第29話 扉を開けるもの


「ありがとうございます」

 担当者に頭を下げ、伝票にサインを入れる。午前の仕事はこれで終わりだ。

 地上三階建ての複合型大型店舗。様々な施設が一つに集まり、地方の珍しい商品も売られている。ダンの働いている店も商品を卸していた。

 勇者がいた世界にあったものを参考にしているらしく、デパートという名称もそこから取られている。

 広々としたフロアには多くの服が並んでおり、買い物客で賑わっていた。店の一角にはクラフトアーツ関連のグッズが売られているコーナーがあり、絵で描かれた選手のポスターが貼られている。地方から出てきた者には特に珍しく、土産には丁度いいのだろう。

 それに比べて、プロレス関連のグッズは見かけない。人気の差を改めて実感する。

「上にもいないぞ。くそっ、何処に行きやがった!」

「外を捜すぞ! 絶対に逃がすな!」

 どこか物々しい雰囲気の男たちとすれ違う。他の客層とは明らかに浮いており、話している内容も物騒だ。

 男たちは急ぎ足でフロアを駆け抜けていった。買い物に来たとは思えない。


「奇遇だな、ダンちゃん。なにか買いにきたのか?」

 突然響いた声に顔を振る。知り合いはもちろん、周りには誰もいない。空耳かと思い、耳を押さえた。

「ここだよ、ここ」

 やはり空耳ではない。再び視線を動かしたとき、並んでいたマネキンの一体が動き出した。

「ちょ、な、何してるんですか、小次郎さん」

 その場に腰を付きそうになるのを何とか堪える。店でなければ悲鳴をあげていたかもしれない。己の目に狂いがなければ、正体は間違いなく小次郎である。

「しつこい連中から身を隠してのさ。堂々としてればわからないもんだろ」

ちゃんと服を着飾っており、目元は帽子で隠している。確かに遠目からではマネキンと区別がつかないかもしれない。


「また何かやらかしたんです、やらかしおったのか?」

 口調を変えて、レスラーとしての自分を意識する。キャラを貫くために、小次郎の前ではなるべくこういう風に振る舞うようにしていた。小次郎は気にしていないのだが、自分でやりたいことだった。切り替えるためのスイッチみたいなものである。

「ちょいと返済が遅れそうなんだよ。ぎゃあぎゃあ騒ぎやがって。うるさくて仕方ねぇ」

 うんざりした口調である。思った通り原因は小次郎にある。

「いや、それはお主が悪い。向こうからしたら当然の処置だと思うが」

「だからって今、取り立てても一銭も戻ってこないだろ。いつか耳揃えて返すんだから大人しく待ってろよ」

「いつか本当に死ぬぞい」

 本人は気にしていないが、尻に火を点けて歩いているようなものである。明日には川に浮いていてもおかしくない。

「というか勝手に着ちゃダメじゃろ。それも商品だぞ」

 変装するために展示用の服を着ているが、この様子だと許可など取っていないだろう。

「いいんだよ。緊急事態だったんだからさ。困ってた人間を助けることができたし、店側も本望だろ」

 悪びれた様子が全くない。どうしてここまで堂々とできるのかわからなかった。

「文句言ってきたら後で金払えばなんとかなるべ」

「いくら持ってるんじゃ」

「だから今は持ち合わせないの。払わないとは言ってないんだ。ツケでもなんでもしておけ」

 これである。基本的に悪い人間ではないのだが、どうしようもないところも非常に多い。控えめに言ってもクズだろう。仲間でもここばかりは擁護できない。

「ギャラはどうした。結構な金額になってるはずじゃ」

「貰ったその日に使い込んだよ」

 いったいこの男はどうやって生活しているのだろうか。碌な画が浮かんでこなかったので、詳しく訊くのは止めておく。

「大丈夫だよ。他のレスラーのギャラには手を付けてないからさ」

「その気遣いをもう少し団体以外にも向けてやれ」

 小次郎の言う事は本当だろう。プロレスに関しては誠実な男だが、その代わりに各方面へ多大な迷惑をかけている。振り回される者たちが気の毒としか思えない。

 どれだけの人間に金を借りているのか。金額はどれだけあるのか。考えるだけ恐ろしかった。

「しかしこいつは凄いな。俺の地元より活気あるかもな」

「似たような店はあったのじゃろ。珍しくはあるまい」

小次郎のいた世界にも同じような店はあったと聞いた。技術などは向こうの世界の方が発展している。店の規模は比べ物にならない気がした。

「そんなことないって。見たことない商品が置いてあるし、服だって着ないようなもんばかりだ。歩いているだけでワクワクするよ」

楽しそうに目を輝かせながら、忙しく顔を動かしている。普段の彼を見ていると忘れそうになるが、彼はまだ十代の若者なのだ。こういうところは年相応な気がした。


「おはようございます」

会話を中断して、向こうからやってきた男に挨拶する。店の掃除を担当している中年の男だ。それなりの期間を働いており、顔を覚えてしまった。名前を訪ねたことはないが、挨拶は欠かさずしている。男も小さな声を出しながら、会釈で応えてくれた。


