五章 獅子令嬢と町の花娘(8)
騎士団の支部に戻ったクラバートは、執務室の椅子に腰かけると、保留状態のままにされていた魔法通信機の通信をオンにした。執務机と同じぐらいの大きさがある機械を、必要になるたび引き寄せて移動するのは面倒だが、通信相手の顔が見られるのは便利だとも思う。
魔法水晶から浮かび上がった光りに投影されたのは、力のない白髪をした四角い顔のベルドレイクその人だった。どうやら、ずっと通信機の前で待っていたらしいと気付いて、クラバートは、怪訝を露わに彼を見つめた。
普段であれば、少し離れたところで珈琲を飲んでいる姿が映るはずだが、ベルドレイクは長椅子に腰かけたまま、指を組んでじっと机の上に視線を落とし座り込んでいる。
ベルドレイクは、公爵家に所縁のある人間だ。
陽に焼けたいかつい顔立ちをしており、鋭い眼光一つで相手を竦み上がらせる男だが、友人の娘であるマーガリー嬢をひどく溺愛しており、彼女の前で恰好良いところを崩すまいと努力しているのを、彼と親しい人間は知っていた。
そこまで彼がマーガリー嬢に愛情を注いでいるのは、ベルドレイク自身が、短い結婚生活後に若くして妻を失い、子を設ける機会がなかったせいだろう。ベルドレイクは再婚を望んでおらず、上に兄弟もいるからという理由で、血の繋がった後継ぎは作っていなかった。
顔を会わせるのは三日振りの事だったが、どういう訳か、クラバートはベルドレイクが、ひどく老いたような印象を覚えた。祝い事に疲れ切ってしまっているのだろうかと思いを巡らしたが、――すぐに、王宮騎士第一師団のクリストファー・リーバスが戻っているせいだと気付いた。
嫌な予感が込み上げて、クラバートは、咄嗟にベルドレイクに言葉を掛けられずにいた。
クリストファーが討伐に出る前まで、ベルドレイクは、暇を持て余しているクラバートに通信を繋げては常々、苦労話を延々と聞かせて悩みを語っていた。気のせいであれば良いが、今回もその件のような気がしてならない。
「……あの、どうかされましたか、ベルドレイク総隊長」
しばらく待っても、こちらとの通信が再開した事に気付いてもらえなかったので、クラバートは躊躇した後、どうにかそう声を掛けた。
テーブルに肘をつき、指を組んだ拳に口をあてて考え込んでいたベルドレイクが、その声にようやく顔を上げて、細いサファイアの瞳でクラバートを見つめ返した。
『……ああ、クラバートか。久しいな、元気にしているか』
「まだ三日しか経っていないですよ、総隊長」
『そうだったか。まだ三日だったか…………』
え、そっちで何があったの。辺境勤務の騎士が羨むほどの、祝いと休日っぷりじゃなかったっけ?
クラバートは、しかし口にはしなかった。きっとベルドレイクの顔に見える死相は目の錯覚であり、疲れ切った声に関しては、自分の耳が詰まっているせいだろうと思い直す事にした。でなければ、話の先を聞くのが怖すぎて通信を切ってしまいそうだ。
ベルドレイクが、深い溜息をこぼして先を続けた。
『陛下がな、私に無茶な事を言ってくるんだ。姫も気に入っているから、英雄であるクリストファーと結婚させたいらしい……どうにか城に引きとめておけと言われて、そのおかげで視線だけで何度も殺され掛けた私の身にもなってみろ。最近、抜け毛もすごいんだ』
「うわぁ、それはまた無理な事を……。あいつが半魔族の討伐に乗り出したのも、幼馴染と自分の結婚を法律的に認めさせるため、なんでしょう?」
元々、クリストファーが半魔族へ向ける怨念は凄まじいものだった。しかし、なかなか王都を離れようとしなかったのは、可愛い幼馴染の存在があったせいだ。
クリストファーは、これまで徹底して、幼馴染の少女の目が他の男に向かないよう動いていた。ちょっかいを掛ける同僚や、ちょっかいをかけそうになる仲間さえ容赦なく戦意消失に追い込んだ。少し過剰反応過ぎやしないだろうかと思うが、どうもその少女に流れている精霊族の血の特徴のせいであるらしい、とは噂に聞いた。
王族、貴族の中では『予言の精霊』の血を引いた人間の特徴は有名だった。それは、なんともロマンチックな特性で、彼らは自然と愛されるように出来ている。人間的な思考によって発生条件に差は出るらしいが、その瞬間に立ち会えば、精霊王の祝福が与えられ、その土地は潤うともいわれていた。
精霊王の恩恵と祝福は、世界が一瞬明るく見えるほど、大気を浄化してしまうという。
それを知る者は、『予言の精霊』の血を持った人間が、その特性を開花する瞬間を心待ちにし、楽しみにしているのだが、――彼らの最大の特徴であるソレは、強制や他者の意思では決して起こせない奇跡でもあるので、居合わせるのは難しい。
真実を知れば欲しがる人間もいるし、知らなくとも憧れる人間はいる。
不思議と『予言の精霊』の血を引く人間に悪さが出来なくなってしまうのは、彼らが精霊王に愛され、魂と器に、浄化作用という特別な祝福を与えられているせいだろう。
他の精霊族とは違い、魔法などの力を授からなかった『予言の精霊』は、限りなく無力に近い。しかし、精霊王の次に誕生した最古の精霊族と呼ばれ、彼らは精霊界の空気を清めるために、精霊王のそばにあるとも語られていた。
けれど予言の精霊の血を引くとはいえ、相手は平民だ。それが、侯爵家の跡取りと結婚なんて出来るはずもない。
幼い執着は一時のものだろうと踏んでいただけに、次第に濃厚になってゆくクリストファーの囲いぶりは、周りの目から見ても恐ろしいほどだった。
これが普通の相手であれば、国王や周りの権限でどうにか修正も出来たかもしれない。しかし、クリストファーは普通の子供ではなかった。『予言の精霊』の血が混じった夫婦が説いたように、彼は人間を超越した戦闘能力と素質を秘めた英雄なのである。
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