第31話 アフタートーク
「流石だね。最高に面白かったよ」
上機嫌のままお茶菓子を口に運ぶ。どれだけ食べる気だろうか。
「あとは番組のテーマ曲やジングルが欲しいな。一応楽器は用意したけど、アレだと店内放送っぽさが抜けないし」
興奮が収まっていないのか、次々と構想が浮かんできているみたいだ。こっちの都合などまるで考えていない。碌な説明もないまま次々と話を進めていく。
「だけど放送するたびに生演奏って訳にもなぁ。ダンちゃんは……そっち方面は無理だよね。どっかに借金抱えた演奏者とかいないかな。弱み握れば扱き使えるのに」
平然と悪だくみを口にする。本人は悪いと思っていないかもしれないが。
「もしくは録音機みたいなものがあればいいんだけどね。ジャックの野郎に探し」
「このアホが! 何を考えとるんじゃですか!」
ここまで溜め込んでいたものがついに爆発する。危うくテーブルを叩き割るところだった。
「バラバラになってるよ。統一しなくていいの」
ニヤニヤしながら指摘される。
「今更ですじゃよ。さっきの放送でもこうでしたじゃ」
喋るのに夢中でキャラを貫く余裕などなかった。途中から素の自分と混じり合い、口調はかなり安定していなかった気がする。好きな物を語っているとついこうなってしまうのだ。
「それはそれでいいんだよ。あの場特有のキャラになるからね。テンパり具合も良いアクセントになったし」
「聴いてる者は混乱するぞ。下手したら不快感を与えるかもしれん」
スタッフや同じパーソナリティのリエの顔が浮かんでくる。放送中は一体どんな反応をしていたのか。確かめることなどできなかった。
「受け入れてくれてるって。あんだけ楽しそうに喋ってんだからさ」
確信を込めた口調である。どこからこれだけの自信が出てくるのかわからない。本当に頭の中を開いてみたくなってしまう。
「あれはなんだ。ワシに何をやらせた?」
恐らくは団体のためになることだろうが、流石に納得いかない。せめて何に巻き込まれたかくらいは知っておきたかった。
「ラジオだよ。番組内でも言っただろ」
笑みを湛えながら告げる姿は本当に楽しそうだ。同時にとても悪そうに見える。
「俺の世界にあったものでね。電波、ようは専用のエネルギーみたいなものに乗せて広範囲に会話を届けるんだ。距離や時間のロスもほとんどなくてね。受信機さえあればタダで聴くことができるのさ」
「便利なものじゃな。さぞ重宝されていよう」
電波というものの仕組みはよくわからないが、ラジオというコンテンツは何となく理解できた。
今回は他愛無い会話を流したが、もし緊急で伝えたいことがある場合は、非常に重要な通信手段にもなる。しかも難しいことをする必要はなく、子供から老人まで簡単に聴けるのだ。小次郎の世界で大きなウエイトを占めていることもわかる気がした。
「ということは」
ここまでの話を整理すればするほど、血の気が引いていく。
「あの部屋から店に流れるようにしてあるよ。会場で使っているマイクの応用だね」
その場に突っ伏しそうになるのを必死に堪える。放送内でも似たようなことを言っていたが、どうやら比喩ではなさそうだ。あんな喋りがフロア内に響いていたかと思うと、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになる。
「ジャックに相談したら乗り気になってくれてさ。店側に許可を取ってくれたんだよ。あいつはよくわかってるよ」
怪しい男だがやはり腕や眼は確からしい。ビジネスという点に関しては、他のメンバーよりも小次郎と通じ合っている。
「店としては商品の宣伝もできるだろ。うちとしても所属選手が喋ってくれれば話題になる。ウィンウィンの関係だね」
小次郎の狙いはよくわかった。実際に手応えはあったのだろう。スタッフには手を握って感謝されたくらいだ。
