第36話 二つの報せ


「それで話とは何じゃ。良いことか、それとも悪いことか」

 このままではいつまでも本題にいけそうにないので、ダンから切り出す。個室を用意しているので他人に聞かれる恐れもない。

「どちらとも取れるかな。次の試合が決まったよ」

 にっこりと微笑みながら、お茶を飲み干す。

「舞台はファイナル。ガジャドラスとの再戦だ。もちろん勝つのは君だよ」

 どくんと心臓が跳ねる。ひりつくような喉の渇き。胸の中が冷たくなり、目の痺れに何度も瞬きをする。小次郎の言葉は耳の奥まで響いていた。

「わしにできるのか?」

 再戦までは何となく予測できたが、ファイナルを任されるとは思いもしなかった。そんな大舞台で戦うのは当然初めてである。同じ試合でも緊張感がまるで違った。

「はっきり言って無謀じゃぞ。周囲が納得するとは思えん」

 善戦はするがどこかぱっとしないレスラー。人を惹きつけるような華やかさや強さを持っていない。カリスマ性なども皆無。直近の成績やファイトだけを見れば、とてもじゃないが大舞台とは結びつかないはずだ。観客からも「何故」と疑問視されるだろう。

「だろうね。前評判や期待値は低いはずだ」

 包み隠さずに話す。こういうときに誤魔化すことなどしない。

「チケットが売れないってドヤされたよ。うるさいったらありゃしない」

「いや、当然の反応だ」

 舌を出して、渋い顔つきをする。とびきり苦い葉や草を全て口に含んだみたいな顔だ。恐らく相当絞られたのだろう。

「そういうもんを引っ繰り返すから面白いんだよ。先の読めない驚きと意外性がプロレスの醍醐味じゃないか」

「リングの下でもやられたらたもったもんじゃないぞ」

 FWEにはダンたちが知らない職員もいる。大抵は小次郎が連れてきた者たちだが、団体が上手く回っているのも彼らの活躍が大きい。無茶や無謀はするが、一人で突っ走るだけではないのも小次郎である。任せるところは任せる男なのだが、この調子では相当振り回しているはずだ。

「今のダンちゃんならできるさ。期待を背負えるレスラーだよ」

 闘う自分よりも確信を得ている。相も変わらず、どこからくるのかわからない自信に満ちていた。他人に勇気を与え、不安にもさせる。絶望を用意し、希望をもたらす。

 こういうモードに入った小次郎の本心を見抜くのは難しい。リングの下でもプロフェッショナルとして振る舞っているからこそだ。


「了解した。やれるだけやってみよう」

 不安はある。恐怖もある。緊張がなくなることはない。

 だが不思議なことに断るという選択肢は浮かんでこなかった。以前では考えられないことである。

 幾つもの声が恐れをかき消してくれる。小さなものが寄り添い、逃げ出そうとする足や震える肉体を支えてくれる。浮かび上がる近しい者たちの顔。

 そういった全てが己の力になっているのだ。他人に見えなくても確かに感じている。

「本当にどこまで見えていたのだ」

 純粋な好奇心からくる疑問だった。ラジオの話を持ってきたときから、自分がこういう状態になることを計算していたのだろうか。だとすれば、どこまで絵図を描いていたのか。

「さて、どうだろうね」

 何かを見通しているようで、何も考えていないようにも見える。全てが計算のようで、ただノリと勢いで突っ走っていただけに思える。不敵に微笑む姿は悪魔すら欺くだろう。

「細かいことはどうでもいいさ。ダンちゃんが良い試合をすること。これが一番大事なことだよ」

 小次郎の言う通りである。どんな策謀や思惑があったにしろ試合は目の前に迫っている。そこで結果を出さなければいけない。


「それともう一つ。こいつも朗報かな」

 力強く人差し指を立てる。

「今度デパートで服や編み物の展示会をすることになったんだ。そこにダンちゃんたちの作品も飾らせてくれないかな」

 初耳だった。ある意味試合の発表よりも驚いたかもしれない。

「別にプロ並みの作品を求めてる訳じゃない。子供やご老人でも参加できるものさ。なるべく多くの人に参加して欲しいんだって」

 どうやらそこまで大規模なものじゃないらしい。本当に内輪で盛り上がるものみたいだ。

「俺の世界でも子供の作った工作や、描いた似顔絵とか張ったりしてたよ。ようは地域の活性化ってやつだね」

 あのデパートは老若男女を限らず、多くの人間が訪れる。市民の触れ合いということを考えれば、有名な作品よりもそういうものが喜ばれるだろう。

「これも需要というやつか」

 より高級な店や位の高いデパートは他にもある。大きなイベントしたいときはそういう店を使えばいいのだ。

「名前を出す必要もないよ。優劣をつける場じゃないし、順位を競うものでもないからさ。あくまで自由参加だから、気軽に参加者を募ってみてよ」

 生徒の中には事情があって、身分や名前などを表に出したくない者もいる。単純にこういうイベントに参加する勇気の持てない者もいた。

 それでいて周りの感想や反応を見たいというのも正当な欲求だ。そういう者には非常に助かる配慮である。

「まさかお主が通してくれたのか」

 こういうことに詳しい男である。生徒たちの事情を知って、デパート側に話を持ち掛けてくれたのかもしれない。

「そんなことできるなら、俺はとっくの昔に大金持ちになってるね」

 いくら地域のデパートといっても、こういう話を決定するにはそれなりの権力がなければいけない。

 新進気鋭の貧乏団体には無理な話だ。しかも厳密に言えば、小次郎は団体の代表ではない。とんでもないことを何度もやっているので勘違いしそうになるが、あくまで特別役員という立ち位置だ。

 一人の力など限られている。どれだけムーブメントを起こしていても、彼はまだ小さい存在だ。

「礼はデパートの社長に言ってよ。宣伝はラジオで大々的にやってね」

 どこまで関与しているのかわからない。この雰囲気では聞いたとしても、煙に巻いてしまうだろう。ひょっとしたら照れくささもあるのかもしれない。他人に感謝されることなど苦手そうな男だ。

「気合いを入れてよ。今月は忙しくなるよ。面白いことが山ほどある」

 今は感謝の言葉を内に秘める。全てが終わって一段落した後で、酒でも奢ってやればいい。その方がきっと喜ぶだろう。



 こうして誰もが、話している本人たちですら次の対戦カードを信じて疑わなかった。

 しかし往々にして予測のつかない事は起こるものである。

 プロレスは驚きと意外性。その魅力に客だけなく、当事者たちですら飲み込まれようとしていた。

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