四章 英雄となった男(10)

 ティーゼは、この場を穏便にやり過ごす台詞を探した。


「えぇと、その、……姫様、すごく美人なんだって聞いたよ。確か私より早く十六歳になったけどまだ婚約者もいなくて、求婚が絶えない美貌の持ち主、とか?」


 ……そうだったような気がする、よくは知らないけれど。


 それ以上の褒め言葉が見つからず、ティーゼは視線を泳がせた。そういった話題については、あまり興味がなかったので、詩人や酒屋で耳にする程度だ。有名らしい姫の事だけでも、もっと知っていればクリストファーに話しを合わせられたのになぁ、と少し後悔した。



「城に残っている第二王女は、君と同じ十六歳。――まぁ、美人ではあるけど」



 それが? とクリストファーが畳みかけた。


「ティーゼが気になるというのなら、僕が会わせてあげてもいいんだけど、君はそういう事には興味を持っていなかったよね? 姫の名前だって知らないだろう?」

「ぐぅ、確かに知らないけどさ……」


 みんな「美人な姫」って呼んでるんだから、庶民はそれぐらいでいいじゃんか。


 ティーゼは、そう目で訴えた。けれど、クリストファーは追及の手を緩めてくれなかった。彼は、どこか威圧感さえ覚える完璧な笑顔のまま、言葉を続けた。


「君が自主的に手に入れた情報でないとすると、どこかの詩人に、良い話しでも聞かされた口かな。彼らは役得だからね。すぐに優しい眼差しを向けて、それが異性ならば、手を取って甘い言葉を紡いだりする」

「えぇと、詩人はいたけど、別に広場で歌ってるのを聞いただけであって――」

「当たり前だよ。そんな詩人が君の近くにいようものなら、僕がすぐにでも殺してる」


 クリストファーは、爽やかな笑顔で、あっさりと物騒な事を言ってのけた。


 珍しい冗談が出るものだ、とティーゼは思った。クリストファーの顔が近いような気もするが、後退しようにも、テーブルに追いやられてしまっているため、それ以上距離は取れなかった。



「ああ、もしくは僕のいない間に、どこかの男が、君に姫のことを意図的に教えたのかな。中流貴族のレナード・マイルス? それとも、警備隊のボルドー少佐? 最近町に居座ってる冒険者のリンドンかな? ああ、酒屋で仲の良いクーパーとか?」


 

 不意にクリストファーが言い、ティーゼは思わず首を捻った。


「……あれ? クリス、私の新しい友達と面識あったったけ?」


 ティーゼの記憶が正しければ、彼らとクリストファーに接点はなかったはずだ。ティーゼも、交友関係についてまでは彼に教えた事はなかった。


 悩んでいると、唐突に腕を掴まれてびっくりした。


 反射的に顔を上げると、こちらを覗きこむ青い瞳と至近距離で目が合った。彼の眼差しは、何かを確認するかのように真剣で力強かった。


「ティーゼが、誰かを選んでいない事は一目瞭然だけど」

「一目……? え、何が…………?」

「僕にだって、どうしても譲れない事ぐらいある」


 そう言って溜息をもらしたクリストファーの眼差しから、ふっと威圧感が消えた。続いて困ったように笑った顔は、ティーゼがよく知っている幼馴染のものだったから、ティーゼは知らず警戒を解いていた。


「――ねぇ、ティーゼ」


 クリストファーが、宥めるような穏やかな声でそう告げて、ティーゼの腕から手へと滑らせて優しく握った。彼は彼女の顔を覗きこみ、ふんわりと微笑む。


「仕事の依頼は終わっているようだけど、ティーゼは、ここで何をしているのか訊いてもいい?」

「えぇと、ルイさんの恋のお手伝い、かな。騎士団にマーガリーさんっていうキレイな人がいるんだけど、ルイさんの想いが一方通行というか」


 緊張感から解放されたティーゼは、素直にそう答えた。


 すると、クリストファーが曖昧に微笑んだ。


「ベンガル伯爵のところの『獅子令嬢』か、なるほどね。二人の恋がうまくいきそうだと分かれば、素直に納得して手を引いてくれる?」

「え。あの、私は応援というか、ちょっと協力しているだけであって……」


 ティーゼは、彼の認識にズレがあると思ってそう声を掛けたのだが、クリストファーが「分かってるよ」と優しく目を細め、両手でティーゼの手を包みながら慰めるように撫でてくれたので、伝わっていると理解して胸を撫で下ろした。


 クリストファーは、名残惜しむようにティーゼの手を離すと、視線をそらしながら考えるように顎に手をやり「なるほどね」と小さな声で呟いた。



「――僕も、少し浮かれていたからね。まさかとは思っていたけど、そんなつもりがあって姫との時間を多く作らせていたのか……約束をうやむやにされるのは、我慢ならないな」



 そう独り言を呟いたかと思うと、彼は一つ肯き、微笑を戻してティーゼに向き直った。


「もう少しティーゼと話していたいけれど、少し急ぎの用を思い出したから、先に戻るね」

「列車は一日に一本だけど、大丈夫なの……?」

「心配してくれて、ありがとう。列車なんて必要ないよ。僕は聖剣の力で、ここまで飛んで来たからね」


 そういえば、伝説の剣とかなんとか以前聞いた事はあったけれど……でもそれ、魔法の剣じゃなかったはずでは?


 ティーゼが悩ましげに小首を傾げると、クリストファーが目元を和らげて、彼女の頬にかかった髪をそっと後ろへ撫で梳いた。普段から親身に接されているティーゼは、こういう女性扱いを自然とやってのける幼馴染だもんなぁ、と場違いにも改めて感心してしまった。


「それに、そのへんのドラゴンでも掴まえれば、王城までそんなにかからずに戻れるから」


 時間稼ぎのように、クリストファーが静かな声色でそう言った。ゆっくりと髪から離されていった彼の手の指先が、するり、と頬を撫でていった。


 また、うっかりあたってしまったのだろう。


 これまでの彼とのやりとりを思い出して、ティーゼは、くすぐったく感じた頬に手を当てて揉み解した。すると、クリストファーがにっこりと笑って「ごめんね」と言い、「じゃあ、またね」と踵を返した。


 歩き出しながら、クリストファーが、ティーゼには聞こえない低い囁き声をこぼした。



「宰相であろうが、ティーゼに手を出したら殺すよ。――ひとまずは、姫との噂の出所を潰す」



 そんな物騒な声を耳にしたルチアーノは、「人間族の魔王ですか」と口の中で呟いた。思わず、英雄を取り囲んでいるであろう人間側の事情を想像し、らしくなく同情してしまった。

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