第34話 小さなゲンキ
「申し訳ありません。とんだご迷惑をおかけして」
すっかり酔いが醒めたのか、小さな身体を縮こませながら謝罪する。先程とは打って変わったように静かになり、ようやく会話らしいものができた。
男の名はメイソン・ブラウン。四十代手前の中年男性だが、年齢以上にくたびれた印象を与える。外見や服装に手入れがされていないのだ。
(もう少し明るい服の方が似合うのに。髪を短くすれば清潔感も出る。いけない、いけない)
思わず浮かんできた考えを追い出す。今はファッションチェックをしている場合ではない。すっかりラジオ番組に毒されてしまっている。
「顔を上げてくれ。気にしておらんからな」
「い、いいえ。まさかあなたにこんなことをさせてしまうとは」
思わず眉根を寄せてしまう。先程からずっとこうなのだ。妙に畏まっており、介抱してくれた相手にする感謝というには度が過ぎている。こちらのほうが恐縮してしまいそうだ。
「お主はあのデパートで働いている者だろう」
その顔には見覚えがある。店の清掃員をしており、すれ違うたびに軽く挨拶はしていた。関係があるといえばそれぐらいである。今日までまともに会話をしたことはなく、名前すら知らなかったのだから。
「わしが何かしたかの? すまんが記憶になくてな」
一応今は同じ職場で働いているとも言える。収録の際に粗相を働いた可能性もあった。
「ほ、本当に何でもないんです。あなたに否なんてあるはずがない」
どうやら悪いことをした訳ではないみたいだが、こんな態度になる理由はやはり思い当たらない。
「もしよければ話してもらえんか。はっきり言って気になるぞい」
少し前の自分ならここまで踏みこむことはしなかった。おどおどしている相手へ無理に尋ねることはせず、とっくに帰っていたはずだ。
しかし今は純粋に好奇心の方が勝ってしまった。曲がりなりにもラジオパーソナリティをやってきたことが影響しているのかもしれない。
メイソンは迷っていたようだが、観念してぽつぽつと話し始める。ここまで言われたら、話さない訳にはいかなかったのだ。
それはどこにでもあるような話。至極ありふれたものだった。
メイソンはこの町の出身ではなく、もっと遠い地方からやってきた。別に特別な目標があった訳じゃない。何も成せずに、何も変わらない毎日。閉塞感しかない日常で感じる漠然とした不安。田舎の小さな村でこのまま一生を終えることが我慢できなかったのだ。
だからこそこの町に来たときは嬉しかった。村とは比較にならない規模であり、何か大きなことができるという希望が広がっていた。誰よりも自由を得ることができた。
しかし喜びが勝ったのも僅かな間だけだった。すぐに現実が襲ってきたからだ。
元々特にやりたいことがあった訳じゃない。目の前の忙しさに足を取られ、何がしたいのか考えることすらできない。その日暮らしを続けていると、やりたいことなど簡単にみつかるものでもなかった。
「ここは楽しいことが多すぎますから」
どこか寂しそうに苦笑する。
この町は非常に大きな場所だ。食事やお洒落、色町に博打、クラフトアーツの興行。田舎では到底味わえないものが揃っている。日々の慰みには事欠かなかった。
嫌なことや辛いことを紛らわせ、苦しいことから目を逸らす。それらは生きていくうえで必要なことだろう。真面目に進むだけでは破裂してしまう。
このままでは何も解決しないことも知っていた。知った上で誘惑に溺れるしかなかった。何もない自分を見たくないからだ。
「悪いのは環境だって言い続けました。自分は悪くないって思ってたんです」
誰かを責めることはできない。責任は自分になる。心のどこかでわかっていても認めることはできない。
だから何かに責任を押し付ける。周囲や社会を詰ることでしか生きていけなかった。
「気づいたらこんな風になっていました」
皺の浮かんだ手を上げる。月日は残酷なまでに流れ、気づけば年齢を重ねていた。昔ほどの活力もやる気も出ない。もちろん家族も持ってはいない。
「……帰ろうとは思わなかったのか」
悲しそうに首を振る。別に強い理由がある訳じゃない。
