上がったのだ。

 呼吸を忘れ、足が震え、時が止まる。何か喋りたくても、声帯が切り取られたように声が出ない。

 運命なんてものを安易に信じていない。ドラマチックな展開は考えて作り出すものだと思っている。

 それでも人知を超えた瞬間は確かに存在する。

 あまりにも不思議で、どこまでも不可解で、己にも予期できない。見えない脚本に操られたと錯覚してしまうほどだ。

 そうでなくては都合が良すぎる。何故ならば。

 (どうして、俺は・・・・・・忘れていたんだ)

 昭和プロレスファンなら一度は聞いたことがあるだろう。今でもプロレス史に燦然と刻まれている。


『新宿伊勢丹デパート襲撃事件』

 アントニオ猪木が、敵対していたレスラータイガージェットシンに襲われた事件だ。

 事件の不可解さから裏で仕組まれていたのでは、と後になって勘ぐられた。あるいは猪木にだけ秘密裏に行われたとも言われている。真相は闇の中だが、当時のファンたちは本気で襲われたと信じたはずだ。この事件は団体と両レスラーにとって間違いなく転機となった。

 もちろんやり過ぎだという声もわかる。確かに褒められるやり方ではないかもしれない。リングの下で起こした事件。世間様を巻き込み、迷惑を掛けたという点は正しいからだ。

 小次郎には行動の是非を問うことはできない。

 彼らを駆り立てたのは何か。何がそこまで決意させたのか。

 胸に抱いていたのは希望や理想だったのか。成功することを確信していたのか。輝かしい未来を夢見たのか。

 あるいはどこまでも追い詰められた起死回生の一手だったのか。悲壮感を抱いて実行したのか。自分たちを取り巻く絶望感から形振り構えなくなったのか。

 ある程度の事情や心境を推測できる。何年も経てば関係者から様々な証言が上がっているからだ。彼らの置かれた状況を鑑みれば、行動や動機にも納得できた。

 それでも真の気持ちや想いなどは、やはり当事者にしかわからない。あの瞬間は紛れもなく彼らだけに見えた気色なのだ。

 あれこれ好き勝手に言えるが、所詮は傍観者の意見に過ぎない。こればかりは同じ時代を生きていなければ、完全に理解するのは難しいだろう。

 だから大事なのはただ一つ。

 先人たちは行動を起こしたのだ。成功する保証などないのに。

 そして今、自分が同じような事態に直面しているということ。


(なぜだ。どうしてなんだ)

 当然知っている。だというのに今の今まで本当に頭から抜け落ちていた。これだけ連想させる材料が揃っていながら、頭の中を掠りもしなかった。

 しかし頭に浮んでしまったのなら、もう忘れたフリはできない。嫌が応にも頭が動いてしまう。


「一つの絵を完成させるために」


 どれだけ受け入れまいとしても思考は止まってくれない。心と頭が切り離されたように別々に動いてしまう。心も脳から生まれるものだと科学者は言うが、このとき間違いなく別々なものだと感じていた。

(いや、待て。それはない。流石に無理だろ)

 デパートへの根回しに集めるべき人材。使用する道具と掛かる費用。一般人を巻き込まない場所の確保に所用時間。やるべきパフォーマンスと観客の反応。

 己を諦めさせる材料を次々と並べていく。問題点はいくつもあり、簡単に解決できるものでもない。成功する可能性は低く、あまりにも無謀すぎた。

 逆に言えば、並べた不安材料さえ何とかすれば、絵は完成するのだ。決して手が届かないと諦めるべきものではない。

 頭の中で筆が走り出し、バラバラに散らばっているピースが嵌まっていく。まるで関係ないように見えた一つ一つの点が線で繋がり、最高で最悪のブックが出来上がろうとする。


(だから止めろ! もういいんだ!)

 この世界でプロレスを広めるためなら、どんなことでもする。

 犯罪すれすれなこともしてきたし、借金だっていくらでもしてきた。自分の命だって天秤に乗せられたし、人間性を外すことも厭わない。

 今でもその覚悟に偽りはない。

 だが、いくら何でもこれはあんまりだ。

 仲間であり、友人でもあるダンに最悪の傷を負わせることになる。仮に実行するなら、事前に打ち合わせや相談をするという選択肢はない。

 ダンだってプロレスラーだ。こういうブックやアングルは初めてではない。ケンカのようなやり取りもファンの前で行わせた。それらは事前にある程度の打ち合わせをしていたし、段取りも説明していた。

 しかし、このアングルはこれまでとは比較にならない。

 何しろ彼の大切なものに手を出すのだ。とてつもなく真に迫るものにしなければいけない。ただでさえ不器用な男である。この件で打ち合わせをしたら、必ずどこかでボロを出してしまうだろう。全てをリアルタイムで行う必要がある。