「まだ決まったフロアにしか流せないのが難点だけどね。やっぱりラジオというより店内放送だな」
「そんなに難しいことなのか?」
「仕組みがわからないからね。ああいう形でやるしかないさ」
渋面を浮かべている。電波に乗せるという意味はよくわからないが、どうやら専門的な知識を要するものらしい。
「当たり前だったことをいざ自分がやるのは簡単じゃない。この世界に来た何度も思い知らされているよ」
身近にあるものには多くの技術が使われており、そこに至るまでに重ねられた研鑽の日々がある。これはダンたちにも当てはまることだった。何もないところからポンと出てくることはないのだ。
「電波の代わりになるものがあれば、町全体に流せるんだけどね」
「勘弁してくれ」
あんな会話が沢山の人間に聴かれる。想像したくない画である。恥ずかしさのあまり穴を掘りたくなった。
小次郎は不満そうに唇を尖らせているが、ダンには充分に思えた。
番組が流れていたのはカフェが入る予定のフロアだ。放送は邪魔にならない程度の音量で流れているので、お茶を飲みながらのんびり耳を傾けることができるようになる。
純粋に楽しむのも良い。読書や仕事をしながら惰性で聴いても良い。誰かと連れ立ったときは会話のタネにもできる。人によって様々な聴き方ができた。
小次郎の言を借りれば、BGMみたいなものだ。リラックスできる空間になるだろう。世界は違うが、人間の嗜好はあまり変わらない。こちらでもウケる可能性は大いにある。
問題は――。
「これで終わりじゃないのか」
「ピンポン。大当たり。ダンちゃんに任せたからね」
大袈裟に手でマルを作る。やはり定期的にパーソナリティをやらせるつもりらしい。
「正気か? 他の者に任せた方が賢明じゃぞ」
自分の不器用さはよくわかっている。今回は何とか上手くいったが、次もこなせるとは限らない。スタッフは褒めてくれたが自分の中で手応えなどなかった。
「なに言ってんだよ。団体の中で一番こういう話題に詳しいじゃんか」
「人前で喋るのは得意じゃないのだ」
小次郎たちと会話できるのはある程度付き合いが長いからだ。ビルタニアスのように会場で喋るなどまずできない。他人を楽しませる嘘も付けないし、気の利いたことを言える自信などない。
「人前じゃないでしょ。他の人は見えないよ」
リングの上みたいに大勢の者に囲まれている訳ではない。誰かの視線を気にしなくていいのは気が楽ではある。
「アシスタントともあんだけ喋れたじゃん。あの人とは初対面だよ」
「好きなことだったからだ。雑談を垂れ流していただけじゃぞ」
聴いている人間の事など意識してなかった。マイクアピールという点では失格だろう。ただ好きなことを語っていたにすぎない。
「それでいいんだよ。お笑い芸人ならともかく、ダンちゃんにそこまで求めていない。むしろパーソナルな部分を聴きたいんだ。一つのことをあれだけ熱を持って語っていれば、客としては気になるもんさ」
本人に手応えなどないが、小次郎は違うみたいだ。自信の根拠が知りたくなる。
「ましてや普段はリングの上で戦う厳つい男が、誰よりも服や甘味に造詣が深いなんて想像できないだろ」
「ギャップというやつか」
小次郎が何度も言っている言葉だ。普段との差でキャラを浮き彫りにして魅力的にさせる。自分のこういう性格や嗜好は周囲の者なら知っているが、試合を観戦しにくる客にはまだまだ知られていない。
「確かにべしゃりが上手い人は大勢いる。この手の話題にもっと詳しい奴も沢山いるだろうね。でも俺が求めてるのはそういう奴らじゃない。これはダンちゃんが話すからこそ意味が出てくるのさ」
自分の持つキャラや特徴をどう伝えるか。どうわかってもらうか。キャラクターをどう生かすか。己の持つものをどう表現するか。ダンがずっと悩んでいたことだ。これは一つの手段と言える。
「ブランドなんてものは自分の手で作れるからね。できることはやっておきたいじゃんか」
