第25話 決着


 戦闘開始のタイミングは絶妙だった。早すぎず、遅くもない。場のボルテージが最も高まる瞬間を感じ取っており、ここぞという間で仕掛けてきた。

 ゲドキングは捨てていた椅子を拾い、わかりやすく右から振りかぶる。しゃがんで回避すると、続けて足元を狙ってきた。ジャンプして避け、綺麗に着地する。ムキになって振り回される椅子は掠りもしなかった。

 それほどアルコの動きは軽やかだった。独特の構えから繰り出される特殊なフットワークは観客に強く印象づける。

 業を煮やしたのか、力任せに叩き潰そうとしてきた。激しさを増す攻撃を躱しながら、タイミングを窺う。

(あんたならやってくれるでしょ)

 胸に抱く信頼と共に天高く跳躍し、椅子の上に乗った。打ち合わせも合図もない。流れの中で繰り出したアドリブである。

 今のアルコは、ゲドキングが頭上に構えた椅子の上に乗っている状態だった。格闘技の試合ではまず見られない光景である。不安定な足場だが倒れないように気をつける。ゲドキングもバランスを崩さずに耐えてくれていた。

 倒れるか、倒れないか。

 鍔迫り合いのようなギリギリの攻防。どちらに天秤が傾き、次はどんな光景が見られるのか。その瞬間を見逃すまいと観客の意識が集中する。


「しゃあああああああああ」

 鋭い掛け声を発し、背もたれの部分を蹴る。バランスが一気に傾き、二人はその場に崩れ落ちた。

 空中に投げ出されながらも標的を見据える。着地ポイントは先に倒れた相手の腹の上だ。ただ立つのではない。回転を加え、見栄えも良くしておく。身体に負担はくるが、これならより痛そうに見えるはずだ。

 ゲドキングの絶叫が会場に轟く。ダメージらしいダメージをようやく与えた。そう観客に思わせることができたようだ。歓声が上がっており、声の圧が強くなる。

 悶絶する敵を尻目に、アルコは細かなフットワークを踏み、離れた場所でポーズを決める。フィクションとリアリティが絶妙に混じった動きを魅せるのだ。


『どんどんキレが増していきます。やはりこれも奥義のなせる技でしょうか』

『その通りです。あの若さでここまで完璧に使いこなすとは見事なものですよ』

 やんや、やんやの大喝采。割れんばかりの拍手に熱い声援。会場中の視線が集まり、観客がヒートしている。

 熱くなる観客とは裏腹に、アルコの心は落ち着いていた。視界がすっきりしており、どこまでも見渡せる気がする。闇の中にいるような不安な感触はもうない。

 観客にチラリと目線を向ける。まるで子供のようにはしゃぎ、ますます声を出してくれた。精一杯に自分の名前を呼んでいる。仕草や目線だけでもこれだけ感情を操れるのだ。

 それはとてつもなく――。

(気持ちが良い)

 初めて湧き起こった感覚に陶酔しそうになる。ここがリングの上でなければ、表情がグズグズになっていた。


 リング内を歩き回り、拳を突き上げ、観客を煽っていく。この熱き試合を最高のフィニッシュで迎えるため、とことんアピールするのだ。

 突然声援の質が変わった。観客が悲痛な様子で背後を指している。もちろん言われなくてもわかっている。気配はしっかり感じていた。


『ここで強烈な反撃! 奴はまだ生きているぞ!』

 衝撃が背中を打ち、その場に屈みこむ。あえて隙を作ったがちゃんと攻撃してくれた。

 一転して会場の空気が変わり、絶望感に包まれる。波が引き合うように次々と感情が変化する。


「どうして攻撃を受けるのか」


 理屈は何度も聞いてきたが、今なら嫌というほど理解できる。やられる姿は自分だけではない。相手のアピールにも繋がるのだ。

 両手を組んだ打撃。ハンマーナックルで背面を叩かれる。敵の攻撃を受け、片膝をマットに付いた。痛みと衝撃が背骨ごと身体を押し潰しそうだ。

 それでも決して諦めない。右手をしっかりと伸ばし、ぐっと指を丸めて猫の手を作った。

 わかりやすいタイミングで攻撃が遅くなる。

 身体を起こしてナックルパートを腹に打った。普通のパンチよりも手を丸めた猫の手。ゲドキングは足踏みしながら後ずさる。


『あれは見たことない形ですが、一体どんな攻撃なんですか?』

『拳を丸めることによって、力の流れと振動を相手に伝えやすくする秘拳です。高い柔軟性と技術がなければまずできません。まさか本当に目にできるとは』

 もちろんそんなわけがない。ただ拳を丸めて打っているだけだ。効いているようにみえるが、普通に殴った方が痛いに決まっている。

 ゲドキングの受身も素晴らしい。必要以上に痛がるので凄いダメージがあるように見える。受身が良いから動きや技に説得力が出るのだ。わざとらしさなど微塵もない。他でもないアルコ自身が、秘拳を打ったと錯覚するくらいなのだから。

