第35話 教室


「どうしてこうなった」

 思わず天を仰いでしまう。目の前の状況を受け入れることがいまいちできない。このところ本当に予想できないことばかり起きているが、限度というものがあるだろう。

 広間には十数人ほどの生徒が編み物や刺繍をしていた。中には器具を使って服を織っている者もいる。種族や性別はもちろん、年齢もバラバラである。

 最初はマルコだけに教えるつもりだったが、どこで聞きつけたのか自分にも教えて欲しいと言ってきたのだ。仕方なく許可を出しているうちに、気づけばこれだけの人数になっていた。おかげで今は手芸教室みたいな形になっている。

 生徒の反応も様々だった。積極的にアドバイスを求める者もいれば、黙々と自分の作業を続けるだけの者もいる。欠かさずに通う者もいれば、決まった日や時間にしか来ない者もいた。中にはほとんど喋れない子もおり、何かしらの事情を抱えているのは明らかである。その子の親には感謝されたくらいだ。

 そういった個々の事情に深く踏み込むつもりはなかった。場所や時間だけ決めておき、自由に参加すればいいのだ。元から使用料などを取るつもりはないし、商売にする気もなかった。

「先生、ちょっと見てくれませんか?」

 作業を止めて、無邪気に問いかけてくる。慌てて思考を戻した。

「ここはこうすればよい」

 生徒から作品を受け取り、ほんの少し手直しをする。生徒は感嘆の声を漏らしながら見つめていた。

 最初は先生と呼ぶことを止めるように言っておいた。柄ではないし、そんな立派に振る舞えるとも思えなかったのだ。

 しかし生徒たちは一向に呼び方を変えなかった。断るのも面倒になったので、結局受け入れることにした。彼らからすれば、名前で呼ぶ方が緊張してしまうらしい。


「お疲れさん。調子はどうだい?」

 小次郎が部屋に入ってくる。両手に紙袋を抱えており、零れそうなほど中身が詰まっている。

「ぼちぼちといったところじゃな」

「そりゃよかった。ほい、差し入れ」

 中には菓子やお茶の葉などが入っている。日持ちするものもあり、とても助かった。

「お主がそこまでしなくてよいぞ。団体には関係ない活動じゃからのぅ」

「気にしないでよ。勝った時は景気よくいかないとね。宵越しの銭は持たないってやつだ」

 恐らくは賭博をしてきたのだろう。満面に喜色を浮かべているのを見る限り、かなりの勝利だったに違いない。

「するなとは言わんがほどほどにしておけ。アルコたちに知られたら小言じゃすまんぞ」

 普段は負けている方が遥かに多いのだ。団体の借金の他にも、小次郎個人の借金は相当な額になっているのではないか。それでいてたまに勝つとほとんど使い込んでしまうのだから性質が悪い。

「悪いのは俺じゃなくて、賭け事なんてものを作った連中だ。言ってみれば俺も被害者なんだよ」

 堂々と言ってのける。反省とか後悔などまるでなさそうだ。どうしようもない人間として見られても不思議ではない。

「終わったら時間あるかな? 話したい事があるんだけど」

 こっちがメインだろう。声のトーンから察するに、どうやら大事な要件みたいだ。

「構わんぞ。もう少しで終わるからのぅ。何なら見学していくか?」

「それじゃお言葉に甘えて」

 自分で買ってきたお菓子を食べながら、のんびりと活動を見ている。あれだけ派手な言動をするくせに、邪魔にならないよう存在感を消しているのは流石だった。生徒たちも気にしている様子はない。

 動だけでなく、静にも対応する。誤解されやすいが気遣いのできる男ではある。それでいて人の心を平然と踏みにじりもするのだから、本当に性質が悪かった。



「やっぱり緑茶は良いね。こういう店があって助かるよ」

 湯呑みを啜りながら畳を撫でる。茶屋で話し合うことにしたのだが、どうやらこの店の雰囲気や内装は小次郎がいた世界の文化に近いらしい。どこか懐かしそうにしている。

「こういうところは素直に感謝かな。勇者もわかってんじゃん」

 勇者が伝えた文化や風俗、物の製造方法や習わしは今もこの世界に残っている。クラフトアーツも勇者のアイデアを元に作られているのだ。姿を消しても、この世界では大きなウエイトを占めていることを改めて思い知る。

「故郷の匂いか」

 やはり勇者は小次郎と同じ国の出身かもしれない。小次郎の住んでいた世界も広大で、沢山の人間が住んでいる。その中で同郷の者が呼び出されるなどどんな確率だろうか。運命と言ってもいいかもしれない。

