第24話 作り上げるということ


 両手の拳を軽く丸めて、肩と腰の高さに添える。膝を小さく曲げて姿勢を落とし、左足を後ろに下げた。本物の猫のように柔らかく背中を伸ばす。


『ま、まさかあれは!』

『ど、どうしましたか、マスター。一体あの構えは何なんですか!』

 実況席が俄かに慌ただしくなる。立ち上がった拍子に椅子を倒したのか、耳障りな衝撃音がマイクを通して会場に伝わった。

『彼女の種族に伝わる幻の奥義です。私も古い文献で読んだだけですが、確かにあの構えと酷似していました』


 実況席が好き勝手に話しているが全て的外れである。

 いくら猫の亜人といっても、一族の戦士は戦闘中にこんな構えは取らない。自分たちは猫に近いが猫ではない。身体構造も基本は人よりで両の足で歩いている。これでは力が上手く入らない。文字通り、リングの上で初めてやったことである。本当に戦闘力が上がるわけでもないし、ダメージが回復するのでもない。

 それでは何故こんな構えを取るのか。答えは簡単である。奥の手を出すという意思をわかりやすく伝えるためだ。


『遥かな昔、彼女の一族は闘う手段を持たなかった。しかし大いなる脅威が現れた際、それに対抗するために、戦闘に特化したスタイルを生み出したと言われています』

『ではなぜ今の世に使いこなせる者がいなくなったのでしょうか』 

『格闘技と似たようなものですよ。時を重ねるに連れ、動きはより最適化されていくものでしょう。古き武術を使いこなせる者は減っていき、ついには忘れ去られてしまったのではないでしょうか』


 アルコの意思に応えるように、いかにもなバックボーンをどんどん付けてくれる。もちろん全部嘘である。自分も初めて聞いたことだし、一族の長老たちも首を傾げるだろう。

 しかし真実を確かめる方法などここにはなかった。嘘だと糾弾されてもシラを切ればいい。ようは言ったもん勝ちなのである。

 事実、観客のほとんどは信じている。期待と不安が嫌でも高まっていくのを肌で感じた。

 何しろあのビルタニアスが言っているからだ。会場には彼の店を訪れた者も沢山おり、人柄や性格などは知られている。間違っても変な嘘をつくような男じゃないし、興奮して声を荒げることも珍しい姿なのだ。

 おまけに彼は魔王軍との戦いを経験している。経歴や知識は多くの者が認めるところだ。これだけ揃えば、説得力も段違いである。ありもしない事実を信じてもおかしくない。

 誰が、いつ、どんな風に言うかで言葉の力は変わる。小次郎が言ってたことだが、嫌というほど思い知らされていた。

 

『現代に蘇りし奥義は果たして通じるのでしょうか。相手は極悪非道のゲドキングですよ』

『それは今からはっきりするでしょう。アルコ選手の真価が問われるときですね』 


 当たり前のように受け応えをしている。試合中でなければアルコも吹き出していた。

 どれだけ口八丁の者でも、この大舞台で嘘をつくことは並大抵のことじゃない。ましてやアルコと打ち合わせなどしていないのだ。普段の落ち着いた彼からは想像もできない。会場の空気に当てられたのか、それとも意外とノリが良いのか。

あるいは――。

(これもあんたの差し金なの)

 眼前に経つ相手を見据える。ゲドキングではなく、メイクで隠した本当の顔。瀬田小次郎に思いを馳せた。

 小次郎がどんな画を思い描いていたかはわからない。どの程度まで関与し、どこまで暗躍していたのか。あるいは本当に何もしていないのかもしれない。確かめる術はなく、全ては闇の中である。

 だが彼はできるだけのことをする男だ。どこかでビルタニアスの心を侵食していても不思議はない。新たな芽を咲かせるように。あるいは毒を沁み込ませるように。この会場で誰よりも他人の心理を操ることに長けた男なのだから。

 あるのは目の前の事実。ビルタニアスは行動に移したということ。それによって会場がより盛り上がったということだ。

 自分でも驚くほどに罪悪感がない。確かに観客を騙しているが、場はこれだけ熱くなっている。わざわざ水を差す必要がどこにあるだろう。楽しみを奪うことは苦痛ではないだろうか。

 この姿勢のまま踊るようにリングを跳ねる。まるで枷を解いたように俊敏な動きを見せつける。重石が取れたように高らかな跳躍する。腰や膝をくねらせ柔軟性を訴える。今までとは違うのだと観客にわかりやすくアピールするのだ。どれか一つでも刺さればよい。材料があれば勝手に考察してくれる。

 歓声が大きくなり、期待が高まっていく。ただのパフォーマンスでここまで喜んでくれるのだ。


(こいつ……やっぱり上手い)

 改めてその凄さを知り、憎々しさに思わず舌打ちしたくなる。

 ゲドキングはただ傍観していた訳じゃない。首を振ったり、小さく目線を動かすなどの細かいアクションを取っている。目の前の動きに困惑し、会場の空気が変化したことに戸惑う振る舞いを見せているのだ。

 本当に動揺しているかは重要ではない。そう見えることが大切だった。

(嫌らしい奴ね。腹立ってくるわ)

 痒い所に手が届くとはこのことだ。行き届いた配慮に気持ち良くなってしまう。

 プロレスは皆で作り上げていくものだと、小次郎は言った。今ならその意味がよくわかる。実況に音楽、裏方やスポンサー、敵対する選手同士であっても共通の目的を持っている。全員がそこに向かって進んでいるのだ。

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