ドリトスは美貌を際立たせる方法を常に意識している。所作や振る舞い、コメントやファンの対応まで完璧にこなしていた。プロの仕事といってもいい。普段はあれだけいい加減で、口を開けばがっかりされることも多いというのに。
アルコは自分のキャラを前面に押し出すファイトを展開する。たとえ不効率でも彼女らしくない振る舞いをリングの上ではしない。結果としてピンチになったり、ダメージを受けてもだ。
ビルタニアスは言わずもがなである。豊富な知識を存分に活かしていた。
リングの上も下も関係ない。それぞれがそれぞれの方法でアピールする方法を模索し、実行している。それが客に受け入れられたこそ彼女たちは人気レスラーになったのだ。
逆に上手くできなくて自分のように埋もれてしまう者もいる。レスラーにとってこれも戦いなのだ。
「お主もそうだったのか?」
自然と問い返していたのは、ここまでと口振りが変化していたからだ。恐らく本人も気づいていなかったのだろう。指摘されたときに呆けた表情を浮かべていた。
本当に珍しいものを見ている。あの瀬田小次郎がどことなく戸惑っていた。完全に気が抜けており、どう答えればいいか迷っている。こういう姿を見るのは初めてだった。恐らく最もパーソナルな部分に触れている。
普段の彼はあまり素の部分を見せなかった。別に仲間たちへ心を開いていないという訳じゃない。本音を全く話さないとか、常に演技をしている訳でもない。楽しそうに笑う姿は紛れもなく本物だろう。
ただどうしてもプロレスラーとしての自分を意識してしまうのだ。
目の前に現れた選択肢や岐路に対するとき、『自分』ならこうするではなく、『プロレスラー瀬田小次郎』ならこうすると自然に考えてしまう。
リングの下でもプロフェッショナルでいようとするからこそ、そういう人格を被ってしまうのだ。思考や行動がプロレスに引っ張られるのもそのためかもしれない。
彼の人生においての判断基準である。
幸か不幸かの問題ではない。是か非かで語れることでもない。彼はそういう風になってしまったのだ。だからこういう生き方をしている。
「……俺はとことんやるしかないのさ。才能がないからね」
どこか観念したように語り始める。照れを含んだバツのわるい笑み。悪役として堂々と振る舞う姿はそこにはない。どこにでもいる十代の青年だ。
「そんなはずは」
言い掛けた口が止まる。自分を真っ直ぐに見つめる目に、慰めなど求めていないことが伝わってきたからだ。
瀬田小次郎はどれだけ忙しくても練習は怠らない。プロレスラーとしての技術は高いし、身体も鍛えている。頭だってキレるし、リング上でも機転が利いた。
しかし格闘技の世界でも成功できるかと聞かれれば、疑問符がついてしまう。曲りなりにもリングで戦ってきたのだ。それぐらいはダンにもわかった。
彼は飛び抜けた強さを持っていない。運動能力がある人間は大勢いるし、立派な肉体やパワーを持つ者は沢山いる。もちろん普通のファイターよりは強いだろうが、特別優れている訳ではないのだ。言ってしまえば、他の者だってちゃんと鍛えれば、誰でも彼の場所までは到達できてしまえる。
だがその先の先。上澄みには辿り着けない。
もしクラフトアーツのリングで戦ったら、彼は恐らく王者になれないだろう。技能や戦い方ではなく、アスリートの才能という点において他者に劣る。
これはそのままプロレスという舞台でも当てはまる。彼よりも優れた肉体や運動能力、パワーやスピードを持つ者は大勢いる。彼よりも見映えが良く、華のあるレスラーはいくらでもいる。目を引くような肉体的特徴もない。
プロレスの激しさや厳しさは、ダンにも身に染みてわかっている。足りなければ足りないほど置いて行かれてしまう。埋もれたまま這い上がれないことなどザラにある。
それでも小次郎は必死に前へ進んできたのだ。