 だからこそ彼の痛みは筆舌に尽くしがたいものとなる。

 破り捨てるのが偽物だからといって許されるわけがない。生徒の作品を利用するのは紛れもない事実。ダンたちが築いてきたものを踏みにじり、泥をかけるようなものである。

 客を盛り上げるためという言い分も納得してはくれないだろう。団体に所属しているとはいえ、レスラーはあくまで個人事業主だ。一人一人に譲れないものがあり、胸に抱いているものがある。それは自らを構築するものであり、不用意に手を出せば、ぶつかり合うしかない。


(そうだよ。そこまですることはない)

 瀬田小次郎個人としても、このアングルは本意ではない。皆が教室で楽しそうにしている姿は胸に刻まれている。

 落ち着いて考えれば、どれだけ無理であるかがよくわかる。成功する確率は限りなく低いのだ。騒動を起こした後で、ダンが立ち上がれる保証もない。思った通りに動いてくれなきゃ全てが水泡に帰す。

 それなら初めからやらない方が遙かに良い。賢明な判断というやつだ。当たり前のリスク回避であり、普通の経営者なら何も間違いはない。

 所詮は頭の中でしか描いていない絵図。己に都合が良い妄想を並べているにすぎない。一枚の宝くじに期待するようなレベルと変わらなかった。甘い夢に酔っているだけで、現実味など欠片もない。

 ガジャドラスとの対戦だけで充分客は盛り上がる。想定通りに事は進むのだ。わざわざ嵐に飛び込むことはない。

 わかっている。わかっているのだ。充分なほど理解しているのだ。

 ああ、だというのに、どうして――。


(くそっ、何でなんだよ)

 どうして足が動かないのか。何かが強烈に阻んでいる。

(たのむ、頼むよ。うごいてくれ!)

 進みたい道を歩ませてくれない。背中に感じる静かな圧力。

 それは確かに「ここ」にいる。

(見てはいけない。見ちゃダメなんだ)

 どれだけ心が拒絶しても、肉体が反応しない。待っているのは獣道だと充分すぎるほど理解している。

(それでも・・・・・・そうだとしても)

 振り返ってしまう。はっきりと見てしまう。

 己が作り上げたモノ。この世界に誕生させた存在。


 最凶の悪役 ゲドキングの姿を。


 人々が行き交う平穏な町中で、彼は静かに佇んでいる。誰にもその姿が見えていない。己だけが認識している。一つも口を動かさないのに、うるさいくらいに叫んでいる。


「観客を盛り上げろ」


 どんなに耳を塞ぎ、目を瞑り、口を閉じても、その声が消えることはない。錯覚でもなければ、幻聴とも思えなかった。

 ゲドキングはただの虚像だ。

 この世界に来て、必要に駆られたから被ることにした仮面である。現代にいた頃から、こういう悪役をやろうという確固たる想いなどない。

 昔から色んなプロレスや様々なレスラーを見てきた。映画や漫画などのフィクションにも触れてきた。己が接してきたものから、何となく作り上げた悪役。いわば都合の良い存在に過ぎない。本当ならいつでも脱ぎ捨てられるのだ。現実に侵食してくるなどありえない。

 だというのにそいつは確かに「ここ」にいる。

 あやふやで何の形もなかったものが、こんなにも巨大な実態を伴っている。肉を持ち、血が通い、一個の生命として鼓動していた。


「それは何故か。どうしてなのか」

 ゲドキングは自らの信念、真実を体現するからだ。作り出された存在だからこそ、ひたすらに瀬田小次郎の目的を実行する。

 ではその真実とは何か。

 今更問われるまでもない。

 どんな時でも、どれだけ時間が経とうと、世界が何処だろうと変わらない。ずっと己の中にあり続けるものだ。


(なるほど。確かに上手くいく可能性は限りなく低い。だけど)

 これが成功すれば間違いなく面白くなる。より人々の心に訴えられる。彼らがどんな反応を見せるのか。想像するだけでワクワクが止まらない。

 そのためならいくらでも誹られ、憎まれ、嫌われてもよい。外道に落ち、非道を行ない、どれだけ他者を苦しめ、傷つけても構わなかった。

 日和ることなど許さない。妥協など認めない。立ち塞がる壁は乗り越えるべき試練。僅かにでも光明が見えるなら、進まないのは足を折るための言い訳にすぎない。

 観客たちに狂おしいほどの絶望を与え、最高の幸福をもたらすためならば、どんなことでも実行できる。

 ゆっくりと歩みを進める。己の道など初めから決まっているのだ。

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