「それでお主は何をしにきたんじゃ。まさか追っ手を撒くために入店した訳じゃあるまい」

 店内を散策しながら話を再開する。買い物のためじゃないのは見ていればわかる。本当の目的が気になった。

「新しいビジネスチャンスがあったのさ。改装中のフロアが一階にあるだろ?」

「確かほったらかしになったままじゃったな。ついに入る店が決まったのか」

 少し前から閉鎖された場所があり、何ができるのか気にはなっていた。それとなく訊いてみたのだが、どうやら一般の店員たちも聞かされていないようだった。

「飲食店を作るつもりなんだよ。ジャックの野郎に色々と意見を訊かれたのさ」

 恐らくその帰りに借金取りに見つかったのだろう。よく首が繋がっているものだ。

「しかし、上手くいくのかの。買い物客と混じって茶を飲んでも落ち着かんぞ」

 他の商品も置いてあるが、基本的には服飾店である。休憩用の広間は設置されているが、本格的な飲食店はなかった。

「休める場所で飲食を提供する。適切なサービスだよ」

 理屈はわかるがいくら説明されても具体的な画が浮かんでこない。動き回る者たちを眺めながら、美味しい茶を味わえるだろうか。

 ゆっくりするときはゆっくりしたい身としては、忙しないとしか思えなかった。

「そういう店は俺の世界にもあったからね。モデルケースは頭に入ってるよ」

 なるほど。ジャックがどうして小次郎の意見を聞きたがったのか理解できた。身近に成功例があるなら、それを参考にして改良すればいいのだ。

「わしらにはどんな見返りがある? お主の事だ。タダじゃ終わらんじゃろ」

 恐らくこの話を持ち込んだのはジャックの方だろう。様々な商売や儲け話を手掛けている怪しい男である。相談役としてデパートの方から指名されたのだ。

 問題は小次郎が協力していることだ。ただでさえ忙しい男である。時間が無制限にある訳じゃない。協力する代わりにそれなりの物を得るつもりだ。つまりここにビジネスチャンスというやつが埋まっているのだ。

「抜かりはないよ。FWEのグッズを置いてもらうことになってる。まだどんな店が開くかわからないけど、それだけは取り付けたさ」

 ピースサインを作る。店の利益は団体に入らないが、グッズの利益は入ってくる。それならカフェだろうが、レストランだろうが構わない。

「上手いことやったものじゃな」

「まだまださ。こんなんじゃ満足できないよ」

「ちゃんと休むんじゃぞ。無理して倒れたら元も子もないからの」

 ジャックはひどい悪人という訳でもないが、善人かと問われれば、首を傾げたくなる。いくら美味しい儲け話だとしても、自分なら間違いなく話に乗らないだろう。

 だが小次郎はそんな男とも堂々と渡り合っていた。団体を大きくするためならどんなことでもやる。

 リングで戦いながら、他の選手の練習を見て、団体のビジネスまでやっている。今すぐ倒れても不思議ではない。その歩みは綱渡りと同じようなものだ。破滅が常に付きまとっている。

「そんときは盛大に笑い飛ばしてくれればいいさ」

 事も無げに言い放つ。わかってはいたがどれだけ強く諭しても無駄だろう。この世界に住んでいる自分たちよりも熱が入っている。

 己の好きなことのために全てを懸ける。

 口では簡単に言えるが、これほどまでに実行している人間もいないのではないか。覚悟があまりにも違う。

 突然見知らぬ世界にやってきたのに、止まることなく突き進んでいく。普通なら震えて足が動かなくなってもおかしくないというのに。クズな部分も沢山あるが本当にタフな男だ。

 こんな彼を見ていると、文句や不満など言えなかった。己の悩みを相談することも憚られてしまう。足を引っ張りたくないし、なるべく手を煩わせたくなかった。


「? 何処に行くつもりじゃ?」

 いつの間にかフロアを出て、従業員用の通路を歩いていた。考え事をしていたため、まるで気づかなかった。

「いいから、いいから。ちゃんと付いてきてよ」

 迷うことなく突き進んでいく。責任者と話でもするつもりなのだろうか。それなら自分がいても仕方ない気がする。

 小次郎はある部屋の前で立ち止まり、扉を開ける。手招きしていたので、ダンも釣られて中に入った。

「な、なんですか、ここ」

 思わず素に戻ってしまった。部屋の中は奇妙な造りをしていたからだ。

 中央を壁で仕切っているのだが、その一部は大きなガラス面で出来ている。向こう側にはテーブルが置かれており、女性が原稿用紙を確認していた。どういう意図で作られたのかさっぱりわからない。

 他の従業員たちに挨拶をしながら、備え付けの扉を開けて、二人で向こう側に移る。多少こじんまりとしているが、よく掃除されており、軽い運動や筋トレくらいならできるだけのスペースが確保されていた。


「ほら、座って、座って」

 ここまで一切の説明がないまま、半ば無理矢理椅子に座らされる。ようやく女性と目が合った。

「よろしくお願いします」

 ハキハキした明るい声で聞き取りやすい。丁寧に挨拶をされ、反射的にダンも返すとにっこりと微笑んだ。気持ちが良くなる笑顔である。

 よく見るとテーブルの上にはあるのは原稿用紙だけじゃない。

 形は少し違うが試合会場でも使うマイクが専用の台で固定されており、いちいち手に持たなくても喋れる仕組みになっていた。台にあるボタンは何かのスイッチだろうか。上下に動かせるようになっていた。

 マイクの近くには鉄琴が置かれている。叩く棒がちゃんと傍にあった。

「あ、あの、これって何ですか」

 振り向くと既に小次郎は部屋から出ており、ガラスの向こう側からこちらを見ていた。どこか緊張した面持ちの従業員たちとは裏腹に、随分と楽しそうにしている。

 その姿を見た瞬間、とてつもない悪寒が全身を襲う。おぞましいほどに滲み出る邪悪さ。同じ笑顔でありながら、目の前の女性とはまるで質が違った。

 自分はアレを知っている。彼がリングの上で浮かべるものに酷似していた。すぐに席を立とうとするがもう遅かった。

 女性が台にあったボタンを上にあげ、楽器を叩いた。さぞ綺麗な音なのだろうが、今のダンにはあまりにも汚いノイズに聴こえる。

 滑らか唇がゆっくりと動き出す。逃げ場などどこにもなかった。

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