大きなことを言った手前、何かをしなくちゃ帰れない。みっともなくてかっこ悪い。故郷の連中からバカにされたくない。そういうプライドや見栄が彼の足を鈍らせたのだ。
何かを見つけることができないまま日々を生きている。孤独や悩みが癒されることはないが、生きていくしかない。死ぬ勇気などないからだ。
そうして職を転々としながら、あの清掃員に収まったのだ。
「つまらない話でしょう」
強く否定することもできない。慰めや同情など欲しがっていないのだ。
メイソンの身の上は悲しい過去と言えるものではない。本当に何処にでもあるような話なのだ。人並みに賢く生きて、人並みに愚かに生きた。狡いことをして、良いこともしてきた。
後悔しているのか、良しとしているのかもわからない。正しいのか、間違っていたのかも判断できない。
これは彼の人生なのだ。他人が無責任に口出しすることはできない。
だから気になるのは一つ。自分がどう関わっているのかだ。
「挨拶してくれたでしょ。名前も顔も知らない俺みたいな人間に」
思わず息が零れてしまう。あまりにもあり触れた理由だったからだ。
「たった……それだけのことで」
もちろんダンにとって男が特別な訳ではない。礼儀として挨拶しただけだ。だから相手がこんな風に思っているなんて想像もできなかった。彼の浮かべる顔はとても輝いているのだ。
「本当に嬉しかったんです」
最初はただ頷くだけだった。特別に相手をしようとは思わない。相手は荷物を卸しに来ただけの業者だ。清掃員である自分が適当に応対しても問題などない。
しかし、そのドワーフはすれ違うたびに丁寧に挨拶してくれた。
顔も名前も知らない相手。しかも厳密にいえばメイソンは店の従業員ではない。どれだけ愛想を良くしても得などないというのに。
それが嬉しいことだと気づいたのはいつからだろう。挨拶してもらうことが、たまらなく嬉しくなっていた。
「まさかその人がリングで戦ってるなんてね。胸が熱くなりやしたよ」
最初は信じられなかった。この目で見ても別人としか思えなかった。確かに見た目は厳ついが、どう見ても気質が戦士に向かない。戦いとはおよそ無縁そうなドワーフが激しいファイトを繰り広げている。しかもプロレスなどというよくわからないもので。
「あんなに声を張り上げたのは初めてでした。おかげで次の日は声が出なくて」
両目に涙を溜めながら鼻を啜る。彼にとってそれほど衝撃的だったに違いない。思い出すだけで胸が震えるほどに。
それからはダンの試合があれば、欠かさず会場に足を運ぶようになった。応援したいのと同時に心配になってしまうのだ。
「すまんの。情けない姿を見せておる」
FWEは作り物である。予め勝ちは決まっているが、その作るもので他人を感動させることができる。
でもダンはその作り物の中ですら良いファイトができているとは言えない。他人がどれだけ評価してくれても、納得できていなかった。
「そんなことはいいんでさ。一生懸命なあんたの姿を見るだけで勇気が貰えるんで」
やられても、負けても真面目に必死に戦う。どれだけ不器用でかっこ悪くても全力でぶつかる。華麗さやカリスマ性はないかもしれないが、メイソンの心には届いているのだ。これだけ真っ直ぐに語られると照れてしまう。
「長話してすいやせん。今日の事は忘れてください」
止める間もなく去っていく。少し酔いが醒めたのか歩行はまともになっていた。途中まで送っていこうとも思ったが止めておいた。
きっと個人的に仲良くなることなど求めていない。次に職場で会ったときも同じ対応であることを望んでいる。彼は特別などいらないのだ。今日という日が本当に偶々だっただけだ。
メイソンがいなくなり、再び静寂が訪れる。先程の出会いが夢のように思えたが、その言葉は確かに残っている。
今迄ずっと不甲斐ない試合ばかりやっていると思っていた。実際に手応えのあったファイトなど一度もない。
それでも誰かの力になれることができたのだ。こんな自分を応援してくれる者たちがいる。もっと応えたいと思えた。
「……やってみようかな」
帰路につく足取りが少しだけ軽くなっている。夜だというのに明るく感じた。
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