五章 獅子令嬢と町の花娘(9)

 クラバートは、以前ベルドレイクから、クリストファーが半魔族王への討伐の旅を渋った際、国王と上の人間の一部が、幼馴染の彼女との婚約、もしくは結婚が出来るよう取り計らうと仄めかした事を聞かされていた。


 その効果があってか、クリストファーは「分かりました」の一言で旅に出た。


 最短時間で伝説の魔法の剣を手にし、パーティーメンバーの疲れようにも目を向けず、ハイスピードで半魔族の群れを打ち倒し、最後はほぼ単身で半魔族王の首を取った。


 英雄一向が帰還した際、姫と英雄が結ばれるらしい、というお伽噺レベルのロマンチックな噂が流れた。それはクラバートも耳にしたが、クリストファーを知っているからこそ、それが嘘情報であるとも気付いていた。


 ベルドレイクの顔色を見て、クラバートはそれを行ったのが彼らだと悟った。


「陛下には、ハッキリ断りを入れた方が良いですよ、ベルドレイク総隊長。約束を破られるとあったら、血の海をみますよ。昔、あったでしょう。先に幼馴染の少女が『運命』とやらを見付けてくれれば、あいつも諦めるだろうと考えた宰相側が勝手に動いて、有望な見習い騎士達が所属していた薔薇騎士団が、壊滅状態に陥ったじゃないですか」


 当時、クリストファーは十五歳にもなっていなかった。愛想の良い彼は激昂を表情に出さず、黒い満面の笑顔で薔薇騎士団の騎舎棟を襲撃し崩壊させた。それを止めに入った王宮騎士団の各師団も、大被害を被った。


 それからというもの、絶対に巻き込まれたくないという騎士達の中で、クリストファーの逆鱗である少女の絵姿が回された。彼女を見たら、距離を置いて必要上に近づかない事、話しかけない事が身を守るための必要条件、という注意文句まで出回った。


 当時、王宮の近衛騎士だったクラバートもひどい目に遭った。


 事態を収拾するため走り回り、唐突に勃発する騒動に巻き込まれ、少なくとも三度は死の淵を彷徨った。吹き飛ばされた瓦礫の一部が腹に刺さった時は、もう駄目かもしれないと本気で諦めかけた。



 本物の第一王子、第二王子よりも、物語の王子風であるクリストファーだが、騎士達から言わせれば、歩く最終兵器、または災害の化身だった。一部の人間からは、人間界の魔王だと知らされているほどの脅威っぷりは、彼が神に選ばれた英雄である事の方が信じられないほどだ。



 そこまで考えたクラバートは、お気楽な陛下と、毎度クリストファーの逆鱗に触れているというのに、少しすると忘れたように過ちを繰り返す、その取り巻き一同の様子を思い返して「まさか」と勘付いた。


「陛下達は英雄との約束を、完全に反故する気なんですか?」

『…………そうするつもり、でいた』


 歯切れ悪い物言いに、クラバートは嫌な予感を覚えた。


 咄嗟に思い浮かんだのは、先程ここにクリストファーがやって来ていたという事実だった。彼は急ぎ戻ったらしいが、もしや――


「……もしかして、今さっき、王宮に英雄が戻られませんでしたか」

『ああ、戻って来た。完全に陛下達の企みに気付いたようだった』


 マジか。それ、完全にアウトじゃね?


 クラバートは、祝いの状態が続く王宮の惨状を想像して、血の気が引いた。


 英雄であろうと、なりふり構わず貴族達に脅威を見せつけるのはまずいだろう。クリストファーは侯爵家の跡継ぎだが、だからと言って、大勢の臣下に反感を持たれれば、さすがの陛下もかばいきれない事態に発展する可能性がある。


 クラバートの危惧を察したように、ベルドレイクが「それはないから安心するように」と青い顔のまま、弱々しく手を振った。


『被害は謁見の間で済んでいる。今王城を壊すのは都合が悪いからと、彼は、平和的に問題を解決しようじゃないかと、陛下と私達に穏便な交渉を持ちかけて来た』

「それを世間では脅迫というのではないですかね、ベルドレイク総隊長」


 大変嫌な予感しかしないが。むしろ、このまま事態が進むと、いずれ遅くないうちに、とばっちりでこちらまで巻き込まれる予感がするのだが……


 しかし、ベルドレイクの心労を思えば聞く他ないだろう。


 クラバートは、逃げ出したい両足を机の下で押さえ込み、仕方なく話の詳細を促した。


「それで、どういった『平和的な交渉』を持ち掛けられたんです?」

『今すぐ国を破壊されるか、約束を守って国を破壊させないか、どちらが良いかと、彼は愛情深い微笑みで訊いて来た。その間、彼の体内から溢れる魔力だけで謁見の間が崩れかけ、止めに入ろうとした魔術師と近衛騎士が殺気にあてられて気絶し、立ち合わせた最高神官が心臓発作を起こし、残りの人間は呼吸困難に陥った』

「何ソレ怖い。もう魔王レベルじゃないですか」


 強すぎる魔力は、裏を返せば実害しかもたらさない。感情の揺れによって増幅される事もあるが、人間がそれほどの魔力を扱えるのは稀である。


 歴代でもっとも温厚派であると知られている今世代の若い魔王が、人の姿で自由に出歩けているのは、地上と人間が壊れないよう、魔力を最小限に抑え込んでいるからだ。


 魔力を解放すれば、とんでもない化け物であり、彼は魔力を解放する場を限定し、指一つ動かさずに破壊と殺しをやってのけてしまう恐ろしい君主でもある。この町が半魔族の被害を受けなかったのは、五年前からこの町に多く居座るようになったルイが、一瞥だけで敵を物理的に潰してしまえたせいだ。


 ルイは、歴代の魔王の中で最も強大な魔力を持っている。


 人間が好きで憧れている、と口にしながらも、分別をわきまえない同胞の部下を躊躇なく一瞬で殺してしまえる完璧な魔王でもあった。魔王という絶対君主を崇拝しない魔族が、一つも存在していない事は、今代のルイが初めてであるという話も軍部では有名だった。


 怖くないといえば嘘になるが、ルイは完璧な魔王であると同時に、欠点もほとんどない素晴らしい統治者でもある。彼の人となりに触れていれば、クリストファーという規格外の思考の持ち主よりも、尊厳と親しみさえ覚えるぐらいだ。

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