第9話
静まり返った雲の上には、白銀の椅子が五つ並んでいた。
頭上には、深い青のような星空がある。宝石のように輝く大小様々な星が、無限に広がっていて、どこまでも続く雲の層の上にはデイビーと青年だけが立っていた。
おや。僕はいつの間に、ここに立っているのだろう。
デイビーは、ぼんやりとそんな事を思った。自分で登って来た事を思い出しながら星を眺め「星に一番近いところだ」と見惚れた声を上げれば、隣にいた青年が「一番星に近い場所だよ」と優しげな言葉を返してきた。
月もない星空には、小さな輝きが集まった金緑や青、燃えるような橙色の光りが、深い闇に浮かび上がっていた。
「とても素敵なところだね」
デイビーはそう言うと、ふと星空の向こうに白く光る何かがある事に気付いた。目をこらしてみると、白い翼がゆっくりと動いており、こちらから離れていくものがあった。
「気の早い天馬が四組、先に来たようだね」
青年はそう言うと、デイビーを振り返って「しばらく待とうか。きっとご老人の待っている彼と一緒に、天馬たちも来るだろう」と告げた。
デイビーは、待つ、と聞いてそわそわとしてたまらず尋ねた。
「では、どうしたらいいだろう?」
「まずは星を取ろう」
にっこりと笑う青年に、デイビーは胸が躍るのを感じた。「僕はずっと星を取りたかったんだ」と答えたら、青年は「こっちだよ」と嬉しそうにデイビーを手招きして歩き出した。
デイビーと青年は、雲の上を跳ねるようにして白銀の椅子の前を通り過ぎた。一歩一歩、はずみをつけながら、ぽーん、ぽーん、と静まり返った雲の上を跳ねて行く。
「もう、すっかり音がないね」
「次に来る天馬の羽音が、よく聞こえるだろう」
辺りを見やったデイビーに、青年は優しげにそう答えた。
白くぼんやりと光る雲の上をしばらく行くと、不意に青年は立ち止まり、デイビーを振り返った。
「空を見てご覧」
デイビーは、促されるまま星空を見やった。その時、「あ」と声を上げた。星空に一際明るい輝きを上げて、流れ落ちて行ったものがあったのだ。
「流れ星だ!」
「そう、あれを受け取めるんだよ」
デイビーは、一瞬止まり、それからそう述べた青年を振り返った。
「僕に取れるだろうか?」
「うん、君は取る事が出来るだろう。さぁ、手を伸ばして、待っていてごらん。ここは星に一番近い場所。うまくいけば、星はすぐにでも、その手の中に落ちてくるだろう」
デイビーは頷くと、青年が見守っている横で星空を見上げ、手を伸ばした。掌に星が落ちてくるのを待ち、口を閉じて夜空を仰ぐ彼の瞳には、美しく広がる満天の星が映っていた。
「きらきらしていて、すべてがとても綺麗だ」
独り言のように、デイビーはそう呟いた。
また一つ、流れ星が二人の上を通り過ぎていった。その際、きらきらとした細かい光が二人のもとへ降りてきた。デイビーは「星の欠片だね」と呟き、青年は頷いて「それが、この雲の上に落ちて白く光るんだ」と言った。
風もない場所で、デイビーはただ掌を上にして立ち尽くしていた。流れ星が落ちて行くたびに、シャン、シャンと美しい音色が、遠くで起こっては消えて行くのを静かに耳にする。
オーティスは、どうしているだろう。
ふと、デイビーは彼の事を思い出した。そうしたら彼の事だけじゃなくて、村長のもとで共に学んだ少年達の事も脳裏をよぎっていった。続いて、優しい両親や、陽気に話しかけてくる村人達が頭の中を流れて、静かに消えていく。
「僕が岩山に登った時は、皆ひどく驚いていたっけ」
デイビーは思い出して、口元に微笑を浮かべた。ずいぶん離れていたような気がして、そうやって口にするのもひどく懐かしいように感じ、そっと目を細める。
危ない事はしないでと叱った大人達や、すごいぞと陽気に褒めた大人達――。
デイビーは、それらすべてを懐かしむようにして、自分の記憶を辿っていった。何故かオーティスと共にいる少年達、一人一人の事まで詳細に思い出していった。
歯が出た少年は、いつもデイビーにちょっかいを出した。負けん気が強かったデイビーが、ひどく落ち込んでいると、そわそわしたようにこちらを伺っては、ぶっきらぼうに声をかけて来る事もあった。
ひょろりとした長身の少年は、いつも自分の知識が豊富な事を自慢した。デイビーが「小さな牛飼いが、本なんて必要あるのだろうか」と悩んでいると、突然その日、数冊の本をデイビーに押し付けて帰っていった。その本をひどく気に入った母親が、今でも週に一度は、彼の家に本を返しては借りてくる事が続いている。
他にも、色々とデイビーは思い出した。熱を出した時、服を汚した彼らが薬草と水を持ってきた事もあった。字がなかなか覚えられなかった頃、「字の読み書きなんてすぐにできるようになるさ」とさりげなく告げられた事もある。そして、それから、それから――……。
デイビーは、ふっと目尻が熱くなるのを感じた。
「ああ、僕の方こそ、彼らを遠ざけていたのか」
そう呟いた言葉が、どこまでも広い夜空へと飲みこまれて、静かに消えていく。
「皆、決して悪い子ではなかった。恥ずかしがり屋で、負けん気が強くて、成人の儀も近いのに、まだまだ子供で……でも、それは僕も同じだったのだ」
胸に鈍い痛みを感じて、デイビーは星空を仰ぎながら悲しげに顔を歪めた。
「天空橋に登ったと告げて、僕は彼らと話そう。こんな事をしたんだと言って、もっと一人一人の話を聞いてみよう。きっと僕が思っているほど、彼らは僕を嫌ってはいない」
デイビーは、心からそう思って言葉を続けた。その間、何度も流れ星が通過しては消えていったが、まだデイビーのもとへやってくる星はなかった。
「もうそろそろやって来るよ、デイビー」
ふと、そんな青年の声を聞いて、デイビーは白銀に輝く光を見た。
それは徐々に大きさを増したかと思うと、すうっと真っ直ぐ、デイビー達のもとへやってきた。じょじょに速度が落ち、眩しいほどの光りが弱く小さくなっていく。
それは親指ほどの光りの塊になって、デイビーの掌に収まった。
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