「俺の部屋にも畳を持ち込んでもらおうかな。思いきり寝転がりたいし」

「それは構わんがちゃんと金は払え。借金してまで買うんじゃないぞ。自ら首を絞めることはない」

「買ったその日に畳の上で切腹か。時代劇みたいで画になるじゃん」

 自分の腹に手を当て、横に動かす。切腹というのがどんなものかはわからないが、碌なものじゃなさそうだ。盛り上がるなら平気でやりそうだから恐い。

「介錯は頼むよ」

「やめんか。妙な役目をわしに押し付けるな」

 思えばこうして気安く話ができる相手は初めてかもしれない。決して長い付き合いではないのに、今まで知り合った者より上手くやれていた。

 同じ種族の者とはどこか線を引いてしまう事がある。アルコやドリトスは大事な友人だが、話せないこともあるし、異性ということで合わないノリもあった。

 団体に所属する相手。仕事仲間であり、リングの上では敵同士という立場。他人から見れば、どこか不思議な関係性である。


「今度教室で着物とか作ってみてよ。特徴は教えるからさ」

「また無茶なことを。ここでは作れんだろ」

 ラジオの件もそうだが、小次郎の世界の技術はかなり進んでいる。おまけに細かい設計図などもない。口伝だけで作るのはかなり大変だ。

「そこは大丈夫。着物は昔からある服だし、最新の機械とか必要ないんだ。衣装のバリエーションが増えれば、より舞台が華やかになるんだよ。ダンちゃんだってワクワクするだろ」

 確かにその気持ちは否定できない。仕事は大変だが作り甲斐はある。

 日々を命懸けで戦うレスラーにとって衣装は立派な戦装束である。彼らはほんの少しのキッカケでリングに上がれなくなる危険を秘めている。大きな怪我をすれば、以前のように戦えない恐れもあった。

 あまりにも眩く、刹那的な舞台。だからこそ己の存在を全力で誇示する。どんなときも人々の記憶へ焼き付けるために。

 そんな彼らに人々は熱狂し、惹きつけられる。輝く舞台に夢を見るのだ。

「うちの綺麗どころに着せれば客も喜ぶよ。せっかくの資源は使わないと勿体ない」

「殴られる未来しか見えんぞ」

 発想はいいし、所属する選手のことも考えている。だが己の考えや欲望を強引に押し通すことが多々ある。

 小次郎のことだ。アルコたちが拒否したところで、あらゆる手を使って無理矢理着せてしまうかもしれない。こういう悪知恵は誰よりも働く男だ。

 最後には必ず痛いしっぺ返しを食らうのだが、何度同じ目に遭っても全く懲りないのだからどうしようもない。周りからは一種の病気だと言われているが、激しく頷いてしまう。


「本当によく思いつくものだ。初めからこうなることを見越していたんじゃあるまいな」

 最初は個室で活動していたのだが、人数が増えるに連れて、にっちもさっちもいかなくなってきた。そこで小次郎に相談したのだが、本当に部屋を用意してくれた。彼の計画であったと言われても驚かない。

「買い被りすぎだよ。そりゃ色々と策を練ったりはするけど、全部が思い通りになる訳ないだろ。仏様じゃあるまいし」

 顔の前で思いきり手を振る。普段の小次郎はライブ感だけで生きているようなものである。明日のことすら考えているように思えない。

「あの部屋も元は団体の倉庫として使うつもりだったしね。空いているうちに使えたのは、ダンちゃんの運が良かったんだよ」

 どこまで計画通りかわからない。彼の頭の中がどうなっているかなど想像もできなかった。とんでもなく壊れているか、飛び抜けているかのどっちかだろう。

「こちらとしては助かるがな」

 小次郎に負担をかけすぎているのではないかと思ってしまう。今回の件もただでさえ忙しい彼に頼ってしまったのだから。

「気にしないでよ。こいつは投資みたいなもんさ。ダンちゃんのテンションが上がれば、好いファイトをしてくれるだろ。試合で活躍すれば既存のファンは喜ぶし、新規の客が来てくれるかもしれない。結果として団体の利益に貢献してくれる。ウィンウィンじゃないか」

 一つ一つの点を結ぶように、指を立てながら説明していく。一見すると遠回りに思えるが、ちゃんと団体の未来に繋がるのだ。


「俺たちみたいな駆け出しの団体は、客を引っ張ってくるならどんな機会も活かさないとね。口コミは馬鹿にできないよ」

 そういう視点で見れば、立派なロビー活動とも言える。こういう形で選手と触れ合える機会は中々ない。ファンからすればたまらないサービスだ。

「こいつはモデルケースにもなるのさ。他の選手もこういった場を作れるかもしれないだろ」

「商魂逞しいのぅ」

 前々からわかっていたことだが、改めて感心してしまう。このバイタリティはどこから生まれるのだろうか。会社のアドバイザーとしては置きたい男だ。

 無論、社長など論外である。彼を長にするなど自殺行為でしかないからだ。それがわかっているからこそ、FWEではあくまで特別役員という形になっていた。いざとなれば全ての責任を押しつけて、クビにされる立場である。

 ここまで好き勝手できるのは、そういう理由もあった。

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