第33話 知らないこと、わかりたかったこと


 川のほとりをのんびりと歩いていく。思いがけないことを頼まれ、そのまま帰る気になれなかったのだ。

 辺りはすっかり暗くなっており、空には星が輝いている。水気を含んだ風は心地良く、気持ちを落ち着かせた。すれ違う者もほとんどいないので、思考をまとめるには丁度良い。

 マルコの熱意に応えてやりたいという気持ちはある。

 だが不器用な自分にそんなことができるのか。

 これまで仲間たちに置いていかれ、自分だけ停滞しているような気分を味わっていた。いつまでも這い上がれない。苦しくて息がつまりそうな感覚。ずっとこのままではないかという不安を常に抱いていた。

 ところがここ最近はあまりにも目まぐるしく状況が動いている。目の前の事に精一杯で余裕など欠片もない。こんな風になるなんて想像もできなかった。予測しろというのが無理な相談である。自信など持てるはずがなかった。

「こんなにでかくなったんだ」

 橋の袂に植えられていた街路樹を見上げる。この道を通るのは初めてじゃないのに気づかなかった。記憶に残っているのは、町へ初めて来たときに見たときだ。


 ほとんど着の身着のままで故郷を飛び出してから、どれぐらい経つだろうか。

鉱山や鍛冶屋の仕事を否定するつもりはない。立派な仕事であることはわかっているが、ここでずっと働く気にはなれなかった。

 自分に合わないことでもやり続ける。好きなことだけをやれる訳じゃない。仕事なら当然の事だ。色んなものを抱えながら、我慢するのも必要な事である。

 しかし理屈や道理を理解していても、いざ実行できるかは別の問題である。馴染むことはやはりできなかったのだ。

 この町に来てからの生活は忙しいものだった。珍しがられることはあったが、故郷ほど偏見の目は小さく、好きなことを仕事にして充実もしていた。もちろん辛い思いをすることもあったが、自分には遥かにマシに思えた。

 故郷を離れたことに後悔はない。あそこにいても息詰まるだけだったろう。それでも引っ掛かるものがあるのは確かだ。

 喉に小骨が刺さるように。ぬかるみに足をとられるように。無視できない何かが付きまとっていた。良い思いをしてきたとはいえないが、悪い思い出ばかりでもない。時折、酷く懐かしくなる。

 最後まで説得できなかった両親の顔は今も焼きついている。連絡もほとんどしていない。二人はどんな気持ちでいるのか。あのときどんな思いをしたのか。心のモヤモヤを晴らすことができなかった。

 ドワーフという種族の価値観や思考。己に合わないものだとしても、自分はドワーフとして生まれ、育まれてきたのだ。無価値で無意味なものだと断じることはできない。不器用だと笑われるかもしれないが、簡単に切り捨てることなどできなかった。

 だからこそクラフトアーツに参戦した。リングの上で思いきり戦う。好戦的で豪快な実にドワーフらしい姿である。争いごとは苦手だが、どんな形であれ、触れることによって価値観を理解できるかもしれないと思ったのだ。

 しかし結局上手くいかなかった。どこかで諦めかけていたところでプロレスに出会った。周囲に乗せられるままに始めたが、ようやくやり甲斐を感じ始めている。

まさか種族の価値観に馴染めなかった自分が、ドワーフらしいドワーフを演じることになるとは思いもしなかったが。


「おわっ!」

 間抜けな声を漏らして、前方へつんのめる。何かが足に引っ掛かったのだ。考え事をしていたので足元が見えていなかった。

 すぐに体勢を立て直して振り返ると、その両目が大きく見開かれた。

 一人の男が壁を背にして座り込んでいた。俯いたまま両足をだらりと伸ばしており、肩の力が抜けている。服の上からでもわかる太った腹が大きく上下していた。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 優しく肩を揺すってみる。目立った外傷は見えず、呼吸も止まってはいない。恐らくただの酔っ払いだろうが、このまま放置するのも気が引けた。わざとじゃないにしろ彼の足を踏んづけてしまったのだから。

「はい、はい。まだまだ飲めますよ。これでもあたしは強くてねぇ」

 呂律は回っているが、妙に声のトーンが高い。さぞ気持ち良いのだろう。ふらふらと上半身を揺らしている。

「こんなところで寝たら風邪を引きま、引くぞい」

 ちゃんと口調をキャラのものに戻す。不足の事態に陥ったときや不意を衝かれた以外では、何とかこなせるようになってきた。

「風はピューピュー吹いていますよ。止められやしません」

 いまいち会話が噛み合っていない。めげずに話しかけてみる。

「家はわかるか? ちゃんと歩けるか?」

「もちろんですぞ。この無敵の足で」

 顔を上げた男がダンを見つめると、動きがピタリと止まった。一瞬の静寂が訪れたかと思ったら、がたがたと震え始める。全身から汗が噴き出し、赤い顔がみるみるうちに白くなっていく。これほどわかりやすく血の気が引くのも珍しい。


「ぎぁあああああぁぁぁぁあああああああ」

 悲鳴に近い声を上げ、地面を転がる。酔っているので上手く立てないのだ。万全の状態ならとっくに逃げ出している勢いだ。

「お、落ち着け。別に取って食ったりはせん」

 何故そんな反応をするのかはわからないが放っておけなかった。こんな状態で走り出したら間違いなく怪我する。下手すれば、勢いのままに川へ飛び込んでしまいそうだった。

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