肉体を苛め、技術を磨き、努力で到達できるところまで徹底的に鍛え抜いた。足りない部分を埋めるためにプロレスをとことん勉強した。才能がないからと言って、腐っている場合ではなかった。
リングの上で魅せる戦いをするために。リングに上がる前から人々を呼び込むために。いかにして他者の心を惹けるか。
勝利するにしろ、敗北するにしろ、結末に至るまでに観客を盛り上げなくては意味がない。
彼の戦いの全てはそこに集約する。形振りなど構っていられない。
「立ち止まってはいられないよ。とんでもない師匠も上にいたからね」
恐らく小次郎の師匠は才能の塊みたいな男だったのだ。どう足掻いても届かないかもしれない存在。そんな男が近くにいれば、嫌でも己の足りなさを思い知らされてしまう。
この若さで事実を受け入れるのは辛かっただろう。あるいは若いからこそ他のものに目もくれず、一つに事に執着できたのかもしれない。情熱を燃やすなんてレベルじゃない。己の全てを投げ打っている。
だからこそ、この世界に来た時の絶望は計り知れないものだったはずだ。己の執着したものが存在しない場所。下手すれば死ぬより辛かったかもしれない。
だが彼は新しい道を見つけた。希望を見出すことができたのだ。控え目に言って狂った生き方をしてもおかしくない。
「マジで嫌なら別にいいよ」
気を取り直して話しかけてくる。もういつもの小次郎になっていた。
「それじゃ団体のためにならんぞ。お主の得意な口八丁で乗せなくてよいのか」
ダンもこれ以上は踏み込まず、話題を戻す。追及しても仮面を取ることはできないだろう。
「しょうがないさ。別の手段を考えるだけだよ」
驚くほどあっさりしている。強引なときはとことん強引なくせに、引くときは引く。こちらが拍子抜けするくらいだ。
「売り出し方を考えるのは俺の役目でもあるからね。力不足で申し訳ない」
素直に頭を下げる。簡単に見えるが並々ならぬ思いが込められていた。恐らくこれまでのダンの扱いも含まれている。
この世界では誰よりもプロレスに詳しく、代表として団体を引っ張っている。相応の責任を感じるのは当然だろう。自らの決断や能力不足が未来に直結するからだ。
尤も本人は許しを請うている訳ではない。慰めなども求めていないだろう。
「別に謝ることじゃないぞ」
そもそもリングの上で表現できなかった自分が悪いのだ。半ば巻き込まれた形ではあるが、全てを彼に押し付けるのは間違っている。
「お主も少しは自分を大事にせんか。正直見てられんぞ」
こういう殊勝な面はあるくせに、滅茶苦茶な生き方は止めないのだ。団体のために行ったとは思えない行動だっていくつもある。私生活のだらしなさは間違いなく彼自身に原因がある。
恐らく元の世界にいても借金や女性問題といった面で、自らの首を絞めるのではないか。破滅への綱渡りを嬉々として進むような男である。
いつか川に浮かぶ日が来ても心から庇うことができない。自業自得という言葉がこれほど当て嵌まる男も珍しい。
「それとこれとは話が別だよ」
満面に笑みを浮かべる。とびきりの悪戯を成功させた子供みたいだった。どうしようもない人間でもあるが、憎めないのも確かである。
「……やってみようかの」
苦境に立つ自分にこうやって場を用意してくれたのだ。手口は強引だが売り出そうとしてくれている。本来なら日陰に置いていても構わない選手なのに。
「上手くいく保証はできんぞ」
小次郎のように全てを懸けられる訳ではない。まだ自分には確固たる意思や自信を持てていなかった。だからこそ他人の熱意や想いに応えたいと思ったのだ。
「マジで! こりゃ面白くなるぞ!」
楽しそうに笑う姿は年相応のものだった。リングの上とは違い、邪気の一欠けらもない。これが計算や演技でないことは自分にもわかる。とても魅力的な笑顔だった。
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