第40話


 スタークは、ようやくバヘイラ迷宮寺院の最終階層に辿り着いた。イコからの指令を完遂する為に、彼はこの場所に来ていた。ダンジョンコアのある部屋に入る為に、大きな黒い鳥居付きの扉を開いた。何らかの罠がある可能性も高く、最大限に警戒しながら開いたものの、室内には何者もおらず、ましてや罠などもないように見えた。攻めの要がアデル本人なのだとすれば、支柱がこの場所になるはずなのに、防衛策が見当たらないことにスタークは大きな違和感を持った。とはいえ、時間が無いのは明白であり、ここで慎重に動きすぎても、イコたちが危機的状況に置かれてしまうだけだ。中心部にあるダンジョンコアへと、スタークは慎重に進んで行った。ダンジョンコアは、相変わらず綺麗な金色をしており、地球に無限のエネルギーを送る太陽のような神々しさがあった。


 …古代文明の英知、研究者としては破壊すべきではない――が、これからをの世界を描くであろうイコの命と、古代人が残した文明とでは、比べようもないほどに価値の格が異なる。せめて、吾輩の最高魔導を以てして、破壊してやろう。スタークは、ダンジョンコアの側に魔導陣を描き始める。イコとの約束で、頭蓋骨型マイクロスクロールには、攻撃魔導の記録を禁止されている。この場では、迫りくる時間のせいで煩わしさを感じずにはいられなかったが、それでも丁寧に魔導陣を描き続けた。


 ――瞬間、スタークは吹っ飛んだ。


 横から何らかの強い衝撃が走り、数メートル程も彼は吹っ飛んでしまったのだ。コロコロと転がりながらも、何とか頭蓋骨型マイクロスクロールを落とさずに、姿勢を元に正した。スライムという普段以上に転がってしまう体に戸惑いつつも、冷静に状況を見極めようと、周囲の観察に励んだ。やはり、この部屋には何らかのトラップがある、とスタークは確信を得た。警戒態勢を一つ繰り上げ、スタークはウィッチの姿に戻った。頭蓋骨型マイクロスクロールは、彼の右手に握られている。人間が相手なら油断を誘う狙いもあったが、敵が無機物ならば、その意味もなくなる。久しぶりに元の体に戻るも、人体のように関節が凝り固まってしまうことはなかった。骨だけが構成する左手を何度か握り、感覚を確認する。それから、魔導ではなくウィッチ本来の能力である飛翔を用いて、優雅に宙へと浮き上がった。罠を踏まない為でもあり、より俯瞰的に部屋を観察するためだった。


 …厄介なことに、何も、何処も怪しくないのである、とスタークは、床に触れない程度の距離を保ち、低空飛行を続けながら、より近くから観察を続けた。先ほどまで自分のいた床の警戒を強めるのは当然のことだった、そうして安全圏のつもりでいれば、また横から強い衝撃が襲った。スタークは地面にバウンドしながら、何度も転がってしまう。ウィッチは、消して物理防御の高い魔物ではない。何度も被弾していては、やがて取り返しのつかない怪我に繋がる恐れがあった。しかし、三度も謎の衝撃を受ければ、立ち上がった赤子が転び、歩き方を学習していくように、ある程度の根本的な問題点に気付き始める。感覚的な本能のなかで、赤子が自らに足りぬバランスを別から補うために、背の低い机に捕まって歩くように、スタークはある種の閃きを得た。


 これがアデル氏の作り出したものなら、吾輩には心当たりがあるではないか。姿も見えず、罠でもないはずなのに、何故かどこからともなく攻撃してくる存在…恐らく、これはゼロ・ホムンクルスであろう。とはいえ、それならそれで困った事態だ。吾輩は、攻撃魔導をマイクロスクロールに記録していない。敵がゴーレムのような魔導生命体ならば、討伐手段が必要になるというのに。スタークはフワッと浮き上がり、床から離れた。アデルのホムンクルスに飛行能力があるのかさえ不明瞭な状況だったが、冷静になる時間を必要としていた。…あるいは、あれは生命体ではなく、自立思考型の魔導だと考えることもできる。であれば、魔素の枯渇を待てば、燃料の切れた車のように止まる…いや、消滅するはず。動きながら浮遊している間は、彼が攻撃されることはなかった。自分の体力が切れるまでは、こうしてフワフワと現状をやり過ごす手もあるように思えた。


 ふと心中にめぐる安心感は、スタークの背負う責任により否定された。いいや、否である。イコ殿には時間が無い。それになにより、何らかの手段でアデル氏とダンジョンコアに回路が繋がっていれば、ほぼ無限に魔素を供給できる。となると、自然消滅待機など言語道断であろう。やはり吾輩自らの手により、討伐する必要がある。


 ヒュンッ!風切り音が聞こえたのと同時に、ほとんど偶然にスタークは首を傾けた。すると真横を何かが通り過ぎる。ズンッ、という音を辿り、天井を確認すれば、ひし形の穴が空いているのが見えた。この頑強に強化された迷宮の壁面を貫くほどの鋭い何かが、空白のホムンクルスから投擲されたのだと理解した。空中での移動手段はなく、空中への遠距離攻撃手段があることを悟った。空中でさえも、安全圏ではない。瞬間的に、遠距離攻撃の軌道から敵の位置を探るアイディアが閃く――も、投擲物までもが透明であり、それは非現実的であった。…このままでは、串刺しにされてしまう。早急に討伐しなければ、時間切れで殺されてしまうのは吾輩の方だ。とはいえ、吾輩がイコ殿から許された魔導は「掃除・料理・洗濯・ごみ処理」の四つ…芳しくないな。強いて慰めになるのは、どれもイコ殿が作ったというだけか。そんな最悪の状況に、スタークは顎をカタカタと揺らしていた。完全な生命体とは言えぬ体になってから、生命への危機感は、彼の中で頭蓋骨のように空白に支配されつつあった。

そうして空白を楽しんでいれば、顎から何かが落ちるのが見えた。


 …あれは、水分なのか?だが、なぜ吾輩の頭蓋骨から水分が流れたのだ?…いや、そうか。そもそも肉体を持たぬホムンクルスらが、何故に他へ干渉して茶を入れることができたのか。おそらく、空気中の水素を用いて、他に干渉していたのだ。自立思考型の半永続的な魔導を用いるならば、消費魔素量を削減しておいて損はない。他に干渉するならば、空間に干渉するよりも、水素などに干渉した方が魔素消費量を削減できる。本当に、よく考えられた魔導だと、素直に感心してしまうな。吾輩も、まだまだ浅いということか。


 自虐的に、スタークはカタカタと顎を揺らしていた。流れる水分は、ホムンクルスから得たものとはいえ、彼にとって涙の代わりを果たしていた。これほどに高名な魔導士と戯れることができた歓喜と、これまでの人生に対する嘆きが合わさっている。


「さて、終わりにしよう。おぬしらホムンクルスも、アデル氏の下で家事を手伝っていたのであろう。であれば、洗濯をする時、衣類を洗浄した後で、何をするか知っているな?別段、おぬしらを打倒する必要などない。吾輩に干渉できぬようにすればいいのだ」


 スタークは、カタカタを顎を揺らしながら、マイクロスクロールを起動した。そこから小さな魔導陣が浮かび上がると、イコお手製の洗濯魔導を起動して、周囲を乾燥させてしまった。大気中に水素が無くとも、肉のない彼には何の影響もない。そんなスタークの周囲を、骨すらもない存在らが蠢くなかで、この空間をカタカタという頭蓋骨の不気味な音だけが満たしていた。

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