第39話


「元冒険者の意地を見せて!行って、チェリア!!!」

 

 もはや人間とは言えない程に崩れた動きで、瞬間的に加速し、チェリアは人間の可視域を大きく超えた。彼女が先程まで立っていた場所には、小さな砂塵が残っているだけだ。元より盲目なアデルの視線は、動くことすらなかった。


「ほぅ?」


 それでも自動迎撃システムでも付いているのか、女神の右手が素早く動くと、アデルの右側を庇った。その瞬間から、女神の指先は分解され始め、その間を縫うようにチェリアの拳が放たれる。アデルは、女神の手の位置からチェリアの居場所を推測し、首を小さく曲げて、彼女の攻撃を躱した――が、右頬から鮮血が飛び散った。どうにも、チェリアの拳が風圧により切り裂いたようだった。


「存外、厄介な作戦だ。こちらも軌道修正が必要かな。最も安い策なら…これか」


 再度チェリアが消えた瞬間、アデルは右手を地面に置いた。


「嘆きの蔵書を閲覧する者よ、足元から迫りくる遺灰を顧みよ「亡者の嘆きと綻び

(リビングデッド・エディーゼフ)」


 廃れた詠唱による魔術は、予想外の効果をもたらした。床が粘着質に変容して、チェリアの足を捕え、アデルから見て3メートル程右側で固定してしまった。


「私の魔素を込めたんだ。残念ながら、もう動けないだろうね」


 と、アデルが確信に満ちた呟きを零した瞬間に、ラナがチェリアへとFBを放った。あのアデルでさえも、何が起きたか理解できず、近場で起きた爆発の煙により咽ていた。イコも同様で、躊躇なく味方を撃ったラナを見た。


「何をしてるんですか!?」

「足元を発破したのよ。あのままじゃチェリアが殺されちゃうでしょ」

「そ、それはそうですけど…」


 足元から黒い煙を上げるチェリアが、イコたちの側に戻ってきた。自意識を抹消されただけでなく、痛覚すらもないようで、表情にこれといった変化はなかった。


「即決か。しかし、今のは最善手と言える」


 既に冷静さを取り戻していたアデルは、顎を撫でながらラナを観察していた。何らかの評価を改めたのか、笑みを深めて興味深そうにしている。その間にも、女神は盃を振り上げ、次の一撃の準備をしていた。この空間に余白などないことを、第零部隊は悟った。


「…ラナさん、地面を凍らせてください」

「いいアイディアね。「永久凍土(エターナル・ブリザード)」」


 アデルではなく、彼の立つ地面を狙って、その周囲を一瞬にして凍らせてしまった。上級魔導を瞬間的に発動するバルを見て、本当にバヘイラ魔導学院卒の主席だったんだな、と改めてイコは感心してしまった。


「行け、チェリア!」


 同時に、隣に立つチェリアは、また周囲の視覚を置き去りにして動き始めた。

それを確認した瞬間、女神は盃を振り下ろすのを止めて、警戒モードに移行した。


「ミーム、次はチェリアが攻撃を加える逆方向に細菌を集中させるから、一旦防御を捨てて女神が分解された地点に攻撃魔導を放ってくれ。…小さくて、速いやつだ」

「…りょ、了解です」


 緊張した面持ちで、ミームは頷いた。

 その数秒後には、アデルの下へ幾重にもフェイントを重ね、チェリアが到達していた。彼女は背後からの攻撃を試みているようで、攻撃の瞬間に彼女の姿がようやく見えた。イコは背後に3割、正面に7割の比率で細菌を密集させ、ミームを見た。


「閃光の破邪矢(ライトニング・ディストラクション・アロー)」


 迅速の小さな閃光が、ミームの手から放たれた。その瞬間、ギョロッと女神の目がミームに向けられ、視線は彼女が放った光の矢へと移動した。背後から迫るチェリアに盃で対応しつつ、前方から迫りくる光の矢を素早く掴む女神は、稲穂で蠢く頭巾をした老婆のようであり、洗練された無駄のない手つきだった。無事に全ての攻撃を退けたアデルは、退屈そうにイコを見返し、女神に指示を出して矢を投げ返してきた。ミームが放った時よりも、数段速度を増しており、分解するまでにイコの数センチ先にまで到達した。


「素晴らしい連携だが、届かないさ」

「届くまでやるだけだ」

「…なら、更に絶望を見せてあげるよ。空と大地を結ぶ者よ、空想と虚構の合間に、第二の世界を構築せよ「天地創造の腕(ワールド・クリエイト・ハンズ)」」


 やや前傾姿勢に女神が俯くと、彼女の背中から生えていた翼が羽ごとに別れ、粘土のように捏ね上げられ、腕へと変態していった。女神の達観した瞳と相まって、まるで全てを悟る千手観音を模したかのようだった。腕の一本一本が巨人の振るうそれであり、その危険性は見るだけでも十分に周囲へ伝わっていた。ただでさえ場を緊張感が支配する中で、隣からイコの耳に唾を飲む音が届いた。ミームを確認すると、彼女は額から必要以上の汗を流しており、この場から一刻も早く離れたがっているのがわかった。圧倒的な力の前では、誰しもが逃亡を意識してしまう。それはイコとて例外ではないが、育ての親に対する責任感と愛情が、呪いのように彼をこの場に縛り付けていた。


「…まずは、鬱陶しいハエを捕まえようか」

「まずいわねぇ」


 ラナの心配は的中したようで、一見手が増えただけにしか見えない女神は、チェリアの動きを的確にとらえ、彼女の接近に合わせて拳を振り抜いた。もはや左右という概念を凌駕した腕が、いとも簡単に彼女を捉えてしまった。いくらチェリアが素早く動けても、反応速度はラナに依存してしまう。その弱点を、丁寧に射抜かれてしまった。更に、他の腕で黄金の盃を握ると、また扇子のように仰いだ。何とか反応を間に合わせたミームが、三人の前に防御魔導を展開し、風圧を防ぐも、彼女の汗は既に床に滴るほどだった。ミームの起動した防御魔導に、チェリアが吹っ飛んでくる。このままでは、競技場の壁面よりも頑強な魔導防壁にぶつかり、彼女の肉体がひしゃげてしまう。そう考え、咄嗟にミームは防御魔導を解いてしまった。吹き抜ける風圧に耐える為に、三人はその場に立ち止るしかなくなってしまい、風圧により更に加速したチェリアが飛んでくるも、誰も動くことが出来なかった。そのままチェリアは、ミームに衝突して、彼女共々後方へ飛んでいく。イコは何とか背後を確認するも、彼女達が立ち上がる素振りはなかった。


「ガハァッ!!??」


 そうしてイコがアデルに背を向けた瞬間、女神の背後から生える腕の一つが、鋭く伸びて背後からイコを貫いた。それはラナの反応速度を上回り、彼女は真横で貫かれるイコを唖然としながら見つめるだけだった。

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