第22話 彼女の挑戦


 ついに訪れたファイナル。前の試合で会場は充分すぎるくらい温まっていた。観客は自然と期待に胸を膨らませている。これまでの空気が嘘みたいだ。

 自分のコーナーでアルコは静かに呼吸を整える。どうやって入場したかも覚えていない。真っ白になっていないだけマシだが、不安と緊張はなくならない。力を入れないと指先が震えてしまう。血が氷のように冷えていた。

 衣装はビキニ型で身体を引き締める。胸部には動物の毛皮を縫い付けており、本当に自分が生やしているように見えた。とても動きやすくしっかりフィットしている。


 会場が暗転すると重低音が響き渡る。地の底から零れるような音。暗い稲妻を思わせる激しいメロディ。先程までの楽しげな空気が一変する。文字通り会場が揺れていた。


 ゲドキングがついに姿を現した。じっくりと会場を見渡すと重々しい足取りでリングに向かう。しっかりとラブボディを侍らしており、今度は鞭まで振っていた。攻め気全開の秘書官だが、マリアはさぞ心外だろう。付けた仮面の下で泣いている気がした。

 お披露目式の後もゲドキング率いる魔人軍団は様々な悪事を働いていた。ダンの店のシャツを破いたり、ドリトスの作った化粧品をぐちゃぐちゃにしたりとやりたい放題である。それらは全て宣伝活動で広めていたし、試合前にも映像で流している。

 もちろん全て予め許可を取ったものだが、観客は完全に信じている。怒りは限界を迎えており、負の感情が充満する。入場するだけで罵声が飛んでいるがまるで動じていない。


 リングインすると両腕を大きく広げた。黒いガウンが羽のように舞い、禍々しいメイクは物語に出てくる魔王よりも凶悪に見える。

 びりびりと肌を刺す威圧感に唾を飲み込んでしまった。普段の小次郎とは別人に思えた。本当にゲドキングという人間が存在しているように思えてくる。

 試合は勝つことになっている。だからこそ中身で魅せないといけない。まだプロレスに対応できてはいないが、ここまできたら泣き言は言えない。


(はやく、はやく、ハヤク、早く、速く)


 コーナーに顔を押し付け、何度も呟く。口から心臓が飛び出そうだ。とにかく始まって欲しい。心臓の鼓動とゴングを聞き間違えそうになる。


 運命のゴングが高らかに鳴った。

 顔を上げて、ゲドキングと向き合う。肉体はしっかりと反応してくれた。足元が覚束なくなるなど話にならない。


『まずはアルコが周囲を回っていますが、序盤はどうなりますか?』

 特別解説には続けてビルタニアスが入っており、よりわかりやすく説明する。

『ペースを掴みたいところですが、ゲドキングは狡猾な男ですからね。ここは慎重にいきたいところでしょう』

 この展開は予想外だった。アルコは早くも戸惑ってしまう。

 ゲドキングは中央に陣取っている。ここからお互いに動いてロックアップに持っていき、打撃という流れ。これも予め決めていた。緊張している自分を考えてくれたのだ。

 ところがまるで動こうとしないのだ。構えることなく立ち尽くしており、戦意などほとんど感じない。飛び回る小さな羽虫を無視するようなものだ。これでは格付けは下だと観客に示してしまう。


(何を企んでるかは知らないけど、そっちがその気なら)

 困惑しつつもロックアップを仕掛ける。一応合わせてくれたが何も言わない。メイクをしているため考えていることも読めない。

 リング中央で押し合いながら、ロックアップを解いて打撃を仕掛ける。振り被った腕から鋭いエルボーが顔面を打ち抜く。骨を通して腕が痺れる。良い感触だった。

 アルコは反撃に備えて力を入れる。ここから打撃の応酬になる流れだからだ。


(ちょっと! ほんとにどういうつもり!)

 ところがゲドキングは何もしてこない。動かない姿は見下しているようにも見える。試合前に相談していた流れを完全に無視している。

 プロレスにはある程度の流れがあると言われた。事細かに決めることは流石に難しい。ダメージを受ければ頭から飛んでしまうし、会場の空気もあるからだ。

 だからこそ簡単な流れだけを決めて、中身を作り上げる。ここにプロレスラーの腕が出るのだ。

 数多くある物語と同じである。物語は言ってしまえば結末はほとんど同じである。正義が勝ち、悪が負ける。それでもまるで違って見えるのは、過程や中身が違うからだ。

 自ら流れを決めておいて、試合では平然と無視している。一体何をするつもりなのか。


 アルコは再びエルボーを放つ。動揺を観客に悟られるわけにはいかないので、何度も何度も顔を打っていく。それでもゲドキングは受身を取らない。痛がる素振りを見せず、ダメージはあるはずなのに観客へ伝えようとしないのだ。

 これではまるで。


『まるで効いていない。これほど強いのか。これほどまでに実力差があるのか』

『体格差はありますがそれ以上に差があるかもしれません。相手に呑まれてはいけませんよ』


 実際の実力差など問題ではない。観客にそう見られてしまうのがまずいのだ。メインの自分が全く通じない。観客はどう思うのか、どう感じるのか。

 お互いに協力し、素晴らしい勝負を見せるのがプロレスだといった。観客を満足させるのがプロレスだと誇っていた。試合前に言っていたことを自分から破っている。何を考えているかわからない。