 相手を信頼する。対戦相手と作り上げる。これがプロレスの本質だ。


『失われた武術をただ復活させたのではなく、より進歩させています。私たちは素晴らしい瞬間を目にできていますよ。彼女の修練の日々が、こうして、実を結んだのです』

 鼻を啜りながら、濡れた声を出す。会場はまるで湿っぽくなどならない。むしろ溢れ出る人情味を好意的に受け取っている。ずっと見守ってきたからこそ出る言葉だと観客もわかっているのだ。ビルタニアスは自分のキャラクターをとことん活かしていた。

『君は、君は一体どこまでやれるというのか。どうか私たちに見せてくれ!』

 実況がここぞとばかりに火を点ける。


 それに呼応するようにゲドキングが腕を掴んで鉄柱に振ってきた。背中が叩きつけられ、反動で両腕をトップロープに乗せる。息つく間もなく猛牛のようなタックルを仕掛けてきた。

 浮かび上がる二択。受けるか、かわすか。一瞬で判断しなければならない。

 ギリギリまで待った上でかわすことを選択。

 鉄柱に尻尾を巻きつけながら、ロープの間からエプロンサイドへエスケープする。ゲドキングの肉体が鉄柱に激突する。痛がりながら後退した。

 何気ない行動だがこれが大事だ。見ている者は尻尾の力で身体を動かしたと思うだろう。実際は全身を支えるような力はないが、せっかく自分の肉体に備わっているのだ。とことんアピールしなくては勿体ない。

 尻尾を鉄柱に巻きつけたままロープを潜って、鋭いキックを放つ。ゲドキングはガードもできずに吹っ飛ばされた。

 今や会場のボルテージは最高潮に達した。ポーズを決め、耳に手を当てる。観客を煽りに煽る。


「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 激しい手拍子と共に掛け声が一つになっていく。今こそとどめを打つときだ。

 だが試合はまだ終わらない。ゲドキングが尻尾を掴んできたのだ。


『これは痛い。しかし尻尾は弱点にならないのでは』

『序盤とは違い、ダメージが重なってますからね。本来ならば大丈夫なんですが』

 そんなことはない。痛いことは痛いが耐えられないほどじゃない。反撃しようと思えばいつでもできる。奇しくも初めて戦ったときと同じ形になる。あのときはそれを選択した。

 でも今は違う。ゲドキングが力を籠めるのを感じる。それを合図にして上半身を揺らしながら力を抜いていく。両膝を地面に着いてうつ伏せに倒れる。

 苦痛に歪めた表情を作り、天井を見上げた。痛みに耐える姿はよく見えるはずだ。

あまりにも辛そうな姿に観客の心理がシンクロする。同じ痛みを受けているような感覚。痛みを共有しているのだ。


『立てない。アルコ、立てない。ここで終わってしまうのか!』


 身体に力を入れ、必死に立とうとするが、そのたびにゲドキングも力を入れるので起き上がれない。このやり取りをしっかりと見せる。

 上げて、下げて、上げて、下げる。何度やっても潰される。

 それでも決して諦めない。必死な声援が肉体を打つ。一番大きくなったタイミングを見計らい、反撃に出る。

「しゃあら!」

 思いきり両足を伸ばした。猫が後ろ足で蹴る動きに酷似している。突然の反撃にゲドキングは脛を打たれて、マットを転がる。

 地面を叩いて立ち上がると、腕を振り上げてアピールする。声援と一体となったとき、トップロープに向かって飛んだ。ロープが軋み、反動をつけてゲドキングに飛び掛かる。

 狙いは一つ。ここに打ってこいと、わかりやすく顔面を晒している。

 身体を反転させて尻尾を振った。激しい風切り音が鳴り、見事に捉えた。激しい衝撃が尾を通じて伝わってくる。どんなしなやかな鞭にも勝る威力だ。

 糸が切れた人形のようにゲドキングはマットに崩れ落ちた。急いで身体を抑え込む。レフェリーが確かにカウントを三回打った。


『決めた。決めました。他種族同盟軍の大勝利です!』

 武道館は大歓声に包まれる。声にもならない声が上がり、名前をコールしてくれている。雨のような拍手が鳴り響くなかで、リング下まで観客が駆け寄ってくる。誰もが本当に幸せそうな顔をしている。涙を流している者もいた。

 自然と腕を振りかざす。言葉では言い尽くせない高揚感に包まれていた。この試合を勝っても人間最強主義は覆らないかもしれない。だけどここにいる皆を幸福にできたのだ。

 ずっと正当な評価を受けることはなかった。実力に関係なく格下に見られていた。今は皆が見てくれている。それがたまらなく嬉しく。

 FWEの旗揚げ公演はこうして成功を収める。新たに誕生したヒーローをファンは讃えるのだった。

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