第20話 計算外とセミファイナル
試合当日の観客席は超満員で埋まっている。様々な種族が入り乱れる光景は壮観だった。入れなかった客は会場を取り囲んでおり、雰囲気だけでも味わおうとしていた。
期待に胸を膨らませた最高の環境。満を持して試合が始まったのだが、盛り上がりはいま一つだった。
理由は簡単である。レスラーたちの動きがぎこちないのだ。緊張しているのがはっきりとわかる。未熟なのはわかっていたが練習での動きがほとんどできていない。どこか噛み合わないままどの試合も終わってしまう。
何とか人前で見せられるものにはなってはいるが、それ以上でもない。驚きは与えているが客を掴めていない。既に第五試合も佳境に入っているが、この試合も想定していた山場を作れていなかった。
(もっとタメを作れ! 客を見ろ!)
会場の隅で観戦しながら何度も心の中で呟く。関係者しか入れない場所なので見つかる恐れはない。
試合の流れも勝敗も決まっている。ブックをしっかり作ったからだ。それでも動けるかどうかは別である。動きが固く、技のタイミングが早い。スピーディーな展開ではなく、余裕がないから焦っているように見えてしまう。
予定より試合時間が早いのが何よりの証拠だ。関節技や攻防で魅せる展開を作れていない。クラフトアーツで敵と戦うことばかりしてきたからこそ、観客と戦うという意味をまだまだ理解できていない。試合中にできる間に耐えられないのだ。
初めから上手くいくはずないのはわかっている。こういう展開になるのはある程度織り込み済みでもあった。
しかし誤算だったのは、時間をかけて面倒を見ていたダンやビルタニアスまでも満足いくファイトができなかったことだ。完全に計算が狂ってしまう。
普通の興行ならよいが今は状況が違う。この世界で初のプロレスはこの日に懸かっている。大爆発を起こさなければいけないのだ。
この後はセミファイナル、ファイナルを控えている。ただでさえ期待が掛かるからこそ、少しでも温めておきたかったが、これでは後ろのレスラーに大きな負担を掛けてしまう。
冷たい汗が流れて唇が渇いていく。顔の筋肉が固まっており、眼差しは険しい。全身の震えに胃が縮み、胃液ごと吐き出してしまいそうだった。うるさいぐらい鳴る心臓に鼓膜が破れそうになる。死神に心臓を掴まれ、鎌を首に当てられている気がする。
自分の情けなさと弱さが嫌になってくる。師匠ならこんなときも笑っているだろう。
失敗すれば死という現実が襲い掛かってくるが、それよりも恐ろしいのは観客を失望させることだ。
(どうする! どうする? どうすればいい)
もちろん打開する策はある。目の前の試合に乱入してしまえばいいのだ。ある程度暴れてからブック通りの勝敗に従う。自分なら盛り上がりを作れる。
だが今それをすればレスラーの成長機会を奪うことになる。今日明日だけではない。試合はこれからも続くのだ。こういうことも本来ならどんどん経験させたい。
しかし長々と待っている時間もないのだ。万が一、観客が見切りをつけて席を離れてしまったら、取り戻せない可能性も出てくるからだ。
「落ち着きなさいって。気難しい顔したってしょうがないじゃん」
鼻頭を指で弾かれる。いつの間にか横に立っていたドリトスがにっこりと笑っていた。
「コジまでそんなんじゃメインでもこけちゃうぞ。落とし穴に一直線だね」
彼女が近づいていたことにまるで気づかなかった。よほど余裕がなかったみたいだ。
「悪いな。本来なら俺がしっかりしないといけないのに」
暗い靄が晴れていき、視界がはっきりとしてくる。少しは落ち着けた。
「気にしない、気にしない。気張ってもろくなことにならないからね。秘密主義もいいけど動けなくなるとキツイだけだよ」
心の中で苦笑する。裏のことは誰にも言っていなかったはずだが、ある程度は見抜かれていたようだ。
マイペースだが周囲をよく見ている。今もまるで緊張しているように見えない。本当にハートが強い。もしくは何も考えていないだけなのか。
「余計なこと言ったら、デコピンだからね」
「そいつは嬉しいね。お前の愛が籠った一撃ならいくらでも受け止めてやれるぞ」
「あらら。ちびっていると思ったのに、少しは背中が伸びたみたい」
ゴングと共に一際大きな喚声が湧く。どうやら試合が終わったようだ。勝ち星は魔人同盟がリードしている。ここから他種族同盟が続けて勝利を収め、大団円で終わる予定だ。
「思う存分暴れてきな。俺もリングの下で観るからよ」
「ほいさ。自分の選んだレスラーを信じなさいな」
信頼を込めたハイタッチをかわし、二人は離れていく。舞台裏を離れれば二人は敵同士になるのだ。
セミファイナルが始まると、ドリトスの対戦相手であるダンクコングのセコンドに入る。覆面をしているので正体はわからない。会場の空気は依然として生温い。燃やすのはかなり大変そうだ。
耳を清めるような入場曲が流れ、ドリトスが会場に姿を現した。この日のために雇った楽団が素晴らしい演奏を奏でている。
真剣な表情でリングに向かう姿は普段とまるで違う。輝く美貌はどんな芸術品にも勝っており、波打つ金髪が宝石を溶かしたように光っている。あんな美人が傍にいたのだと改めて実感する。男女関係なく会場のあちこちから感嘆のため息が零れた。
現実に存在しない感覚。物語に出てくる神秘的なエルフそのものである。自分で言いだしたことだかここまで映えるとは思わなかった。
リングの近くまで歩いてくると、ロープを潜らずに大きく跳躍する。マントを翻しながら鉄柱の上に立ったのだ。ジャンプ力があるのはわかっていたが、こういう見せ方をするとは思わなかった。
マントを投げ捨てると華麗な着地を見せる。レオタードタイプの衣装は森を象徴する鮮やかなグリーン。細かい彩色もよく似合っており、ダン渾身の出来である。余計な肉が付いていないスラリとした肉体を映えさせる。
一方の魔人ダンクコングは女性だが正反対のビジュアルだ。大きな身体にたっぷりと付いた肉。腕も足も太く凶悪なメイクをしている。見た目だけでわかるパワーファイター。
いざ対峙するとより細く見え、これだけで客の心情はドリトスに向かった。レフェリーのチェックを受けて、互いのコーナーに戻る。
甲高いゴングが試合開始を告げた。
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