(こんな一方的な展開。誰がよろこ・・・・・・)

 思考が止まり、雷光のように閃く。試合中でなければ間抜けなくらいに口を開けていた。同時に恐怖と不安が胸の中に広がっていく。

 これも正解なのだ。ヒールの目的は会場を怖がらせ、恐怖のどん底に落とすこと。伝説で伝わっている魔王はまさしくそれだった。例え負の方面でも観客を盛り上げていることに変わりない。

 さり気なく観客席を見る。顔を引きつらせている者が何人も目に入った。絶望で顔を押さえている者もいる。

 試合に至るまでゲドキングは散々な悪事を働き、観客の怒りを煽ってきた。しっかりとアングルを作りこんでいた。だからこそ巨大な怒りが会場を包んでいた。全ては倒してくれると信じていたからだ。

 ところが何も通じないとなると怒りは不安と恐怖へと変わっていく。大きければ大きいほど反動も凄まじいだろう。

 このままじゃまずい。何かがまずい。わかっているのに身体が動かない。頭が働かない。心だけが焦っている。肉体と精神がバラバラになってしまった。


(ちょっ、あれ? あれ?)

 急にバランスを崩して倒れ込んだ。足に何か奇妙な感触がする。目を向けると鞭が絡みついていた。ラブボディが持っていた凶器がロープの下から伸びている。


『これはいけません。明らかな反則です。しかし、レフェリーが助けることはできません』

 つまり試合は止まらないということだ。先に反則をしたのは魔人同盟なのにペナルティは与えられない。鞭も自分で外すしかない。無茶苦茶な論理。格闘技ならまずありえないことがここでは許される。

 続けて椅子が投げ込まれる。ゲドキングがうつ伏せになっている自分へ近づいてくる。凶器攻撃を仕掛けるつもりだ。


(いいえ。これはチャンスよ)

すぐに発想を逆転させる。ここで痛がる姿を見せれば、しっかりとアピールできる。やられている姿は魅せることに繋がるのだから。

 だがゲドキングのやってきたことは想像を超えていた。叩きつけることをせず、椅子の足を背中に乗せると座り込んでしまった。足を組む余裕まである。

 重量がみしりと伝わる。確かに痛いが騒ぎ出すほどではないので、上手くリアクションできない。

 まずい、と思ったときにはもう遅い。組んでいない方の足で頭を蹴られる。蹴ると言っても小突くようなもので痛みはない。それだけでは飽き足らず、何度も踏みつけてくる。ブーツの裏の固い感触が頭を弄ぶ。

 身を掻きむしりたくなるほど屈辱的だ。噛み締めた歯が割れそうになる。心の底から燃えるような本気の怒り。自分ですらそうなのだ。客はどう思うのか。


「死ね! 死んじまえ!」

「クソ野郎! 地獄に落ちろ!」

「てめぇには騎士道がないのか! もっとちゃんと戦え!」


 地鳴りが起きている。そう錯覚するほど会場が激しく揺れていた。あまりの卑怯で汚い振る舞いに野次が飛びまくる。

 この会場よりも観客が入るクラフトアーツの試合でも、これだけ激しい感情の発露は見たことない。平時で見れば醜態と言ってもいい姿を曝け出す観客。

 当然アルコもチケットを知り合いに配った。リングの上からでもちゃんと見える彼らは目を血走らせ、歯を剥き出しにしながら叫んでいる。あんな醜悪な形相は見たことない。だというのに途轍もなく気持ち良さそうだった。


 ゲドキングは全ての怨恨と怒りを一身に浴びている。一般人なら逃げ出したくなるような悪意の塊を存分に味わっていた。その姿はとても幸福そうで恍惚としていた。

 負の感情の爆発。観客は最高に興奮している。彼らは許されているのだ。普段は出せない感情や汚い言葉を無条件でぶつけることを。ストレスを思う存分叩きつけることを。

 日常生活の中で溜まったもの。普段は我慢しなくてはいけないものはここにはない。割れんばかりの大声を出しても迷惑に思う人間は誰もいない。

 徹底的に憎悪することが許される者。誰からも嫌われる最底辺の存在。平等という言葉。隣人を愛せよという綺麗事。確かに大事なことだがそれだけでは立ち行かないものがたくさんある。

 それは観客にとってどれだけ快感だろう。ゲドキングは彼らの理性の枷を外したのだ。


『リングに物を投げないでください。リングに物を投げるのは止めてください!』


 事前に注意したことなど守る客は最早いない。熱狂のるつぼの中で道徳や倫理、常識などかなぐり捨てている。

 怒らせるだけでなく、恐怖に落とすだけでもない。振り幅が絶妙なのだ。怒りから恐怖、恐怖から怒りへ。怒らせて怖がらせ、不安にさせて憎ませて。あるいは薪を入れて火加減を調節するように感情を操っている。紛れもなく会場を支配している。方法はどうあれ、これだけの人間の心を動かす者を見たことがなかった。




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